024 髪を切ることの意味

 大坂での警備の任を終え、京の屯所へ戻ってきてからというものの、髪を切った事情を知らない隊士たちと顔を会わせるたびに色々と訊かれた。

 そのつど説明するのもいい加減面倒くさくなって、気分転換です、とやり過ごしていたら、芹沢さんの女を横取りして逆鱗に触れたとか、芹沢さんの気に入りだからって調子に乗り過ぎたんだろうとか、わけのわからない噂がたった。


「ほんっといい迷惑!」


 昼餉のあと、縁側で手鏡片手に髪を切り揃えていたら、つい口に出してしまった。

 かろうじて結べる長さだったので、わざわざ切り揃えるつもりはなかったけれど、外野のあまりのうるささにむしゃくしゃして、勢いで切ることにしたのだった。


「ほっとけ。言いたい奴には言わせておけ。人の噂も何とかって言うだろ」


 溜まった書状に目を通していた土方さんが、そんなことを言ってきた。

 どうやら考えていたことはバレていたらしい。


「それより、俺が男色だという噂を耳にしたんだが……お前、何か知らねぇか?」

「土方さん、男色だったんですか?」

「ちげぇよ! 大方、お前と相部屋なのが噂の原因なんだとは思うが……」


 私と相部屋にしたばっかりに男色疑惑とは、何と不憫な……って、あれ?

 少し前に、私も永倉さんに似たような疑惑をかけられたような?


「……あ」

「おい。お前、何か知ってるな。話せ」

「な、何のことでしょう?」


 ヤバイ、もしかしなくても私のせいだ。

 思い当たる節がありすぎて思わず視線を逸らせば、土方さんがずかずかと私の側へやって来る。


「そうだ、稽古行ってきます!」


 逃げるように立ち上がるけれど、一足遅かった。


「詳しく訊かせてもらおうか」


 私の両肩にはすでに土方さんの手が乗せられていて、目が全く笑っていない笑顔で強制的に座らされた。

 ここまでバレたら誤魔化しなど一切通用するはずもなく、諦めて大坂での出来事を話した。




「……というわけで、私が女だとバレないための尊い犠牲となったわけです」

「何が尊い犠牲だ、馬鹿野郎! もっとマシな誤魔化し方はなかったのかよ!」

「大丈夫ですよ。ほら、人の噂も何とかって言うじゃないですか? ……って、イタッ!」


 笑顔で励ましたのにデコピンが飛んで来た。土方さんだって、ついさっき同じことを言っていたのに何でだっ!


 そんなことより、とっとと切り揃えて午後の稽古へ行こう。

 とはいえ、横は何とかできたけれど、後ろは難しい……。やっぱり後ろだけは誰かにお願いしよう。

 そう思って、視界に入る土方さんに頼むも断られた。

 仕方ないので他の人を探しに行こうとすれば、最初に切ったのも俺だしな……と渋々承諾してくれた。


「せっかく、少しでも結える長さを残してやったってのに、お前は……」

「あ、やっぱり私のは加減してくれたんですね。すみません……」


 背後に立った土方さんが、櫛で髪をとかしてからゆっくり鋏を動かした。


「お前は、女が髪を切ることの意味をわかってるのか?」

「……意味? そういえば、小虎さんとお鹿さんも、あんな状況なのに切りたくないって言ってましたね……」

「女が髪を切るなんざ、仕置か出家する時くらいだ。俗世と縁を断つってことだ」

「俗世と縁を……」


 まるで、元の時代に帰れない私みたいで丁度いいじゃない。上等だっ!

