第42話 言えない気持ち 言えた気持ち

 真琴の目に、炎が宿っているのではないか。そんな風に思ってしまうほどの、熱情を感じ、翼はたじろいだ。


 ――本当に、翼ちゃんも帰った方がいいって思うの?


「思う、けど……」


 そう言いながら、別の気持ちが顔を出す。


 帰ってほしくない。


 しかし、それは完全に翼の都合だ。「帰ってほしくない」と言って、真琴に「もしも」のことがあったら。取り返しがつかないことになる。


 だから、本音を言うわけにはいかなかった。でも……。


「寺川さんは、真琴くんに会社辞めてほしくないって言ってた」


 他の人の言葉を借りて、本音を伝えることぐらいは許されるだろうか。


 真琴は亜美の名前に、少し戸惑った様子だ。


「寺川さんが……」


「告白、されたんだよね」


 さりげなさを装って尋ねる。真琴は少し驚いた表情をしたが、即答した。


「うん。でも、好きな人がいるからって言って断った」


「す、好きな人!?」


 思いがけない言葉が出てきて、声が裏返ってしまった。心臓の鼓動がうるさくなる。


(どうしよう! 好きな人の名前、訊いてもいいの!?)


 真琴は、翼をじっと見つめているだけだ。


 一体どうすればいいかわからない。パニックになった頭を必死で働かせる。


(でも、真琴くんの好きな人が、港さんだったらどうしよう!!)


 真琴には、先ほど無理やり笑っているのを見抜かれた。演劇経験者相手に、ショックを隠し通す自信はない。


 散々迷った末、翼の口から出てきたのは「へぇ、そうなんだー……」という、魂が抜けたような言葉のみだ。


 真琴は戸惑ったような、何か言いたそうな表情をしていた。


 しかし、翼が帰る時間になっても、何も言ってくることはなかった。



 * * *



 週明け、月曜日の夕方。


 翼が仕事をしていると港に声をかけられる。


「大丈夫か」


「え、何がですか?」


 伝票の整理をしながら尋ねると、港は小さく笑って言う。


「元気がなさそうに見えるから」


 その言葉に翼は苦笑するしかなかった。表に出しているつもりはないのに、やはり港は人の変化に敏感だ。


 真琴が入院していることは、思った以上に翼の心を消耗させているらしい。そして、真琴に好きな人がいると聞いたことも。


 港はパソコンに向かって入力をしながら静かな口調で言う。


「真琴が復職しても、しばらく近づかない方がいいぞ」


「何でですか!?」


 思わず食って掛かるような口調になってしまう。しかし、港は気に留める様子もなく言った。


「佐藤部長は何を考えてるかわからない。真琴と仲のいい女の子っていうだけでつけ狙われる可能性もある」


 その言葉を聞いて翼は全身が冷たくなるのを感じた。そして、思い出す。佐藤が真琴に「今度、お前に彼女ができたら邪魔してやる」と言っていたことを。


 ホームで真琴を突き飛ばすような人間だ。


 港の言う通り、彼女ではなくとも何かされる可能性は充分にある。


 そう思い至り、ぞっとした。


 ただ、唯一希望が持てることとしては、佐藤には支援機関が紹介されていることだろうか。このまま何事も起こらないことを祈るしかない。


 佐藤は二・三日中に退院すると聞いている。そして、退職まであと二週間ほどだ。


「会社ではなるべく一人になるな」


 真剣な表情で警告する港に、翼は小さく頷いた。



 * * *



 数日後の朝。翼が、会社に着いてロッカーから出ると、見覚えのある後ろ姿が廊下を歩いていた。


「真琴くん?」


 そう呼びかけると、振り向いた。やっぱり真琴だ。


「退院おめでとう」


「ありがとう」


 笑顔でそう言い合い、事務所に向かって歩きかけて……翼はハッとした。


 ――真琴が復職しても、しばらく近づかない方がいい。


(でも、久しぶりに会えたんだもん。事務所に一緒に行くぐらい、大丈夫だよね)


 廊下には人通りもある。万が一、佐藤とすれ違っても何かしてくることはないだろう。もう少し、真琴と一緒にいる時間を楽しみたい。


 しばらく歩いていると、真琴がふいに足を止めた。


 真琴の視線を辿っていくと、佐藤がいる。


 翼は我知らず、鳥肌が立つのを感じた。


 佐藤は無言で近づいてくる。翼は息をするのも忘れて、佐藤と真琴を見つめた。


 もし、佐藤が真琴に何かしようとしたら……胸ポケットに入っているボールペンを投げつける。逃げる時間稼ぎぐらいはできるだろう。


 翼の心臓が速くなる。


 長く感じたが、おそらく実際には短い時間。


 佐藤は真琴を一瞥したかと思うと、無言で立ち去って行った。


 それがかえって不気味だった。


 佐藤がいなくなって、翼はゆるやかに息を吐き出す。とりあえず、何も起こらなかったことに安堵していると……。



「翼ちゃん、当分僕には近づかない方がいいかもしれないね」


 苦々しい口調で、真琴が言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます