第45話 「友人」からの強烈なメッセージ

 佐藤が退職する日になった。


(長かったなぁ……)


 夕方、翼は営業部の事務所にあるカレンダーを見て、安堵のため息をついた。


 もちろん、佐藤が退職しても油断はならない。しかし、同じ会社にいるのといないのとでは、精神的な負担が随分違う。


 この二週間、特に事件はなかったからもう大丈夫だと思いたい。


 しかし、翼の悩みは佐藤のことだけではなかった。


 今は不在だが……真琴と港の席を見る。


 先日、亜美に「自覚はないが、港のことが好きなのではないか」と言われてから、翼は幾度となく自問自答していた。


(私が港さんを好き? 自覚なく? いやいやいや、ありえない! 絶対あり得ない!)


 想像してみたのだ、港が他の女の子と付き合ったところを。


 翼はきっと、何とも思わない。


 次に真琴が他の女の子、たとえば亜美と付き合ったところを想像してみた。すると、ひどく動揺したのである。実際、真琴が他の女の子に告白されたことを知っただけでも動揺した。


 だから、港のことを好きだというのはありえない。翼が好きなのは真琴だ。


 それが結論だった。


(でも、こわっ! 暗示みたいだなぁ……。あんなに強い口調で言われたら、本当は港さんのことが好きなんじゃないかって錯覚しちゃいそうになるよ)


 もしかしたら、それが亜美の狙いだったのかもしれない。翼が港のことを好きになれば、亜美の恋敵はいなくなるのだから。


 しばらく、亜美には近づかないようにしよう。


 そう、心にかたく誓った時……。


「失礼します」


 若い男性の声と共に、事務所の扉が開いた。


(お客さんかな?)


 社内では聞かない声に振り返る。入ってきたのは、芸能人のように整った顔立ちの男性だ。翼は男性の顔を見て……驚きの声を上げた。


「後藤くん!?」


 入ってきた男性は学生時代の同級生。そして、現在は友人の彼氏でもある、後藤俊だった。


「何でここにいるの!?」


 翼が応対のために入り口に向かうと、後藤も驚きながら答えた。


「俺、飛び込み営業の仕事してるからさ。それで、今月の新規開拓のエリアはここになったんだ」


 そう言うと、後藤は会社の名刺を差し出した。ウォーターサーバーの営業で、この近辺のオフィスビルに飛び込みをしているらしい。


「そうなんだ! 大変だねぇ……!」


 学生時代、就職活動の話をしていた時に、後藤が営業職に決まったことは聞いていた。


(でも、まさか飛び込み営業とは……)


 翼には到底できるとは思えない。だからこそ、社会の荒波で闘っている友人のために、何とか協力したかった。


 飛び込みで営業マンがきた場合は、総務部に内線電話をかけることになっている。翼は、佐藤の退職後に部長になる予定の、総務課長に連絡を取った。


 課長がやってくるまでの間、後藤が小声で尋ねてくる。


「あいつ、入院してたんだろ? もう大丈夫なのか?」


 どうやら、まどかから真琴が入院していたことを聞いたようだ。


「うん、もう復帰したから。大丈夫だよ」


「そっか、それならよかったけど」


 後藤は安心した表情を見せた。それが翼には少し意外だった。


「学生時代はあんまり仲良くなかったけど、心配してくれてるんだね」


「まぁ……元同級生だし。っていうか、あいつが一方的に俺を敵視してたんだよ」


 後藤が苦虫をかみつぶしたような声で言う。確かに当時のことを思い返してみても、後藤よりも真琴の方がわかりやすく敵意をむき出しにしていた。


「……で? あいつとは今どうなってんの?」


 後藤がより一層声をひそめた。翼は思わず辺りを見渡してしまう。幸い、声が聞こえる範囲に人はいなかった。


「どうもなってない。っていうか真琴くん、今好きな人いるみたいだし」


 自分でも情けないぐらい、弱弱しい声が出た。


「え、そうなのか?」


 後藤は翼の様子に少々動揺したようだ。そして、後藤が何かを言いかけた時。


「お待たせしました」


 総務課長がやってきた。翼が席に戻ろうとすると、後藤は小さな声で「好きな人の名前を訊いてみろ」と言った。


 驚いて振り返ると、後藤は片目をつぶる。そして、整った顔立ちに、夏の日差しのように爽やかな笑みを浮かべて去って行った。


(まどかちゃん、いい男つかまえたなぁ……)