 一人自嘲してみれば、土方さんが思い出したように小虎さんとお鹿さんの話を始めた。


 小虎さんは、女の命でもある髪を切られてさえ嫌な客に肌を許さなかったことが良い意味で噂になり、裕福な町人からの身請け話が出ているらしい。

 お鹿さんは、仲居としての仕事が出来なくなってしまったので、永倉さんが引き取り嫁ぎ先を探してあげるのだとか。


 小虎さんとお鹿さんが、ただ理不尽に髪を切られて終わりということにはならなそうで、少しだけほっとした。


「出来たぞ」

「ありがとうございます」


 鋏を受け取ろうと振り返れば、私を見下ろす土方さんと目が合った。

 哀れみとは違う、どこか悲しげな目をしている。


「土方さん?」

「あ、いや。悪かったな」


 そう言うと、片手を私の短くなった髪に滑らせた。


「せっかく綺麗な長い髪だったのにな。すまなかった」

「土方さんのせいじゃないですよ? 私が自分で決めたことですし。それに、洗うのも乾かすのも早いし、案外悪くないですよ、これ」

「……そうか。けど、そう言ってもらえると少しだけ気が楽になる」


 そう言って苦笑する土方さんは、私の頭をポンと一撫ですると、ありがとな、と呟き文机に戻って行った。


 いくら芹沢さんの命令だったとはいえ、自分の手でしたことに少なからず罪悪感を抱いているのだとしたら、なんだか申し訳ない。

 こんなに短くしたのは初めてだけれど、髪なんていずれ伸びるものだし、小虎さんたちのように職を失うわけでもない。

 だから、あんな顔をされると逆に申し訳ない気になる。


 しつこく言っても逆効果な気がするから、この話はこれでお終いにして、いつも通り午後の稽古へ向かうのだった。




 稽古場までもう少し、というところに新見さんがいた。

 新見さんには近づくな、と言われているけれど、そこを通らねば稽古場へは行けない。いくら何でも横を通り過ぎるくらいで怒られたりはしないだろう。


 新見さんと最後に会話をしたのは、強盗紛いの押し借りを止めようとして怪我をした時。

 何だか気まずいけれど、挨拶もせず通り過ぎるのはもっと気まずいので、すれ違い様に挨拶だけはしようとした時だった。


 おい、と私より先に新見さんが口を開く。


「えっと、私……ですか?」


 そう言って恐る恐る新見さんの方を見ると、もの凄く不機嫌な顔で睨まれた。どうやら私のことらしい。


「そこまでされて、なぜまだここにいる?」

「え? ……何がですか?」


 新見さんに突き飛ばされて、額を怪我したことか?

 だとしたら、自分でそれを言う!?

 ……と少しだけ顔が強ばるのを感じれば、新見さんの手が、私の髪を持ち上げるように一束つまみ上げた。


 ああ、髪のこと。


「短くしたのもここにいるのも、全部自分で決めたことです」


 そう答えると、髪をつまんでいた手は何も言わずに離れていった。


「まだ痛むか?」


 代わりに訊かれたのは、今度こそ額の傷のことだろう。


「大丈夫です。出血ほどの傷じゃなかったんで。痕も残らないと思います」


 すると、またしても新見さんの手が伸びてきた。

 今度は髪の横ではなく額の方……傷の具合でも確認するつもりなのか、前髪へと伸ばされるけれど、それが私に届くことはなかった。


「琴月、稽古はどうした?」


 稽古場入り口の少し先の方から、突然、斎藤さんが現れたからだった。

 視線を新見さんに戻せばその手はすでに引っ込められていて、代わりに現れた反対の手には、小さな紙包みが握られていた。


「すまなかったな」


 ぶっきらぼうにそう言って、手にした包みを私に押しつけ去って行った。

 そして、隣にやって来た斎藤さんが私の手元を覗き込む。


「それは?」

「……さぁ。すまなかった、と言って渡されました」


 包みを開けてみれば、お花を型どった可愛らしい落雁だった。


「怪我を負わせた詫びのつもりか」


 斎藤さんがそう言った。

 ……そう、なのかな?


 確かに、それ以外に新見さんから貰う理由なんてないから、そうなのかも。

 ちょっと……いや、かなり意外だけれど。

 せっかくだから、稽古のあとにでもいただこうと包み直した。


「新見さんには近づくな、と土方さんにも言われただろう? あまり不用意に近づかない方がいい」


 そう言って、新見さんが去っていった方を見つめる斎藤さんの目は、もの凄く険しい。思わず声をかければ、私に向き直りながら髪を撫でてきた。


「吉田屋で切った時より短くなってるな。出家でもするつもりか?」

「違います! みんな好き勝手言うから、気分転換に切っただけです。どうせすぐ伸びますし」

「そうか。色んな噂が立っているようだが気にするな。お前は悪くない。堂々としていろ」


 励ましてくれるのは嬉しいけれど、斎藤さんはいまだ私の髪に触れたまま……この状態はかなり恥ずかしいのだけれど!?

 きっとまた、私の反応を楽しむつもりなのだと思うと、最初に抱いた斎藤さんのイメージがどんどん違うものになっていく……。


「あ、あのー、斎藤さん?」

「何だ?」


 何でもないことのように堂々と返されては、この程度で恥ずかしがる自分が余計に恥ずかしい気にさせられるじゃないか!

 そして、追い討ちをかけるように斎藤さんが言う。


「短くともお前の可愛らしい顔になら似合っているぞ」

「か、からかわないで下さい!」

「事実を述べたまでだが?」

「さ、斎藤さんっ!」


 ゆっくりと手を離した斎藤さんは、隊務があるから、とそのまま行ってしまった。

 その後ろ姿は僅かに肩を上下させていて、またしてもからかわれたのだと思った。


 そんな背中を見送りながら、ふと、先ほどの会話を思い出す。

 出家でもするつもりか、と冗談混じりに言っていたけれど、そういえば土方さんも、女が髪を切るのは出家する時だと言っていた。


 心臓が嫌な音を奏で始めれば、上気した頬が一瞬で冷めていく感覚がする。

 もしかして斎藤さんは、私が女であることに気がついている……?


 はっきりと言われたわけではないし、下手に自分から確かめにいっても墓穴を掘りかねない。


「気のせいだよね……」


 そういうことにして、稽古場へと入るのだった。

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