第47話 二人が変わる時

 事務所に戻った翼は急いで仕事に取り掛かった。今日は真琴と帰るのだ。なるべく早く仕事を切り上げたい。


 しかし、定時を一時間ほど過ぎた頃、電話が鳴った。電話には取引先の名前が表示されている。翼は何となく嫌な予感がしながらも受話器を上げた。


「はい、中山東工業でございます」


「あのさ、お客さんから電話がかかってきたんだけど! 商品が一つ足りないらしいんだよ!」


 中年男性の焦った声が聞こえてきた瞬間、頭にサッと冷水を浴びせられたような気がした。この取引先は、遠方の為、宅急便で商品を送っている。たとえ商品一個でも、今から持って行くことはできない。


 トラブルがあった時、翼はいつも美奈の指示を仰ぐ。しかし、今日はもう帰ってしまった。自分で処理するしかない。


 翼は「折り返します」と言って電話を置く。急いで倉庫に向かった。出荷担当の男性社員が、倉庫前で作業をしているはずだ。


 全速力で倉庫へ走った翼は、出荷担当の社員、土屋に「商品が足りない」と言われた旨を告げる。しかし、土屋は予想とは違う反応をした。


「俺、ちゃんと確認したぞ。ほら」


 倉庫前に置いてあった、伝票を見せる。数量の横に、手書きでチェックが入れられていた。数を確認したという印だろう。


(え、どうしたらいいの……?)


 土屋は翼の親ぐらいの年齢の男性だ。これ以上、食い下がるのは抵抗がある。


 途方に暮れた翼は、一度事務所に戻ることにした。



「何かあった?」


 翼が事務所に戻ると、真琴に声をかけられる。電話の会話から、何かトラブルが起きたと察したようだ。


(気にかけてくれてたんだ……)


 嬉しく感じながら、取引先からの電話の内容と、土屋から言われたことを報告する。


「足りないって言われた商品は、何?」


 真琴から質問されて、注文書の原本を見せる。そして、足りないと言われた商品を指し示した。


 真琴は少し考え込みながら言う。


「もしかしたら、大きい商品の中に小さい商品が入り込んでるのかも」


「ええっ?」


 真琴が製造職だった頃、出荷の手伝いもやっていたのだという。そして、箱に入れて出荷する際は、大きい商品の中に小さい商品を入れていたらしい。


 しかし、取引先は小さい商品が入っていることに気づかず「数が足りない」と言ってくる。そんなトラブルはよくあったそうだ。


「とにかくもう一回探してもらって、出てこなかったら明日出荷するしかないね」

 

 真琴のアドバイスを聞いて、さっそく取引先に電話をかけた。


 もう一度確認するとのことだった。



 約三十分後、電話が鳴る。先ほどの取引先からだ。


 翼は頷きながら受話器を置く。そして、真琴の方を振り返りながら言った。


「やっぱり、別の商品の中に入ってたんだって。ありがとう、教えてくれて。助かった」


「よかった。今からじゃ持って行けないからね」


 真琴が苦笑いする。翼も、数量に間違いがなかったとわかり、心底ほっとした。



 ***



 仕事を終えた翼と真琴は一緒に会社を出た。


 街灯の明かりが、暗い道を照らしている。近隣のオフィスビルには、まだまだ明かりがついていた。


「今日はありがとう。真琴くんがいてくれて助かった。やっぱり“先輩”は違うね」


 翼がからかうように言うと「伊達に三年働いてないからね」と、真琴もすました口調で言った。いつもらしからぬ真琴の口調に、翼は思わず笑ってしまう。学生時代とは違う一面が見えて、不思議な気持ちだ。


 それにしても……と、翼は今日一日のことを振り返る。


「後藤くんが来たのはびっくりしたよね」


「うん、まさかここで会うとは思わなかった」


 真琴が妙に真剣な顔で言う。そして、ためらいがちに口を開いた。


「翼ちゃん、どこかで晩御飯食べて帰らない?」


「いいよ。じゃぁ、あそこにする?」


 翼が指し示したのは、数十メートル先にある小さなイタリアンの店だ。昼は数百円から千円の定食で、夜はコース料理も提供しているような店である。真琴が頷いたので、その店に行くことを決める。


 イタリアンにたどり着くまでに、いろんな店を通り過ぎた。洋服屋、花屋、鍵屋等……。


 しかし、店の前まで来た時、真琴は急に立ち止まった。


「ごめん、僕ちょっと会社に忘れ物した。悪いけど先に入っててくれる?」


 今日は金曜日だ。大事なものだったら、今日のうちに取りに行った方がいいだろう。


「わかった」


 翼は先に入店することにした。



 ディナーの時間ゆえか、店内の照明は薄暗い。しかし、各テーブルには小さなキャンドルと花が置かれていて、気持ちを和ませてくれる。週末なので、カップルも多かった。


(私と真琴くんも、恋人同士に見えるのかな)


 まだ、真琴が来ていないというのにそんなことを考えてしまい、思わず頬を抑える。


 そして、今身に着けている服を上から下までチェックした。水色のサマーニット、ふわりと広がる白のスカート。スカートには目立たないが、花模様の刺繍がなされている。


 特別に気合を入れた服装ではない。男性と食事をする時の服装としては、ぎりぎり合格点と言ったところだろうか。


(でも、もうちょっとかわいい服着てくればよかった……)


