交わす契約
「遅いけど...、大丈夫なんだろうな、あいつら...」
「さっき、沢山の人出てったのにね...。やばい事に巻き込まれたっぽいかな?」
キナンはその言葉にセレンを睨みつけるように見た。今二人が孤立無援にも等しい状況の中で、その言葉は酷く苛立ちを買った。セレンもその視線に気づき「冗談だよ」と軽い調子で言う。
「キナン、セレン」
二人が黙り込んでいる背中に、シャルティエの声がかけられる。振り向くと少し申し訳なさそうな顔をした彼女が立っていた。
「シャルっ」
「えへへ、オーディション受かったよ」
シャルティエは少し恥ずかしそうにはにかみながら、静かな声音でそう言った。キナンもセレンもその言葉に目を丸くした。そして、先程ゾロゾロと出て行った可憐な衣装を着た人間の存在の理由に納得した。
「シャル、フラウは?」
「キナン、聞いてもらいたい事がある。キナンが駄目っていうなら、私止めるから...だから、ついて来てくれる?今だけは何も言わず」
その含みのある言葉にセレンはぐっと眉を寄せ、訝し気にシャルティエを見た。キナンはシャルティエを見て、その緑の瞳の決意の強さを感じ取って――頷いた。
「......ありがと」
「お前がそうやって言う時はフラウの為か、俺達の為だからな。信じてる」
キナンの言葉に彼女は目を大きく見開いてから、恥ずかしそうに微笑む。そしてキナンの手を取り、オーディション会場の方へとドンドン足を進めていく。セレンは少し迷ってから、二人の後ろを追った。
シャルティエに連れて来られたのは、明らかに会場であったとは思えない小さな休憩場所のような部屋へ来た。彼女がすっとドアノブを捻って開けると、フラウと美人女性が向かい合って座っていた。
「君が、キナンくんなのね。初めまして、今回のオーディションの主催者でもあるアズリナ・レーヴィスという者よ」
アズリナはふっと大人の見せる余裕さを感じる笑みを口元に浮かべ、フラウはシャルティエの方へ不安げに視線を送る。
「...キナン、私達...アイドルになろう」
「は.........?」
口をあんぐりと開けるキナンと、目をしきりに瞬かせているセレンを見て、フラウは胸の中をはらはらさせながら成り行きを見守る。
「シャル、アイドル...って」
「私が歌う。キナンはギターでフラウはベース。弾き語りしてるくらいだし、出来るでしょ?」
「......っいや、シャル...。お前、耳...」
シャルティエの改造された敏感な耳では、がなり立てるような音楽は近くでは聞けない。そもそも何故アイドルになろうとしているんだ。これはあくまでも作戦で、一時的なものでしかない。それに――、三人にはこの作戦以前にエレーノ劇場での公演だってある。
話の筋が、キナンには見えていなかった。
「耳は大丈夫。きゃらづけ?って言ってヘッドフォン付けていいってアズリナさんは言ってくれたし、そこまで派手な路線にしなければいいって」
「シャル」
はっきりとした声で、べらべらと口を動かしている彼女を止める。三人の中では一番の兄貴分であるキナンの声に、シャルティエも口を動かすのを止めた。
「...何で急にそんな事を言い出したんだ...。俺達にとってあくまでもこれは...」
作戦でしかない。
ゴードン達をおびき出す為、そして今は手足を動かせないアイラの為だ。アイドルのオーディションを受ければそれが成功しやすくなるだけであり、本気にしてまで考える事ではない。シャルティエもあの時には分かっていた筈だ。
そんなキナンの考えを読み取ったかのように、シャルティエはまた口をゆっくりと動かす。
「...キナン、私達はアイドルにはなるけど、テレビには出ないよ。エレーノ劇場から、私だって離れるつもりはないんだからさ」
シャルティエは、アズリナに約束事を取り付けた。
一つ目は、エレーノ劇場の事。テレビはこの中央アリステラ以外ではまだあまり普及していない商品であり、テレビ局も数少ない。まだラジオ局の方が多い時代なのだ。つまりほぼ中央アリステラ内に居なければいけなくなる。そうすると、必然的にエレーノ劇場へ帰る事が不可能になってしまうのだ。それは、裏切りであり恩返しを止める事に他ならない。だからこそ、一番最初に「エレーノ劇場から出ない範囲の活動である事」を付けた。
