第41話 恋心と本心

 ついさきほどまで、翼と真琴しかいなかった空間。そして、いつもと違った真琴の表情。二人の間に流れていた、空気。


 それらは亜美と港が病室に入ってきた瞬間、跡形もなく霧散した。



「紫藤さん、いつ退院できそうなんですか?」


 亜美が真琴に尋ねると「来週ぐらいかな」と言う。今日は土曜日なので、一週間以内には退院するということだ。


 翼は、亜美と港を見ながらどうしようかと考える。病室に見舞客が三人。自分は帰った方がいいのだろうか。


 しかし、このまま帰ることに不安も感じた。


 亜美は真琴に告白をしたという。返事はどうなっているのだろうか。


 そして、真琴は先日、港に迫られているように見えた。よりを戻したわけじゃないと真琴は否定していたが、真偽はわからない。


 真琴は亜美に対しても、港に対しても普段通りの態度だ。翼には真琴の心情を読み取ることはできない。


 ふいに港が「佐藤部長と何かあったのか」と真琴に尋ねた。暗に「ホームに転落したのは、事件性があるのか」と訊いているのだろう。しかし、真琴は「まだ話せません」と言うに留まった。


(あれ? 私には教えてくれたのに……)


 あまり多くの人には話したくないということだろうか。


 真琴との面会時間は、一時間にも満たなかった。あまり疲れさせてもよくないから、と港が言ったので早めに引き上げることにしたのだ。


 病室を出るのは翼が一番最後になった。ベッドの横を通り過ぎようとした時、ふいに手首を掴まれる。


 驚いて振り返ると、真琴が強いまなざしで翼を見つめていた。


「翼ちゃん。明日、用事ある?」


「特にないけど……」


「じゃぁ、明日も来てくれないかな」


 翼はその言葉に目を見開く。真琴の負担になるから、明日は来ない方がいいかと思っていた。しかし、ほかならぬ真琴が「来て」と言っている。


「わかった」


 翼は笑顔で答えて、病室を後にする。


 心が、羽のように軽くなった気がした。



 病院を出た翼たちは、さんさんと降り注ぐ太陽の下を歩いていく。建物内は冷房が効いていたが、外は暑い。


 三人はしばらく無言だったが、唐突に沈黙は破られた。


「真琴は実家に帰った方がいいかもしれないな」


 港の言葉に、翼は体をぎくりとこわばらせた。しかし、横にいる亜美は冷静な口調で問いかける。


「何でですか?」


「佐藤部長に狙われるかもしれない。ここから離れた方が安全だ」


 港は、真琴が入院したのは「事故」ではなく「事件」であることを察しているようだ。


「えー、私は紫藤さんに会社辞めてほしくないですよお」


 亜美が反論するように言う。翼も同意したい気持ちでいっぱいだったが、一方で港に同意したい気持ちもあった。


 佐藤には支援機関が紹介されたという。しかし、事件が再度起こらない保証など、どこにもないのだ。



 翌日の日曜日。翼はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、再び真琴の見舞いに訪れた。


「来てくれてありがとう」


 笑顔を向ける真琴に、ぎこちなく頷いて笑顔を返す。


「……翼ちゃん、何かあった?」


 真琴に問われて、心臓が止まりそうになる。


 高校時代、演劇部に入っていた真琴は、ひどく察しがいい。翼が「素人演技」で不安を押し隠して笑っていても、わかるのだろう。


 翼は迷った末、正直に話すことにした。


「港さんがね、真琴くんは実家に戻った方がいいんじゃないかって言ってたの。佐藤部長に狙われるからって」


 そう言うと、真琴は目を見開いた。そして、困ったような表情を浮かべて「港さんにはかなわないな」と、ため息をつく。


 その様子を見ながら、翼は言った。


「私も、実家に戻った方がいいんじゃないかって思う」


「え?」


 何を言われたかわからないような顔をする真琴に、翼は苦しい気持ちを吐き出した。


「だって支援機関の人は、佐藤部長のことを常に見張っててくれるわけじゃないんでしょ? また同じようなことがあったら怖い。だったら実家に戻った方が安全だよ」


 本当はこんなことを言いたくなかった。だけど、また真琴に危険が及ぶことに比べれば、実家に戻って安全に暮らしてくれた方がいいと思う。


 真琴への恋心に蓋をして考えれば。


 蓋をするのは苦しいことだ。だけど、真琴に万が一のことがあったら、もっと苦しくなる。


 それならば、まだ恋愛感情に蓋をする方がマシだ。どんなに心が震えていても。


 翼は、下を向いてぎゅっと唇をかみしめる。


 しばらくの沈黙の後、真琴は静かな口調で言った。


「本当にそう思う?」


「え?」


 弾かれたように顔を上げると、強い視線が飛び込んできた。


「本当に、翼ちゃんも帰った方がいいって思うの?」


 真琴のまなざしには、炎のような熱情が宿っている気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます