062 大晦日

「明日は大晦日だな」


 布団を敷き終えた私に、土方さんがそう言った。あまりの忙しさに、とうとう日付感覚も麻痺したらしい。


「土方さん、明日は三十日ですよ」

「ああ、だから大晦日だろう?」

「大丈夫ですか? 十二月の三十日です」

「ああ? だから大晦日だろうが!」


 いやいや、大晦日は三十一日でしょう!

 四年に一度、閏年の二月だけは二十八日が二十九日になるけれど、それ以外の月は三十日か三十一日と決まっている。

 そして十二月は三十一日ある。三十日で終わる十二月なんて聞いたことがない。


「土方さん、よっぽど疲れてるんですね。早く寝た方がいいですよ」

「俺の心配するより、自分の頭ん中身を心配した方がいいぞ。今月は大の月だから三十日だ」

「十二月が大の月だってことくらい知ってますよ。“西向く侍”って言うじゃないですか。っていうか、大の月なんだから三十一日なきゃダメじゃないですか!」


 一ヶ月の日数が三十日以下の小の月は、二、四、六、九、十一月だけだ。

 これを語呂合わせで読むと、“に・し・む・く・さむらい”になる。十一が侍なのは、漢数字で縦にくっつけて書くと“士”になる。だから、“西向く侍”。

 それ以外の月は大の月で、三十一日なければならない。


「侍がどこ向こうが、大の月は三十日しかねぇだろうが!」


 そこまで言われてはたと気がついた。そう、ここは幕末、旧暦なのだと……。

 現代では太陽の動きを基準にしている太陽暦だけれど、ここでは月の満ち欠けを基準にしている旧暦……太陰太陽暦。

 確かに、ここへ来てから三十一日の月はなかったかもしれない。正直、あんまり覚えてはいないけれど。


「もういい。お前にとっちゃ大変な年だったからな。疲れてるんだろ、早く寝ろ」


 ついさっき、私が口にしたような台詞が返ってくるのだった。






 そして翌日、大晦日。

 夜になると、屯所の広間には大勢の隊士が集まった。何度も言うけれど、三十日なのに大晦日。

 あまり考えないようにしていても、こういう違いにどうしたって現代のことを思いだす。

 はぁ……とこぼれたため息は、隊士たちの蕎麦をすする音に紛れて消えた。

 この時代にも年越し蕎麦を食べる習慣があったんだ……と少しだけ感動しながら私も蕎麦をすする。


 食べ終わる頃には、宴会となっていた。

 すると、近藤さんが一年の締めくくりらしい挨拶をし始めて、みんな一斉に近藤さんの方に向き直る。決して堅苦しいものではなくて、隊士たちを労いつつもみんなを鼓舞するような、近藤さんの人柄がよくわかる挨拶だった。


「では最後に、今年は我ら新選組がその名を賜った大切な年であった。そしてこれからも、その名に恥じぬよう皆の活躍を期待している。……と、堅苦しいのはここまでにして、あとは皆、好きにしてくれ。羽目を外し過ぎない程度にな」


 そう言って近藤さんが大きな笑窪を作ると、広間は一気に騒がしくなった。

 そしてふと気づく。今日はやたら隊士の数が多いことに。


 時々、隊士たちが宅飲みならぬ屯所飲みをしているのは知っているけれど、こんなに人数が揃っているのは見たことがなかった。

 なぜならここで男だけで飲むより、島原へ行って綺麗なお姉さんと飲む人も多いから。それこそ大晦日の夜なんて、島原にでも繰り出してパーっとバカ騒ぎしそうなのに。


 真っ先に島原へ飛び出して行きそうな永倉さんたちでさえ、今日はこの広間でお酒を飲んでいる。気になって仕方がないので、お酌ついでに訊いてみた。


「永倉さん、今日は島原へ行かないんですか?」

「当たり前だろう。今日は大晦日だぞ?」

「はい。大晦日だからこそ、行くのかと思ったんですけど」

「何言ってんだ? 年神様を迎えるんだから、遊びになんか行ってられないだろう」


 そういうものなの?

 けれど、あの永倉さんですらそう言うのだから、きっとそういうものなのだろう。


「ほら、春も飲め」


 永倉さんの隣にいた原田さんが、私に向かって徳利を差し出した。


「あ、すみません。私、まだ二十歳じゃないので飲めないんです。なので、原田さんどうぞ」


 そう言って徳利を受け取ると、原田さんの杯にお酒を注いだ。


「二十歳まで飲めねえって、願掛けか何かしてんのか?」

「あ、えーっと、そんな感じです」


 単に未成年者飲酒禁止法を守っているだけだけれど、願掛けとした方がなんだか格好いい。

 願掛けの内容を訊かれたけれど、内緒です、と笑って誤魔化した。すると、すぐ近くで会話を聞いていた藤堂さんが、杯を片手に僅かに口を尖らせる。


「何だよ、どっちがたくさん飲めるか勝負したかったのに」

「藤堂さん。変な対抗心燃やすのはやめてください。そもそも、お酒はそんな飲み方したらダメですからね!」


 全く、急性アルコール中毒にでもなったらどうするのか。

 この時代の医療技術はまだまだ乏しくて、民間療法的なものも普通に横行している。

 とはいえ、そんな私の心配などお構いなしに、隊士たちのほとんどが普段からよくお酒を飲む。

 現代に比べたら娯楽は遥かに少ないし、それに何より、日々命をかけて仕事をしている人たちにとって、楽しみな時間であることには間違いなかった。


 しょうがないかぁ……。そう思いながら、挨拶も兼ねて隊士たちにお酌をして回るのだった。




 いつから届き始めたのか、遠くに除夜の鐘らしき鐘の音が響いていた。

 この時代、年越しのカウントダウンというものはきっとない。なぜなら、“秒”という単位が存在しないから。


 時間の最小単位は四半刻。およそ二時間の一刻を四つに分けた時間、つまり約三十分。

 現代では考えられないけれど、それがこの時代の時間の最小単位。

 除夜の鐘は、最後の百八回目を新年と同時に撞くと聞いたことがあるけれど、いちいち数えていることも出来ないし、きっと、今年は気がつけば新年を迎えているのだと思う。




 相変わらず広間は賑やかで、それでも少しずつその音が遠のく瞬間が増えた。

 ここで過ごすことになってからの四ヶ月とちょっと……想像以上に早寝早起きの習慣が染みついてしまったようで、気がつくとこくこくと頭を揺らしていた。

 不意に、頭の横に何かがトンとぶつかる感触がしたと思ったら、頭のすぐ上から声がした。


「部屋へ行くか?」


 ゆっくりと瞼を開けながら声のした方に顔を上向ければ、すぐ目の前に私を見下ろす斎藤さんの顔があった。

 あまりの近さに驚きで目を見開くと同時に、自分の身体が大きく傾いていることに気づく。どうやらとうとう寝てしまい、斎藤さんの肩を枕にしていたらしい。


「眠いのなら部屋で寝ろ。添い寝くらいはしてやるぞ?」

「え……あ、あの、す、す、すみませんっ!」


 慌てて飛び退くと、くくっといつものように笑われた。あの顔は、絶対にからかって楽しんでいる顔だ。

 というか、いつの間に斎藤さんの隣へ来ていたんだ? 斎藤さんの方から来たのか?

 わからないくらい、眠気も限界だったらしい。


 急に熱くなった身体と、まだ完全には抜けきらない眠気を冷まそうと、広間を出て縁側に腰掛けた。

 肌を刺す冷たい空気に思わず身震いを一つすれば、さっきまでの眠気も嘘のようにどこかへ飛んでいく。

 もう少しだけこのままここにいようと、両手を後ろにつき、垂らした足を揺らしていた。


 今日の宴会には、山南さんは広間に来ていない。

 山南さんは二日前から風邪で熱を出し、今も床に臥せっている。他にも数人が風邪で寝込んでいて、広間に顔を出していない隊士もいるけれど、山南さんは腕のこともあるので余計に心配だ。

 お蕎麦を食べる前に様子を見に行ったけれど、ほとんどお蕎麦も口にせず、またすぐに眠ってしまったので、起こさないようにそのまま部屋をあとにした。


 こぼれ落ちそうなため息を堪えるように見上げた月のない夜空は、冬の澄んだ空気と相まって、たくさんの星がきらきらと輝いている。


「風邪を引いてしまいますよ?」


 優しい声と同時に、ふわりと羽織を肩にかけられた。驚いて振り返れば、すぐ後ろに山崎さんが立っていた。


「……ありがとうございます」

「気にしないでください。今日は一段と冷えます。このままでは本当に風邪を引いてしまいますよ?」

「滅多に風邪引かないので大丈夫ですよー。どこかの鬼の副長にも、バカは風邪引かないって言われるくらいですし」


 そうおどけてみせれば、鬼の副長……と苦笑された。つられて同じような笑みを返すと、ゆっくりと伸びてきた山崎さんの手が私の手を取った。


「ほら、やっぱり冷えてます。風邪を引かなかったとしても、女性が身体を冷やすのはあまり良くないですよ」

「あ……えっと……はい、すみません」


 突然、こんな風に丁寧に女性扱いされては少し擽ったい。

 眠気も覚めたことだし、山崎さんに促されて広間へ戻ることにした。

 広間では、何やら近藤さんを中心にして盛り上がっているようで、何をしているのかと、そっとその輪の中を覗いてみれば、私に気づいた沖田さんに手招きをされた。


「春くん、ほら、近藤さんのいつもの始まりますよ」

「いつもの?」

「あれ? まだ見たことないですか? なら、見てみるといいですよ」


 沖田さんに促されるまま近藤さんを見ていると、なんと自分の握り拳を口の中に入れてしまった。

 途端に周りからは歓声が上がり盛り上がるけれど、顎が外れたりしないのかと心配になる。

 沖田さん曰く、近藤さんは宴会などで気分がよくなると、今みたいにしてさらに盛り上げるらしい。


「凄いですね」

「僕も何度か試したことあるんですけど、どう頑張っても無理でした」


 そう言われて私も試そうとしていると、近くにいた井上さんに笑って止められた。


「待て待て、春の小さな口じゃ無理だと思うぞ」

「えー、やってみなきゃわからないですよ?」


 そう言って試してはみるものの、顎が外れるとか心配する前に、どうあがいても無理そうだった。

 黙って見守っていた近藤さんも、腕を組み豪快に笑う。


「そう簡単にできては困るぞ。俺の見せ場が失くなってしまうからな」

「おいおい、新選組局長の見せ場がこれか……」


 すぐさま入った土方さんの突っ込みに、広間にはどっと笑いが沸き起こる。

 ここへ飛ばされてからというもの、色々なことがあったし、これからも色々なことがあると思う。

 それでも今この時は、凄く穏やかな時が流れているとそう思うのだった。

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