脱兎の如く

 カミラ達三人が部屋を出た瞬間、ヴィヴィットのすらりとした足が警備員の男の顔面を蹴り飛ばしていた。それから三人が来た事に気付き、髪の毛を掻き上げて小さく微笑む。

「放送聞こえてたわよ、エルリック...、相も変わらず馬鹿丸出しって感じね」

「うるっせぇ、っよ!」

 エルリックはヴィヴィットの背後に迫っていた人間の脇腹にナイフを軽く滑らせ、服と薄皮一枚を切り裂く。そして、イレブンを肩に担いだ。

「うわ、くそ重...」

「あ、当たり前でしょ!?あたしはアンドロイドなのよ?!お、下ろして」

「お前の足に合わせたら遅ぇんだよ。外に出りゃいいんだろ?」

「うん」

「裏口から回るわよ。このまま正面はまずいわ」

 ヴィヴィットの指示通り、四人は追ってくる人間を次々と蹴飛ばしながら走り去って行った。


「大丈夫ですかッ!?」

 襲撃のあった部屋へ、警備隊が入る。彼らはあくまでも警察のように犯人を追うのが仕事ではなく、依頼人の命と安全を守るのが仕事である。

「ええ、私とルーディシア、アイドル達三人は大丈夫ですが...、スタッフが」

 アズリナはスタッフ全員の意識を確認しながら、入ってきている護衛役の人間へ中の様子を伝える。

「大丈夫ですか」

 護衛の一人が、キナンに近付いて擦り傷などの確認をする。

「あぁ、大丈夫です」

 キナンはそう答えながら、目の前の顔を見る。赤い瞳と黒髪に、キナンは息を呑んだ。目の前の男も、キナンと似たような反応をする。

「キナン?」

 シャルティエが不思議そうに問いかける。その言葉を聞いて警備員の目が大きく見開かれた。

「...........キナン、なのか...?」

 震えた声で、彼はそう言った。その瞬間、キナンの胸に何か迫ってくるものがあった。口から溢すと、止まってくれない何かの思いが。

 肩に触れて来た手をすぐさま払い、キナン一人で部屋の外へと駆け出して行ってしまった。

「ッキナン!?」

 フラウが慌てて追いかけて行き、同じく行こうとしていたシャルティエはすぐに足を止めて警備員の男の方を向いた。

「貴方、誰?」

 明らかに警戒心剥きだしのシャルティエに対し、彼は少し眉を寄せてから「ヨヒラ・ラエネックだ」と名を名乗った。

「......ヨヒラ、ふぅん...。キナンくんの、知り合いだった人?」

「知り合いじゃない。――――――兄、だ。...俺の弟と同一なら」

 シャルティエは大きく目を見開いて、それから目の前の男を見た。確かにどことなくキナンに目元や雰囲気は似ているような気がする。だが、それを判断する事は出来ない。

「...ねぇ、これが全て終わったら、アリステラ駅の近くに来て。その顔はもう、覚えたからさ」

 シャルティエはそれだけ言って、キナンとフラウの後を追って走って行った。

「ちょっと!シャルティエさんまで行かないでよ」

 アズリナの制止する声も聞かず、シャルティエは去って行った。ヨヒラは静かに目を閉じて、それからぐっと拳を握った。


 キナンは混乱していた。

 自分の記憶はない。という事は昔に出会った事のある人なのかもしれない。ならば、どうしてここまでぐしゃぐしゃとした気持ちになっているのか。

 はっ、はっ、と息を正しながら、壁に寄り掛かる。

「キナン!」

 追いついたフラウが背中を叩くと、びくっとキナンの肩が震えてフラウの手を叩いた。そしてキナンがそれにすぐ気づき、手を擦りながらフラウに頭だけ下げた。

「っあ...........、わ、悪い.........」

「いや、ううん、平気。むしろ、キナンが痛いんじゃない...?」

 キナンが叩いたのはフラウの改造部分の左腕で、痛んでいるのはフラウよりもキナンの方だ。だが、それをあまり気にする事が出来なくなる程、酷く混乱していた。

「......あの人、知ってる人?俺は、...少なくとも孤児院では見た事なかった人、だけど?」

「分かんねぇ...。でも、何か変な感じがして...。だから、逃げて...。そうしたら、収まるんじゃないかって......」

「変...?それって、キナンの無くなってる記憶との関わりがある――とか?」

 確信を突いたようなフラウの言葉に、キナンは思わず閉口する。黙り込んでいるのを正解と捉えたフラウは、小さな生返事を返してからキナンの手首を左手で握った。

