096 仲居に扮して
五月の下旬。
監察方を始め、相変わらず忙しい日々を送っているけれど、幕府からの町触れも出たせいか、僅かながらも密告や投げ文があり、情報提供が皆無というわけではなかった。
それでも、長州贔屓が多いと言われるこの町で、壬生狼と疎まれることが多い新選組の捜索は難航を極めた。時に強引にならざるを得ず、町の人たちの反感を買うことも少なくない。
京都守護職や京都所司代、上洛したばかりの見廻組もそれぞれ捜索や警備に当たってはいるけれど、どうにもこうにも人手が足りていないという状況だ。
「スマホ……せめて固定電話。何でもいいからリアルタイムでやり取りができれば、もう少し楽になると思うのに……」
「何をぶつぶつ言ってやがる?」
ここ数日晴れの日が続くなか、縁側に座りため息とともにこぼした愚痴を土方さんが拾い上げた。
ただの愚痴です、と振り返り様に苦笑を返して立ち上がり、そろそろ支度に取りかかる。
「今日は新八と御用改めだったか?」
「はい」
「なら、そっちは新八に任せて角屋へ行ってくれねぇか?」
「角屋? 何か別の仕事ですか?」
「ああ。ちょっとした潜入みたいなもんだな」
潜入捜査! とういうことは……。
「山崎さんと一緒ですか?」
「いや、山崎は別件で忙しい。今回はお前一人だ」
「なるほど。ひと……えっ、一人なんですかっ!?」
潜入捜査なんて、山崎さんと一緒にしかしたことがないうえに、あの時はただのカモフラージュで私自身は特に何もしていない。
それなのに一人とか……無理すぎるっ!
何でも、“角屋界隈の店に過激な尊王攘夷派らしき浪士たちが出入りしている”という情報提供があったらしい。
とはいえ、時間も人手も全く足りていないこの状況で、角屋
かといって、このまま聞かなかったことにすることもできず……ということらしい。
「だからって、何で私なんですか? そんなスパ……密偵みたいなこと、私一人でできる気がしません!」
「安心しろ、そんな大仰なもんじゃねぇ。それに、お前なら一人ででも怪しまれずに客に近づけるだろう? 客の会話に少し耳を澄ましとくだけでいい」
思わず首を傾げれば、土方さんが詳しい説明をし始める。
どうやら仲居に扮して客の様子をみてこいということらしい。
確かに、新選組隊士が女装しているとは思わないだろうから、相手も気を許しやすいのかもしれない。
うまくいくかどうかは別として、人手を割く余裕はないし、話を聞くだけなら私にもできる……かな。
「尊攘派の奴らを見つけても、危険を犯してまで深追いするなよ」
「も、もちろんです」
そんな人たちに新選組だとバレたら、命の保証なんてない!
さっそく角屋へ行くと、土方さんから預かった書状を主人に手渡した。
すぐに一番奥の小さな部屋へと通されて、やって来た年配の女性が着付けから全て綺麗に仕上げてくれた。
この女性は確か、前にも私を芸妓姿にしてくれた人だ。私の本当の性別を知っている人、ということになるけれど、前回同様黙々と進めていたので、その辺りはきっと、土方さんが上手いこと口止めしているのかもしれない。
支度を終えると、すぐに仲居の仕事に取りかかった。
追われている立場の人間がそう簡単に尻尾を出すとは思えないけれど、それでも笑顔を張りつけながら、客たちが交わす会話にできるだけ注意を向けていた。
事情を知る角屋の主人の配慮なのか、色々な部屋へ顔を出すこともできた。
慣れない仕事と気の抜けない状況に、気がつけば外はすっかり夜で、最後の客の見送りを残すだけとなった。
結局、私が耳にした会話のなかには、これといった話題もなければ、それらしい人たちもいなかった。つまり、収穫はゼロ。
まぁ、ここではなく他の店かもしれないし、情報じたいが勘違いやガセだったという可能性もある。
どちらにしろ、今日一日だけらしいのでこれでおしまい。
最後の客たちを見送るために外へ出れば、ちょうど雨が降りだした。すぐに雨足は強まり、道を歩いていた人も慌てて近くの店の軒先で雨宿りをし始めるほど。
店から番傘を持ってきて客たちに貸し出せば、最後の客を送り終えると手元には一つ残った。
「さてと、早く片づけて私も帰ろっと」
片づけまでは任務に含まれていなそうだけれど、協力してもらったのだからそれくらいはしないとね。
もうひと踏ん張りするべく、空いている手を頭上へ伸ばして背伸びをしていたら、近くの店で雨宿りをしていた二人組のうちの一人が、私の元へと駆け寄ってきた。
「おい、その傘を借りてもいいか?」
「あ、はい、どうぞ。えっと、お名前をお訊きしてもよろしいですか?」
私が手にしている番傘は、店を利用した客に貸すための傘なので屋号や家紋が描かれている。傘をさして歩いてもらえば、それだけで宣伝になるという代物だ。
そして、文字通り番号が振ってあるので、誰に貸したかがわかるよう番号とともに名前を記帳しておく。
「ああ、
「忠蔵様ですね。どうぞご贔屓に」
営業スマイルとともに傘を手渡すも、忠蔵さんはその場で開くこともせず、来たとき同様駆け足で戻って行った。
雨宿り中の男性のもとでようやく傘を開いたかと思えば、一緒に入るでもなく、自分が濡れるのも構わず男性に傾ける。どうやら男性の方が身分が上で、忠蔵さんはその付き人といった様子だ。
店へ戻ろうと踵を返せば、背後から男性に話しかける忠蔵さんの声が聞こえた。
今日一日人の会話に耳を澄ませていたせいか、雨音に掻き消されることもなく、その声はすんなり耳に届く。
「宮部先生、足元にお気をつけください」
――っ!?