二つ目に、自身の耳の事だ。爆音が響くような曲ではシャルティエが気絶する。ゆったりとした静かな曲ばかりになってしまう事を承諾して欲しいと言っている。
三つ目は、作戦の事。今回はラジオを乗っ取る。それを円滑に陰ながら協力して欲しいと頼んだ。
アズリナが出した来た条件はただ一つ。自分達の復讐を全て果たした後あるいは一年後に、アイドルとしてデビューする事。これだけだ。
どれだけ難しい条件を出されようとも、アズリナ側にとってみればシャルティエの声がどれだけの利益を会社にもたらすのか、という方が重要であった為に条件はほぼ丸呑みに近い状態になっていた。
「......私だって、オリエットさんを裏切る気はないよ。エレーノ劇場から去るつもりもないし。...流石に私だって理解してるよ」
くすっと口元を緩ませて、それから軽く小首を傾げてみせた。キナンは小さく息を吐き出して、アズリナの方へ目を向けた。
彼女達の会社にも金が入り、劇場にも人は沢山来てくれるだろう。オリエットとの生活も少しは楽になってくれるはずだ。
「......常連客を、ちゃんと守ってくれるなら...、引き受けてもいい」
「約束するわ。フラウくんから聞いてる。...俗っぽく言えば浮浪者の多い場所なんでしょう?それを伝えるべく、ラジオをする予定よ」
アズリナはそこで言葉を区切り、フラウとシャルティエから聞いた話を元にした、放送局襲撃の流れを軽く口にした。
ラジオでは一年後にユニットとして出る、キナン・フラウ・シャルティエの為に開かれる事を名目にブースを取る。護衛もアズリナの近辺の強い護衛ではなく、新人で無名である事を理由にして、安い会社からの雇い護衛者を使う。それくらいならばマフィア上がりのセレン達ならば余裕で倒せる。
後はそのまま、ブースを占拠してエルリックとイレブンが放送をかける。その間、アズリナ達には一切手を出させない事を条件に、スムーズに放送が行くようサポートをしてもらう。それゆえに彼女の知り合いや信頼できる反社会主義者的考え方の人間を集める。
協力する事になるとは思っていなかったカミラの作戦より、遥かに動きやすい作戦となっていた。
「...あのさぁ、それをさ、僕らは完全に全部信じ切れると思ってんの?」
そこで、今まで黙りこくっていたセレンが口を開く。
この作戦の要。それはどう考えてもアズリナである。彼女が裏切った時点で、この作戦は破綻する。最悪、この三人や中に入る役割を担う人間も捕まる可能性がある。そうなったら、もう遅いのだ。
セレンにアズリナは視線を動かして、それからまた弧を描いたような笑みを見せた。
「その言葉が嘘でない、とどうやったら証明出来るのかしら?教えていただける?」
「指でも斬り落としてくれればいいんだけど」
セレンの言葉に反応したのはフラウだった。
「セレンっ」
「何だよ。これでもし彼女の嘘で罠に嵌められたら、困るのは君等だけじゃなく、僕達もなんだから慎重になって当然だろう?」
彼の言い分も分かるが、人を傷つける事を善しとしていないフラウはただ顔を顰めるばかりだ。キナンとシャルティエが口を挟もうとしたが、上手く繋がる会話を見いだせない。
「...なら、そうねえ...。土下座でもしてあげましょうか?それとも誰かの足の甲に口付けてもいいわよ」
アズリナはそう言ってセレンの目を射抜くように見つめた。その申し出にセレンは内心はらはらしていた。たったこの人数の為に頭を下げる覚悟も、足に口付ける覚悟を持っているのが、セレンにはさっぱり分からなかった。
「私には、この子達が必要なの。昨今の模倣アイドルを凌駕する、新しい風が。その為にはどんな手でも使うわ。他の場所には渡す気ないから」
それはビジネスの瞳だった。
セレンは少し息を吐き出してから、「分かった」と観念したように呟いた。
「その代わり、妙な動きをしたら、あんたの首をへし折るから」
「っセレン!」
ふん、と鼻を鳴らしたセレンに、キナンとフラウは呆れたように肩を竦めた。
アズリナはシャルティエに連絡用の番号を書いたものを渡した。一旦カミラ達の下へ帰る事となった。
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