第46話 好きな人に訊きたいこと


「よし、在庫あり……と」


 翼は倉庫にある商品を確認して、メモを取る。念のためにもう一度、記入すべきことを確認する。漏れはないようだ。


「在庫ありましたって、電話しなきゃ」


 翼が手にしているメモには、取引先の名前と、商品名が書かれていた。さきほど取引先から「在庫はありますか」と問い合わせがあったのだ。


 在庫品が切れていることはめったにない。しかし、たまに「パソコン上の在庫データ」と「倉庫の現物の数」が違う場合がある。


 だから、実際に見に来て確認したのだ。今のところ、データと現物の数に違いはないようで、安心する。


 そして、倉庫を出て廊下を歩いていると、後藤と真琴が話しているのが見えた。


「後藤くん、課長との商談どうだったー?」


 翼が呼びかけると、後藤と真琴は一瞬ぎくりとした表情を浮かべる。


(え、どうしよう。まずい所に来たかな……?)


 若干申し訳なく思いつつ、二人の元へ歩いていく。真琴は一瞬、翼を見た。しかし、すぐに何かを考え込むように眉根を寄せる。


 一方、後藤は気持ちを切り替えるように笑顔を浮かべて言った。


「検討しますって言ってくれた。あの課長さんいい人だな」


「そうなんだ! よかったね!」


 後藤は話を聞いてもらえたのだろうか、と気になっていたので安心した。


 翼が入社してから数か月、飛び込みで営業マンが来たことは何度もある。門前払いされる様子も見てきた。


 実は総務課長に電話をした時も、追い返されそうな「気配」がした。そこですかさず「私の友人なんです」と伝えると「じゃぁ、聞いてみようか」と言ってくれたのである。


 後藤は小さく笑って言った。


「槙本さん、ありがとな。じゃ、俺そろそろ帰るから。二人とも頑張れよ」


 そう言って、片手を上げて後藤は立ち去って行った。


(頑張れよ、か……)


 普通に考えれば、仕事を頑張れという意味なのだろう。しかし……。


 ――好きな人の名前を訊いてみろ。


 先ほど、後藤に言われたことを思い出し、頭が噴火しそうになった。


(今すぐ聞くのは無理!!!)


 せめて、もう少し時間が欲しい。何の時間か。「好きな人の名前を聞く決心」をする時間だ。さすがに、さっきの今ではまだ決心できない。


 結局、翼は全く違う話題を口にした。


「あのさ、佐藤部長が田舎に帰るって噂、本当なの?」


 社内ではそのような噂が流れていた。しかし、情報源がどこかはっきりしない。噂が本当ならば、安心できるが……。


 翼の問いかけに、真琴は頷きながら言った。


「うん、本当らしい。佐藤部長の支援者の人が言ってた、実家に帰るって」


 佐藤の実家は兼業農家だ。実家に帰れば、食うには困らない。


 というのは表向きの理由である。


 本当の理由は、佐藤は妻と別居することになったからだ。精神を患っていたとは言え、夫がセクハラをしていたこと、そして、会社の部下……真琴を突き飛ばしたというのは、妻として我慢がならなかったらしい。


 当初は離婚を言い渡されたが「それだけは勘弁してほしい」と佐藤が必死に食い下がったそうだ。そして、別居することになったという。


 翼は事情を聞いて、何とも複雑な気持ちになった。


「うーん、自業自得だし、佐藤部長のことは好きじゃないけど……。辛い時に、奥さんと離れるのってつらいね」


 そう言うと、真琴は意外そうな顔をした。そして、小さく微笑んで言う。


「翼ちゃんは優しいね」


「そう? だって、結婚したってことは、好きだって思ったってことでしょ。佐藤部長は奥さんと離婚したくないって言ってるわけだし。だから、好きな人……奥さんと離れるのってつらいんじゃないかなって思ったんだけど」


「好きな人」


 真琴が呟いた瞬間、翼の心臓が暴れだすのを感じた。


 自分が呟くのと、真琴が呟くのではなぜこんなにも違って聞こえるのだろう。言葉に特別な魔法でもかかっているかのようだ。


(「好きな人」の名前、真琴くんに今聞いてみようかな……)


 天が与えてくれた「タイミング」なのかもしれないと思った。


「あ、あのさ……」


 翼が口を開くと、真琴は真剣な顔でこちらを見つめる。何だか緊張してきた。


 ――真琴くんの好きな人って誰?


 訊くべきことは、それだけだ。たったそれだけのことが、とても怖い。三年前、河野に告白した時のことを思い出す。あの時は、玉砕覚悟で告白して、予想通り玉砕した。ショックは受けたが、覚悟していたことだったので受け入れられた。ある意味「恋を終わらせるために告白した」ようなものだ。


 でも、今回は「恋を終わらせたく」はない。だから、確かめるのが怖いのだ。


 声を出そうとしても、声が出ない。


(どうしよう、あんまり黙ってたら変に思われる!)


 そして、頭に浮かんだのは……。


「真琴くん、前、話したいことがあるって言ってたじゃん! あれって何の話?」


 結局、またもや違う話題を口にしてしまった。


 翼の問いかけに真琴は、歯切れ悪く言う。


「あー……それは……」


「まだ話せない?」


「いや、そんなことはないけど。でも、会社で話せることじゃないから」


 少し緊張した様子で言った。


 そして、真琴が「一回、事務所に戻ろう」と言ったので、並んで歩き出す。真琴は天井を見上げながら「うーん、行動か……。命を落としても……って決めたしな……」と、ぼそぼそと呟いていた。


「えっ、命を落としてもって何!?」


 翼がギョッとしたように言うと、真琴もギョッとしたような顔をした。


「僕、今、口に出してた!?」


「うん。行動とか、命を落としても何とかって……」


 そう言うと、真琴は額に手を当ててため息をついた。いつもの彼らしからぬ様子だ。


 復帰して二週間。もしかしたら、仕事の疲れがたまっているのかもしれない。


「話、今日じゃなくてもいいからね?」


 翼が気を使ってそう言うと、真琴は慌てた様子で首を横に振る。


 そして、炎のように熱のこもった口調で言った。



「翼ちゃん、今日は一緒に帰ろう」



 一瞬、時間が止まった気がした。


 真琴の声に込められた熱が、翼の胸に伝わる。


 涼しい場所にいるはずなのに「熱い」と感じた。


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