第43話 近づけない人 近づいてくる人

 しばらく真琴に近づかない方がいい。


 それは港に言われていたことでもあった。しかし、実際に真琴本人の口から聞くと、思ったよりショックは大きい。


 翼が黙り込んでいると、真琴は焦ったように言った。


「あの、佐藤部長が退職するまで……っていう話だよ?」


「うん……。真琴くん、仕事はどうするの?」


 実家に帰るのだろうか。それとも続けるのだろうか。


 真琴は少し沈黙した後、静かな口調で言う。


「佐藤部長が退職するまで、あと二週間だから。どうせ辞めるって言っても数か月はかかるし。今辞めなくてもいいと思うんだ」


 よほどの事情がない限り、即日退職はできない。業務の引継ぎがあるからだ。


「でも、何かあったらどうするの?」


 翼は思わず強い口調で反論する。真琴の場合は命がかかっているのだ。よほどの事情と言えなくもない。


「なるべく佐藤部長とは接触しないようにするから。とにかく今は辞めたくないんだ」


 振り切るように言うと、強いまなざしで翼を見つめる。


 真琴の目の奥に、炎が揺らめいているように感じた。



 * * *



 営業部には通常、朝礼はない。


 しかし、今日は真琴が復帰した為、臨時で簡単な朝礼が行われた。


「お休み中、迷惑をおかけしてすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします」


 真琴が張りのある声で挨拶をして、頭を下げる。


 部屋から拍手の音と共に「頼むぞ紫藤くんー!」という男性社員たちの声が聞こえた。



 そして、業務開始時刻となり、各自、席に戻っていく。


(真琴くん、愛されてるなぁ……)


 思わず真琴の席を確認してしまう。先週までは空席だったが、真琴が戻ってきている。好きな人が同じ部屋にいるというのは、幸せなことなのだと実感した。


 しかし、幸せに浸ってばかりもいられない。


(真琴くん! 佐藤部長と接触しないようにするって言っても、廊下ですれ違ったりとかするじゃん!)


 翼は伝票入力をしつつ、心の中で嘆いた。


 真琴がなぜ、あんなにも頑なになっているのか。よくわからない。


 ただ、本人が辞めないと言っている以上、無理強いはできない。翼としても、本音を言えば帰ってほしくなかった。とにかく、もう何も起こらないよう祈るだけだ。


 翼は、伝票を印刷するタイミングで顔を上げる。


 真琴がスーツを着た男性と話しているのが見えた。


(あれ、あんな人いたかな?)


 翼は営業部で使われている、連絡用ホワイトボードを見る。真琴の名前の横には「午前中来客」と書かれていた。


(お客さん?)


 そして、二人はミーティングルームへと消えていった。


「槙本さん、お茶出してあげて」


 美奈から指示が入り、慌てて給湯室へ向かった。



 ミーティングルームのドアをノックして入室する。


「失礼します」


 翼は、お茶をこぼさないよう、慎重に持ち運んだ。お茶出しは、何度やっても緊張する。


「ありがとうございます」


 にこやかにそう言ったのは、五十代ぐらいの中肉中背の男性だ。優しそうだが、どこか意志が強そうな顔でもある。


 男性にお茶を出した後は、真琴にお茶を出す。机の上にそっと置くと「ありがとう」と笑顔で声をかけられた。嬉しくて小さく頭を下げる。


 真琴は翼を確かめるように見た後、男性に向き直って言った。


「今日は特に変わったことはなかったです。会っても何も言ってきませんでしたし」


(変わったこと……?)


 翼は内心、首を傾げながら「失礼します」と言って、退室した。



 男性が帰ったのは、約三十分後のことだった。



 * * *



 夕方。


 事務所で一人仕事をしていると真琴が外出先から帰ってきた。


「お疲れ、大丈夫?」


 翼が声をかけると、真琴は疲れがにじんだ笑いを浮かべた。


「久しぶりだから、ちょっとキツかった。でも、リハビリだと思えばちょうどいいかも」


「あはは、頑張ってー」


 翼がそう言って笑うと、真琴も笑いながら言った。


「あのさ、今朝きてた人、佐藤部長の支援者なんだよ」


「そうなの!?」


 支援者が会社にまで来るというのは驚きだったが……。佐藤を見に来てくれる人がいるのは、ありがたい。


 真琴は席に戻りながら説明を続ける。


「障害者・就業生活支援センターっていうところの人なんだってさ。佐藤部長の生活の相談とかにも乗ってるらしいよ」


「へぇ、そんなところあるんだ」


 障害者・就業生活支援センターは、国の事業である。厚生労働省や都道府県から、社会福祉法人等に委託されており、全国に多数配置されている。


 ハローワーク等、行政機関と連携を取りながら、支援を行っているそうだ。


 会社には届け出ていなかったが、佐藤は精神障害者手帳を取得していたという。そして、センターに登録だけしていたそうだ。


「支援の人、佐藤部長と面談したらしいけど、気持ち的にはだいぶ落ち着いてるって言ってた」


 真琴の言葉で、今朝の佐藤の様子を思い返す。確かに興奮している様子はなかった。


「このまま、何も起こらないといいね」


 翼の言葉に、真琴が頷いた時。



「失礼しまーす!」


 ドアが開く音と共に、亜美が入ってくるのが見えた。


「紫藤さん、もう体は大丈夫ですか?」


 翼には目もくれず、小走りで真琴の元へ駆け寄っていく。


「うん、大丈夫。ありがとう」


 真琴は少し戸惑った様子で答えていた。亜美は気づいているのかいないのか、紙を差し出す。


「この休暇届なんですけど……」


 プライベートの話ではなく、仕事の話だったようだ。


(真琴くん、寺川さんの告白は断ったって言ってたし。今は仕事の話してるだけだもん! 大丈夫……だよね)


 そう言い聞かせてみても、やはり心が落ち着かなかった。可愛らしい顔立ちの二人が並んでいるのを見ると、お似合いだと思ってしまう。


(そういえば寺川さん、真琴くんに断られて、どうするつもりなんだろう?)


 入力をしながら、ふと考えた。亜美は、可愛らしい外見に反して、中身はしたたかだ。簡単にあきらめるとは思えない。


 十分後、真琴の席を見ると、亜美の姿は消えていた。



 * * *



 仕事を終えて女子更衣室に向かう。翼がドアを開けると、先客がいた。


「お疲れ様です」


 亜美がにっこりと笑って言った。翼もぎこちなく笑って「お疲れ様です」と言う。二人きりというのは、どうにも気まずい。


 ロッカーから服を取り出して着替えようとすると、後ろから声がかかった。


「槙本さん、これから何か用事あります?」


「いえ、ありませんけど」


 今日は真琴も港も忙しいので、一人で帰る予定だ。


 すると、亜美は間髪入れずに言った。


「じゃぁ晩ご飯、ご一緒しませんか」


「え、晩ご飯!?」

 

 翼は思わず耳を疑い、後ろを振り返る。


 照明を反射して、亜美の目がきらきらと輝いていた。


 普段の可愛らしい顔からは想像できない、意志の強さを感じた。

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