 中学時代の事件さえなければ、翼も後藤を好きになっていたかもしれない。そう思えるほど、強烈な印象を与える笑顔だった。


 頑張れ。


 笑顔にはそんなメッセージが込められている気がした。



 * * *



 後藤は、商談を終えて総務部の事務所を出る。「検討します」とのことだった。門前払いの会社が多い中、話を聞いてもらえただけでもありがたいことだ。


 そして、廊下を歩いていると、どことなく見覚えがある青年が歩いてくる。


「なんでここに……?」


 元・同級生、紫藤真琴が唖然とした様子で言った。



 再会の挨拶を交わした後、後藤は仕事の事情を説明する。


「そうか……飛び込み営業は大変だな」


 心から共感したような声で真琴は言う。もう、かつてのような敵意は感じない。そのことに年月の流れを感じながら、後藤は答えた。


「断られてばっかりだからな。正直、心が折れそうになるよ。でも、そっちもこの三年間、大変だったんだろ」


 すると、真琴は小さく苦笑いした。その苦笑いと、肯定も否定もしないことが大人だと感じた。同い年ではあるが社会人という意味では、真琴の方が先輩だ。


 しかし、恋愛においてはどうだろうか。


「お前さ、槙本さんのこと今どう思ってんの?」


 後藤が聞いた瞬間、真琴は驚きの目を向けた。そして、かつてのような鋭い気配になった……ような気がしたので、慌てて言う。


「誤解するなよ! 俺は今、まどかと付き合ってるんだからな!」


「……知ってるよ」


 真琴はバツが悪そうに言って、顔を背けた。やっぱり誤解していたのだなと確信する。


 そして、後藤は少し思案して言った。


「あのさ。多分、お前の気持ち全然伝わってないぞ」


 真琴は弾かれたように後藤を見た。そして、ため息をつきながら言う。


「わかってるよ」


 どうやら真琴は、今も恋愛で苦戦しているらしい。


 翼の恋愛経験値は学生時代と、そう変わっていない。つまり、好意を寄せられていても気づいていないのだ。


 真琴の方はどうなのかわからないが、話を聞く限り、女性を口説いたことはそこまでなさそうだ。仕事で精いっぱいで、恋愛どころではなかったのかもしれない。


 真琴は三年前、自ら翼への気持ちを手放したと聞いている。


 だけど今、再び翼と恋愛したい気持ちがあるならば。


「……お節介ついでに、一ついいか?」


 真琴が頷くのを確認した後、後藤は何かに突き動かされるように言った。


「お前ら、話し合いが足りないんじゃないか? お互い肝心なこと言ってないから、誤解が生まれるんだよ。一回ちゃんと話せ」


 真琴はしばらく唖然とした表情をしていた。後藤の勢いに飲まれたかのように。


 しかし、しばらくすると穏やかな笑みを浮かべて言った。


「まさか、そんなこと言われるとは思わなかったよ」


「昔の恋敵に、ってか?」


 後藤が小さく笑みを浮かべて言うと、真琴は頷く。


 ふと、後藤の頭に学生時代の記憶が浮かび上がってきた。それは、真琴が知らない情報だ。何か伝える意味があるのかもしれない。


「あのさ。槙本さん、お前が退学した後、すっげー落ち込んでたぞ」


 目を見開く真琴を見ていると、後藤のもう一つの記憶の扉が開く。学生時代の記憶だ。


 中学の時、後藤は「嘘の告白」をして翼に暴言を吐いた。しかし大学入学後、実は翼のことが好きだったと明かして、謝罪した。


 それを聞いた真琴が、後藤に強烈なメッセージを放ったのだ。


 今、思い出しても心がうずく。しかし、これは今の真琴に言わなければいけないと感じた。


 後藤は一つ深呼吸をして言う。


「お前、三年前に言ったよな。何を言うかじゃなくて、何をするかが大事だって」


 真琴の目に動揺が走る。


 一瞬、もうやめてしまおうかという気持ちに駆られた。しかし、そういうわけにはいかない。一番大事なのは、この後だ。


 後藤は、かつて感じた痛みをこらえる。これを聞いた真琴がどんな気持ちになるのかはわからない。


 三年前「恋敵」から言われたメッセージ。後藤は、目の前の「友人」に向き直ると、全身の力を振り絞って、あのメッセージを口にした。



「彼女が好きだって言うなら、行動で示せよ」



 真琴は雷が落ちてきたかのように、衝撃を受けた顔をした。

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