060 死番の代行

 煤払いから数日後。

 いつまでも見習いというわけにはいかず、日を追うごとに巡察に出る頻度も上がるなか、今日は藤堂さんと一緒だった。


 市中では歳の市が開かれていて、正月を迎える準備に追われる人たちで賑わっている。

 年末の慌ただしさや独特な賑やかさは、今も昔もあまり変わらない気がする。

 とはいえ、ここへ来てからおよそ四か月。まさか、幕末で新年を迎えることになるなんて思わなかった。


 そんなことを考えながら、巡察はいつも以上の注意を払う。

 これだけ人が集まれば、それなりにいざこざが起きるのはある意味必然的……と言っても、町人同士で刃傷沙汰という物騒な事件が起きることもなく、せいぜい些細な喧嘩を仲裁したりする程度だけれど。


 今朝は、死番の隊士が腹痛を訴え休んだので、急遽、空いた死番は私が買って出た。どの道、代わって欲しいと交渉するつもりだったので、何も問題はない。

 死番なんて、心眼を持っている私がやるのがもっとも理にかなっているのだから。




 賑わう大通りから外れた路地裏で、空き家らしき長屋の一角を改めることになった。

 死番としての務めを果たすべく扉に手をかれば、突然、藤堂さんが私の肩に手を乗せた。


「春、待って」

「え? ど、どうかしましたか?」


 直前で止められると、不安になるじゃないか……。


「オレが先に行く」

「へ?」


 私の返事を待つどころか、藤堂さんは掴んだ私の肩を後ろへ押し戻すなり、勢いよく扉を開けて入っていった。


「藤堂さん!?」


 何なの!? 追いかけ私も中へ入るけれど、何の変哲もないただの空き家だった。

 それからというもの、私が先へ行こうとすれば決まって、オレが先に行く、となぜか藤堂さんが前へ出たがった。


「藤堂さん! 私が先に行きますから!」


 死番を代わったのは私だし、どう考えたって心眼を持つ私が先に行くべきなのに!

 けれども、全く聞き入れてもらえない。


「藤堂さん!」

「春には負けたくないし……」

「……は?」


 やっと回答をもらえたかと思えば、負けたくないってどういうこと!?


「あのですね、死番に勝ち負けなんてないですからね?」

「なら、春こそ大人しくしてれば? あとはオレがやるから下がってていいよ」

「藤堂さんも知ってますよね? 私の心眼のこと。……なら、わかりますよね!? 私が死番をやるのが一番いいんです!」


 私を捉える藤堂さんの目が、一瞬だけ鋭く細められた。


「だから何? オレには心眼がないから斬られるとでも言いたいの?」


 私に対して初めて見せる怒気を含んだ視線とその声音に、怯みそうになるのを堪えて手を握りしめた。

 ここで引くわけにはいかないから、殴られることすら覚悟で口を開く。


「……その可能性だって――」

「あのさ、なめないでくれる? そんなものなくたってオレは簡単に斬られたりしないし。だいたい死番なんてさ、誰がやったって危険なことに変わりはないでしょ」


 私の言葉を遮った藤堂さんは、予想に反して怒るというより呆れに近く、ため息すら混じっている。

 けれど、納得なんてできない。


「危険だからこそ、心眼が役に立つんです。だから――」

「だから何? オレよりも弱い奴に任せっきりなんて癪だし」

「……は? 癪って……そんな理由!?」

「悪い? 春には負けたくない。それだけだよ」


 まるで宣戦布告とでも言いたげな顔で、わざとらしく微笑んでいる。

 藤堂さんはいつもこうだ。私に対してやたら対抗心を燃やしてくる。

 こうなってしまっては、今さら説き伏せることは難しい。不本意だけれど、私にできることはもう一つしかない。


「私だって負けませんから」


 藤堂さんより先に行けばいいだけのこと。言葉で理解してもらえないのだから仕方ない。

 とはいえ、二人で先陣を競っていたせいか、周りの隊士たちは若干呆れていたと思う……。




 巡察を終え部屋に戻れば、話がある、と言う土方さんと向かい合わせに座った。


「今日、巡察を休んだ隊士がいただろ」

「はい、腹痛で辛そうでしたけど……何かあったんですか?」


 まさか、症状が悪化したとか?