 おしゃれな店にふさわしい服も、一応持っているのに。仕事に行くだけだと思っていたから、あまり考え込まずに選んでしまった。


 来週からは、もう少し気合を入れよう。


 翼は心に誓った。



 そして、待つこと、約十五分。真琴がやってきた。手に紙袋を下げている。おそらくあれが「忘れ物」なのだろう。


「どれにする?」


 翼は真琴にメニューを渡して訊いた。翼はもうある程度、目星をつけている。真琴は少し考えた後に、手早く決めた。


 注文した料理を待っている間、翼はほっと息をつきながら言う。


「今日で佐藤部長も退職したし、これでちょっと安心だね」


「うん、そうだね……」


 真琴も少しほっとした様子を見せる。真琴が安堵しているのが、翼も嬉しかった。


「また何かあったらどうしようって思ってたんだけど、何も起きなくてよかった。佐藤部長、支援の人と話して、ちょっとずつ変わっていったのかな?」


 何気なく口にした言葉に、真琴は虚を突かれたような顔をする。


「変わる……?」


「うん、人って変わるでしょ」


 たとえば翼ならば、昔は親元から離れるなど考えられなかった。しかし、大学四年生になる頃には、実家を離れることを決めた。自立するために。


 そして、翼が変わった結果、真琴と再会することができたのだ。


「変わる……か」


 真琴は何かを考えるように押し黙る。翼が首を傾げていると、店員がやってくるのが見えた。


「お待たせしました」


 店員の声と共にやってきたのはワインだった。週末なので、少しだけお酒も飲むことにしたのだ。


 その時、翼はふと思い出した。


「昔、河野さんの店に行った時も、パスタ食べたよねぇ。でも、その時は未成年だったからお酒は飲めなくて」


 笑いながら言うと、真琴も「そうだね」と言う。今となっては懐かしい記憶だ。そして、時間が流れたのだなと実感する。


 二人はどちらからともなくグラスを持ち上げた。


「乾杯」


 コツンとワイングラスが鳴った。


 ワインを飲んでいるうちに、メイン料理も運ばれてくる。翼が頼んだのはカルボナーラのセットで、真琴が頼んだのはトマトリゾットのセットだ。


 翼はカルボナーラを、さっそく味わうことにした。パスタが熱い。とろりとした卵とソースが絡み合う。家ではとても出せない、濃厚な味わいだ。


「おいしい」


 幸せな気分で口にすると、真琴が笑いながら言った。


「何か、センター試験の日のこと思い出すなぁ。覚えてる? 試験終わった後に、コンビニで肉まん食べたの」


「うん、覚えてる!」


「その時も翼ちゃん、おいしそうに食べてたよね」


 言われて思い出した。三年前、真琴が言っていた言葉も。


「“おいしそうに食べる女の子っていいなぁ”」


 真琴の声に、翼はカルボナーラを食べていた手を思わず止めた。


 言葉だけを聞けば「おいしそうに食べていることをほめている」。ただそれだけだ。しかし、今の真琴の言葉には、違う意味が込められているように感じた。


 真琴は黙って翼を見つめる。しかし、しばらくすると空気を変えるように言った。


「冷めないうちに食べちゃおうよ」


「う、うん……」


 翼は慌てて頷き、食事を再開する。


 パスタをフォークで絡めようとするが、うまく絡んでくれない。翼は妙に体が緊張していることに気づいた。


 今日の真琴はいつもと違う。言葉とか、醸し出される空気と言えばいいのだろうか。いつもとの「違い」を、体が感じ取って緊張しているのかもしれない。


 その時、翼の頭に浮かんだのは「殻を破る」というイメージだった。鎧のように身に着けていた殻を破って、脱ぎ捨てて、全く新しい「何か」が生まれる。


 そんな予感がした。



***



 そして、デザートのアイスクリームを食べ終わった頃。


「翼ちゃん、これ。受け取ってくれる?」


 真琴はそう言って、椅子の横に置いていた紙袋を差し出した。それは先ほど、真琴が会社に取りに帰った「忘れ物」だ。


 翼は首を傾げながら受け取る。中には、赤い薔薇の花束が入っていた。薔薇は可愛らしくラッピングされ、リボンがかかっている。


「え、どうしたの、これ?」


 驚きながら、薔薇と真琴を交互に見る。プレゼントだとは思うが、一体何を意味しているのかがわからない。誕生日はまだ少し先だ。


 翼の戸惑いを感じ取ったかのように、真琴はやや緊張した面持ちで言った。


「薔薇の花言葉って知ってる? 色によっても変わるんだけど」


「ごめん。見たことはあるけど、忘れちゃった……」


 翼が申し訳なさそうに言う。しかし、真琴は笑顔で首を横に振った。そして、少し早口になって言う。


「赤だと、情熱とか美しさとか。色々意味があるんだけど……。同じ赤でも緋色になると別の花言葉になるんだ」


「へぇ、どんなの?」


 翼が薔薇の花を覗き込みながら言う。


 しかし、数秒経っても答えは返ってこない。


 妙に思った翼が顔を上げる。すると、強いまなざしでこちらを見つめる真琴と目が合った。


 真琴は少し視線をさまよわせる。そして、覚悟を決めたような顔をして言った。



「灼熱の恋」



 聞いた瞬間、頭が真っ白になった。


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