準備中

「基本的にはアドリブでするから、台本は大まかなところだけで問題ないわ。このままで通しておいて。マイクの音質はどうなってるの?」

 アズリナはスタッフに指示を飛ばし、それからまた別のスタッフに指示を飛ばす。それをある程度着飾ったキナン、フラウ、シャルティエは眺めていた。すっかり仕事モードであったが、すぐに三人の姿を目に入れると、ぱっとその瞳から仕事色が削ぎ落ちた。

「ごめんね、早めに来てもらって」

「いいですよ。素人もいいとこのラジオ出演なんて、準備する事いっぱいあるでしょう?」

 フラウは謝るアズリナに対してそう言い、それから「凄いですねー」と声を掛けた。

 スタッフが様々な機器を触り、そして一時間のデビュー発表前ラジオ番組を作り出す。三人はニュース番組しかラジオでは聞いていなかったので、こういった芸能関係ラジオは知識がない。

「...緊張してる?」

「私は、アズリナさんの前で歌った時の方が緊張してた」

 元気よくシャルティエが言う。それはそうだろう。タイミングがずれてしまえば怪しまれる中で、フラウのタイミングを教える動きがある上で全て完璧に歌いきってしまったのだ。その実力の高さもアズリナは買っている。

「俺は今、すげぇ緊張してる...」

 キナンはぐっとズボンの裾を握り締める。元々人前でとても緊張しやすい人間なので、よく見ると小刻みに震えているような気がする。

「フラウは?大丈夫?」

「んー、俺もシャルと一緒で、オーディションの時かも。ばれたらヤバイ、って思ってたから」

 フラウは頬を指先で触りながら、照れ臭そうにはにかんで言う。気を張っていたからこそだ。アズリナは意外と豪胆らしい二人と、見た目に反して繊細な神経をしているキナンの性格を知った。

 周りにスタッフが居ない事を確認し、それから一番近くに居たシャルティエのヘッドフォン近くに口を寄せた。

「作戦というのは、その、大丈夫なの?」

「んー、ばっっちり!」

 シャルティエはぐっと親指を突き立てた。その自信に満ちた目は嘘ではないのだろう。

「私達は普通にラジオをこなす。ので」

「へぇ。余程綿密に練られているのね」

 シャルティエは自信満々に言って見せたが、キナンとフラウは先日立てられた今日の作戦について考えを巡らせる。


 キナン達三人は、ラジオに乗じて何をする訳でもなく、偶然ラジオ放送中に襲われる事となった被害者を演じる事をカミラに命じられた。

 ハッキングして主導権を奪う役目をセレンが担い、そのサポートとしてハカナが当てられた。他のメンバーでこのスタジオを占拠した後に、カミラとエルリックで放送を行なう。警察が来る前に放送を済ませて、その場を後にする。セレンとハカナは放送が終わり次第、急いでそこを後にする事になっている。キナン達はそのラジオ放送を終えてから、放送局を出る。警察に事情聴取を受ける前に逃げ出せるようにアズリナには手配している。

 〈大監獄〉に居る筈のエルリックの脱獄宣言と、既に衰退しているレミリット・ファミリーからのローレンス・ファミリーへの宣戦布告は、ゴードンにもレッドにも届くだろう。それから彼らの出方を見て、次の作戦を考える。それがカミラの作戦だった。


「いやぁ、何も考えずに出来るのは楽だよねぇ」

「...........水、水くれ。喉、乾いた。てか、ここ乾燥し過ぎじゃね...?」

「ちょ、大丈夫、キナン?もうこれ二本目だよ?ラジオ放送中にトイレ行くようになるよ?控えよ?」

 三者三様の話を聞きながら、アズリナは今日のベテランMCが来たのを確認した。

「キナンくん、フラウくん、シャルティエさん、彼女が今日のベテランMCのルーディシア・加賀峰かがみねさんよ。元はヴェルドローの出身で、聖アカデメイト学園の」

「経歴はいいですよ。それは単なる過去の遺産でしかありませんから」

 アズリナの紹介を遮りながら、一人の女が三人の目の前に立った。

 臀部を隠すほど長い茶髪に、穏やかな色合いを示す紫の瞳が印象的であった。形の良い唇を小さく上げて、三人に頭を下ろした。

「初めまして、私はルーディシア・加賀峰です。エヴァンテ人の貴方達には少々毛嫌いされるかもしれませんが、ヴェルドロー人です。でも、エヴァンテに籍は移しておりますので、本当にエヴァンテ人なんですよ」