「は?」

「会いに行こう!もしかしたらキナンの記憶、戻るかもしれないんでしょ?なら、あの人に会って話を聞いてみようよ」

「はぁ?!何で、そうお前はこういう時に行動力高いんだよッ」

「な、何で、って...、キナンの事だからだよ!俺がこう、やる気満々になるんじゃなくて、むしろキナンがやる気満々にっ」

「何?女の子を犯す話でもしてるわけ?」

 そこへ、追いついたシャルティエが口を挟んだ。彼女の発言にフラウはわなわなと唇を震わせて、肩を激しく揺らす。

「女の子がそういう事言わないで!」

「えー、でもやるとかやらないとか、私的にはそういう風な意味に聞こえちゃってさぁ?」

 けらけらと笑う彼女に、フラウは呆れたように溜息を吐いた。シャルティエはすっとフラウの横を通り過ぎて、キナンの目の前に立つ。

「今回の事が終わったら、アリステラ駅近くに来て、って言っておいた」

 誰に、とは言わなくてもこの場の三人には分かる。キナンがくっと顔を歪めたのを、シャルティエは目敏く見つけた。そして、背伸びをしてキナンの頬を抓る。

「ッへめ、ひゃるッ」

「いい?記憶を取り戻してもらうっていうのは勿論あるけど、それより前に家族がいてくれてる可能性があるなら、知っておいた方がいいって思うからだよ?」

 その言葉にキナンは僅かに目を大きくする。

 フラウにはマフィアの抗争に巻き込まれた事により、家族はもういない。シャルティエにも、まだ生きているかどうかは分からないが、売ったという事になると家族ではないのかもしれない。そういった意味では、キナンはまだ恵まれているのだ。

「...なぁ、俺が記憶を取り戻して、今までの俺じゃなかったら...」

「どうもないよ。キナンはキナンだから」

「そーそー。別に扱い変わるわけないでしょ」

 垂れ目を更に垂らして小さくはにかむフラウに、飄々とした雰囲気のシャルティエ。キナンは僅かに眉を寄せて、それから苦笑いを浮かべた。



「ハカナ!」

「セレンは黙っといてくださいッス...!こいつ、ただの女じゃねッスよ」

 ハカナ・セレン組は一人の少女に足止めを喰らっていた。

「...私は、メイナ・ノルフェ。年は十七。今はローレンス・ファミリーで、四大幹部補佐の一人をしている」

 メイナと名乗った彼女は、長い黒髪を指で梳いてから無表情のままハカナとセレンを見る。ハカナは先程蹴られてやや変な方向に曲がっている手首を庇いつつ、ギッとメイナを睨みつける。だが、彼女は一切表情を変えない。

「...さっさと退けってば。僕らは、お前に構ってる暇ないんだよ」

「私は、メイナ。私は、報道を監視する役目がある」

「はっ。全然監視できてねッスよ?」

「そう。...寝ていた、という理由で、ローレンス様に殺されるのは嫌。故に、貴方達の首、もらい受ける」

「寝てたのはお前の過失だろッ!!」

 メイナはそう言うと、床をトンと蹴って一気にハカナの目の前に現れ出る。ハカナはすぐに腕をクロスさせてその打撃を受け止める。その身体はメイナと共に後ろの方へと下がって行ってしまった。

 ハカナが痛みに顔を顰めていると、その間に片手を彼の顎へ当てるような突きを放つ。それを仰け反って離れ、それからメイナへ足払いをかけるようにハカナは背を一気に屈めて足を伸ばす。

 メイナはそれを飛んで躱し、その間にセレンが距離を詰めて彼女へ拳を振りかぶる。それをメイナはあっさりと受け止めて、彼を軽々と投げ飛ばす。

「ハカナッ!」

「ッ」

 セレンと視線を交わし、彼の言わんとしている事の五割くらいの意思を掴む。

 ハカナは空中を飛んでいるセレンの首根っこを掴み、それからメイナへ投げ飛ばす。彼女はそれを躱すと、その身体だけ先に外へ出る。

「ッ!」

 メイナはその事実に気が付き、すぐにセレンを追いかけようとした。その後ろから肩を掴んで彼女をハカナは引っ張り倒した。身体のバランスが崩れた隙を突いて、セレンの身体を掬いあげるようにして走り出した。

「...........しまった」

 メイナがそう呟いた時にはもう遅く、既に二人の姿は遠くなっていた。メイナは静かに息を吐き出して、それから自身の黒髪に指を通した。


「死ぬ、か」

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