「ああ、あった。そいつな、仮病だった」

「え? 仮病? ……何だぁ、よかった」

「馬鹿野郎。良いわけねぇだろうが」

「あ、確かに仮病でサボ……怠けるのはよくないですよね」

「そんなことはどうでもいい」


 ん? サボりが問題ないって言うなら何が問題?

 思わず首を傾げれば、土方さんが腕を組み直した。


「そいつから詳しく話を訊いた。お前、最近死番を買って出てるらしいな?」

「はい」


 どうやら私が死番を引き継いでくれると思い、ずる休みをしたらしい。


「わざわざ仮病なんて使わなくても……」

「代わってやったのにって?」

「はい。だって、私には心眼が――」

「いいか、よく聞け。金輪際、無闇に死番を引き受けるのはやめろ」

「……え?」


 予想外の台詞に思わず反論するも、土方さんは、それ以上に信じられない言葉を口にした。


「お前はあいつらを危険から守ってるつもりかもしれねぇがな、逆にあいつらの命を縮めることに繋がってるんだぞ」


 死番は真っ先に狙われるから、その分命を落とす危険性が高い。だからこそ、心眼を持っている私が引き受けることで、隊士を守ることに繋がっていると思っている。

 それがどうして命を縮めることになるのか……土方さんの言っていることが理解できなかった。


「わからねぇか? 死番を代わればその時はそれでいいだろうが、毎回お前が代わってやれるわけじゃねぇだろ。死番をやることで度胸なんかもつけてくんだよ。だが、お前がその機会を奪っちまってる。そんなんで、いざって時どうする? そいつはまともに戦えるのか?」