心臓が大きく跳ねるのを感じ、思わず足も止まった。
宮部……まさか、
宮部鼎蔵は、現在新選組が追っている人物の一人だ。肥後藩士だけれど過激な尊王攘夷派で、長州の人たちと行動をともにしているらしい。
名字が同じなだけだと思うけれど、何一つ収穫を得られなかったせいかそれだけでそわそわする。それでも、こちらの動揺を気取られないようゆっくりと振り返った。
二人はすでに歩き出し、宮部と呼ばれた人物は後ろ姿しか見えない。まぁ、正面から見たところで、顔を知らないから判別はできないけれど。
せめて下の名前がわからないかと耳を澄ますも、その会話からは、主と付き人という関係性くらいしか読み取れなかった。
「人違い……だよね」
夜道とはいえ、お尋ね者が堂々と歩いているとは思えないし。
冷静になった途端、すっと覚めるように鼓動も落ちつきそのまま店の中へ戻った。
一通りの片づけを終え、着替えと主人への挨拶も済ませて外へ出た。
店の軒先に、雨を避けるようにして佇む斎藤さんを見つけて、帰る頃には迎えを寄越すと土方さんが言っていたのを思い出した。
「斎藤さん! すみません、お待たせしました!」
「気にするな。行くぞ」
そう言うと、屯所に一つしか残っていなかったという傘を開き、一緒に入れと言わんばかりに傘を傾けている。
「あっ……ちょっと待っててください。傘を借りてきます」
「一緒に入って行けばいいだろう」
「でも……」
この雨足で傘が一つでは、お互いに片方の肩を濡らしながら帰ることになる。
気温も下がって冷んやりとしているから、濡れた先から身体も冷えてしまうし、私が半分使ったせいで斎藤さんが風邪をひいたりしたら申し訳ない。
そんな私の心中を知ってか知らずか、斎藤さんは私の腕を掴んで歩き出した。
「わっ! 斎藤さん!?」
「何だ?」
「何だじゃなくて、濡れちゃいますよ? 私のことはいいんで一人で使ってください」
借りることは諦め傘の柄を斎藤さんの方へ押しやるけれど、すぐに私の方へと傾けられる。
そんなことを何度か繰り返しながら歩いていれば、案の定、私の肩は全く濡れていないのに対し、斎藤さんの反対側の肩はだいぶ濡れていた。
慌てて懐から取り出した手拭いで拭けば、私の腕を掴んでいたはずの斎藤さんの手が肩に回された。
「さ、斎藤さん!?」
「こうすれば、俺もお前も濡れずに済む」
「そ、それはそうなんですけどっ」
ち、近すぎる!
確かにこれだけ密着すれば濡れないけれど、何だか紫陽花を見た雨の日を思い出して、余計に恥ずかしいのだけれど!
「嫌ならお前が一人で使うといい。俺は濡れて帰る」
「なっ、そんなのダメです!」
「そうか、ならば諦めろ」
斎藤さんの唇は三日月のような弧を描いていて、何だかまたからかわれているような気がしなくもない。
とはいえ、せっかく迎えに来てくれたのにずぶ濡れになられては申し訳ないので、結局、屯所につくまでそのままなのだった。
屯所につくと、さっそく土方さんに今日の報告をした。
特に収穫と呼べるようなことはなかったけれど、念のため、宮部と呼ばれた人物と忠蔵と名乗る付き人が通り、傘を貸したことを報告した。
「お尋ね者が堂々と歩いてるとは思えないし、十中八九、宮部違いだと思います」
裏を返せば、それくらいしか報告できるようなことがないということなのだけれど。
そんな平和な一日は、ご苦労だった、という土方さんの労いの言葉で締めくくられるのだった。
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