 ルーディシアはしきりにエヴァンテ人である事を推した。

 エヴァンテ公国は現在、永世中立国である。それゆえに敵国といった概念はないが、そもそも永世中立という制度を取り入れてから、まだ二十年と少ししか経っていない。こうした体制になったのは、ひとえに二十年以上前に起こったエヴァンテ公国とヴェルドロー帝国の神帝戦争の敗戦だ。今でも年配者はヴェルドロー帝国を嫌っている風潮がある。

 もう昔の話であり、今の人間関係に関係はないと言えばそこまでだ。しかしルーディシアはこういった過去の経緯のせいで、それなりに酷い目を見て来た。目の前の三人は若者とはいえ、祖父母の影響があるかもしれないとルーディシアは先読みして、こうしてエヴァンテ公国の人間であると強く主張するのだ。

「お名前はお伺いしていますよ。キナンさん、フラウさん、シャルティエさん。アイドルとしての一年後のデビュー確約、おめでとうございます」

「いえ、こちらこそありがとうございます。えと、ラジオのMC、よろしくお願いします」

 フラウが丁寧にそう言い、ルーディシアもこくりと頷いた。

「アズリナさん!ここの確認をお願いします!」

「すぐ行くー!...本番までまだ少し時間あるから、緊張をほぐしておいて」

 アズリナは三人にそう言うと、ルーディシアの肩を軽く叩いて彼女と共にその場から離れていく。

 それを三人で見届けてから、シャルティエは辺りをキョロキョロ見回した。誰も彼も準備に夢中で出演者の新人アイドル―まだ売り出していないので素人という言い方が正しいだろうが―には、目を向けてすらいない。

 シャルティエはソファの隅で座っているキナンの手を取った。彼女の行動に彼は眉を寄せる。シャルティエはにこにこと笑ったまま、自身とフラウの間にキナンを座らせた。

「大丈夫だよ、キナン!私とフラウがついてるからねっ」

 ぎゅっとキナンの手に指を絡ませて、シャルティエは小さく微笑んだ。その行動にフラウもすぐに勘付き、反対側の手をフラウもシャルティエと同じように見る。

「ほら、キナン。思い出してよ。シャルが喉風邪引いた時とか、一緒に出たりしたじゃん?」

「それとこれとは、話が違うってマジで......。あんなの、酔っ払いで聞いてないじゃん!今から流すの聞くやつ居るだろ!たくさん!」

「ほらほら、しんこきゅー。もしキナンが面白い事言ってもカバーはちゃんとするから。それに私も緊張してるんだよ?」

「お、俺も緊張してる。人前で喋った事ないから...。弾くんなら得意だけど...。だからキナンと同じだよ。それに...、俺達がちゃんとやらないと、エルリックさんやイレブン達の動きに支障を来す...。頑張らないと」

 ね、とフラウはぎゅっと手を握る。

「深刻に考えすぎなんだよ、キナン。......そんなんで、オリエットさんの所でアイドルとして舞台に立てる?恩返しなんだよ、これも」

「......っど、どういう...」

「だーかーらー。私達が売れる。するとエレーノ劇場にたくさんのお金入る。オリエットさんを楽にする事も出来る。ほら、今ここで私達が頑張れば、皆の為になる事間違いなしだよ!ねっ!」

 きらきらとした瞳でキナンをシャルティエは見る。彼女の瞳にうっとキナンは喉から呻き声を上げて、ちらとフラウに助けを求めるように視線を向ける。しかし、フラウはシャルティエの言葉に感化されてしまっているようで、フラウも目を光らせている。

「...キナン...!」

 分かるよね、と言いたげにフラウは視線を降り注いでくる。両端に挟まれて、キナンは口から静かに溜息を吐き出した。

 これはどう考えても逃げる事の出来ない体勢だ。

「...手」

「「ん?」」

 二人の声が重なる。キナンは出来る限り顔を下に向けてから、二人にしか聞き取れないくらい小さな声で呟いた。

「......手、繋いでてくれよ......。頼むから」

 耳まで真っ赤になっているキナンに、フラウとシャルティエはキナンの背中の上で顔を見合わせてからほぼ同時に口を緩めた。

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