「それは……」

「斬り合いなんてのはな、剣の腕なんか大して問題じゃねぇんだ。いざ敵を前にした時、戦う度胸があるかねぇかなんだよ」


 そうだ……そうだよ……。どうしてそんなことにも気がつかなかったんだろう。

 剣の力量が勝敗に影響するのは、お互いが剣を振るうことにためらいがない場合だけだ。そもそも、度胸がなければまともに対峙することすらできない。


 ここへ飛ばされて初めて新見さんに刀を向けられた時、それが本物だとわかり、殺されるかもしれないと思った瞬間、私は……全てを投げ出してその場から必死で逃げ出した。

 度胸の一切を持ち合わせてなんかいなかった。


 今思い出しても、それが普通の人の行動なのだと思う。

 けれど、ここにいる人たちに逃げるという選択肢は与えられていない。背を向けて逃げ出そうものなら、士道不覚悟の法度に触れて切腹になりかねない。

 対峙する度胸もなければ、そこにあるのは斬殺か切腹か……いずれにせよ、私が遠ざけているはずの死だ。


「お前があいつらを守りたい気持ちは理解してる。心眼が有用なのもわかってる。だがな、あいつらを本当に助けたいと思うなら、見守ることも必要なんだよ。わかるか?」


 土方さんの声は怒ってなんかいなかった。ただただ諭すような、そんな響きだった。

 気づけば俯いていて、膝の上できつく握る手が見えた。そっと畳の上に下ろし、甲に額をつけるようにして頭を下げた。


「はい……すみませんでした」

「あのなぁ、頭上げろ。謝らせるために言ったわけじゃねぇんだから」


 わかっている。怒るでも謝らせるわけでもなく、ただ、優しく諭してくれただけだ。

 けれど今、顔を上げるわけにはいかない。


「ちょっと頭冷やしてきます」


 俯いたままそう告げると、顔を見られないよう慌てて部屋を出た。

 土方さんの前で涙は見せたくなかったから。




 とはいえ、特に行く当てもなく、日暮れを前に一人で市中へ出るのも心細い。

 戻るに戻れなくて、中庭へ行き縁側に腰かけた。今日は一段と寒いせいか、先客はいなかった。


 みんなを助けたい……その一心だったけれど、土方さんが言ったことはもっともだった。

 今後、全ての隊務を肩代わりできないのであれば意味がない。中途半端に代わるだけでは、むしろ、彼らの成長を妨げているだけだ。

 私のしていたことは、ただの自己満足と偽善行為に過ぎなかった。


 うっかり瞬きをしたら溢れそうで、慌てて手で拭った。

 ふと、目の前を白いものが落ちていき、顔を上げれば、空から大粒の雪がゆっくりと舞い降りていた。


「どうりで寒いわけだ……」


 誘われるように中庭に降り立てば、数歩歩みを進めた先でおもむろに掌を出す。

 舞い落ちた雪が、熱で解けて水に変わる。


「今なら、泣いても隠してくれるかな……」


 しばしの間、目を瞑ったまま天を仰いだ。顔にかかる雪は冷たいけれど、すぐに解けてしまうから大丈夫。積もることはない。




 どれくらいそうしていたのか、不意に、背後から土方さんの声がした。


「風邪でも引くつもりか?」

「……雪を見てたんです。綺麗だったから」


 振り返ることもせずそのままの姿勢で答えれば、ふっと鼻で笑われた。


「目を瞑ったままで雪が見れるかよ」

「あ……。み、見れますよ! 心で感じるんですっ!」


 もっとマシな誤魔化し方はなかったのかと自分自身に呆れながら、瞼の上で溶けた雪を拭った。


「そうかよ」


 微かに笑いを含んだ声とともに、一歩ずづ私へと近づく足音が聞こえて振り返れば、縁側に立っているものだとばかり思っていた土方さんがすぐ後ろに立っていた。

 そして、髪に降り積もっていたらしい雪を手で払ってくれる。


「あ……ありがとうございます。えっと……私に何か用ですか?」

「茶を淹れに行くのに通りがかっただけだ。どっかの雑用がなかなか戻って来ねぇんでな」

「すみません……」

「馬鹿、冗談だ。お前はもう雑用なんかじゃねぇだろ。ちゃんと新選組の隊士だ。もう少し自信と自覚を持て」


 思わぬ言葉に土方さんの顔を見上げるけれど、ほぼ同時にくるりと反転されてしまい、表情を見ることはできなかった。


「いつまでもそんなとこに突っ立ってねぇで、さっさと茶でも淹れて来い。風邪引くぞ」

「大丈夫です! これくらいで風邪引くほどやわじゃないですから」

「ああ、そうだな。何とかは風邪引かねぇって言うしな」

「そうそう、バカは風邪引かな……って、すぐ人をバカ扱いするのやめてください!」


 さっさと縁側へ上がった土方さんを追えば、楽しげに口の端を吊り上げる顔が、私を見下ろしおでこを弾いた。


「うるせぇ。馬鹿は馬鹿らしくそうやって喚いてろ」

「イタッ! 何するんですかっ! ていうか、言ってること矛盾してますけどっ!?」


 うるさいと言いつつ喚いてろって、どっちなのさ!

 そのまま土方さんは、私の反論も無視して部屋の方へと戻って行くけれど……。

 もしかして、わざわざ慰めに来てくれた?


 ……いや、違うか。ああ見えて面倒見のいい人だから、子供を心配する父親にも似た心境なのかもしれない。

 土方さんは時々、絵に描いたように口うるさい父親みたいになるし。


 それでも、少し元気が出たのも事実。今日は雪も降ってきて寒いから、土方さんの好きな熱めのお茶でも淹れて戻ることにするのだった。

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