第33話 愛情の温度差

 翼が何も言えずに立ち尽くしていると、港はふと口元を緩めて笑う。


「そんな顔をするな。不幸な人生を歩んできたわけじゃない」


 港は、無理をしているようには見えなかった。そして翼は、無意識に「児童養護施設にいた人は不幸だ」と思っていたことに気づく。


「すみません……」


 何も聞いていないのに、勝手に決めつけてしまった。しかし、港はさして気にしていない様子で言う。


「まぁ、不幸なイメージを持つ人の方が多いだろうな。でも、施設の方が幸せだって言う人もいるんだ。家にいた時は、ご飯が何日も食べられなかったけど、施設だとご飯の心配をしなくてもいいって言ってる人もいたし」


「そうなんですか……」


 何日もご飯が食べられない。それは翼の今まで生きてきた経験の中では考えられないことだった。


 茫然とする翼に、港は静かな口調で「生い立ち」について語り始めた。


***


 港の産みの母親は、シングルマザーだった。しかし、事故で亡くなったため、母方の親せきが港を施設に預けたそうだ。


 当時、三歳。港の人生で一番古い記憶は、施設の中でたくさんの子供たちと走り回る所から始まっている。


 そして、五歳になった時、子供を病気でなくしたという夫婦と養子縁組をした。夫婦が港を選んだのは、亡くなった子供に港がよく似ているからだという。


 その日から港の苗字は「藍田」になった。


 今日から「お父さん、お母さん」と呼べと言われて、呼んでみたものの、意味がよくわからない。何より。


(この人たちのことを信じていいのか?)


 港は幼心にそう思った。見知らぬ場所での、よく知らない大人たち。この人たちは、自分に害をなす存在ではないのだろうか。


 施設で一緒に暮らしていた「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」は「お父さんやお母さん」が怖いと言っていた。目の前にいる「お父さんとお母さん」は怖い人ではないのだろうか。


 信じられなくて、わざと養父母たちを困らせるようなことを言ってみた。


「お母さんとお父さんなんてきらいだ!」


 それでも、見捨てないでいてくれるのだろうか。



 見捨てられることはなかった。


 だけど、養父母たちは戸惑っているように見えた。




 そして、お互いにぎこちないまま過ごし、一年が過ぎようとした頃、養母の妊娠がわかった。


「ずっと妊娠しなかったのに……」


 唖然とした様子で養母がそう呟いていたことを、港は覚えている。


「あなた、会社はどっちに継がせるの?」


 養母が養父に困り切った顔で言った。


 養父は小規模ながら会社経営をしている。その為、港の養父の母、つまり養祖母から「後継ぎを」と言われていたらしい。それでもなかなか妊娠しなかったので、養父母は養子縁組をすることに決めたという。


「適性がある方に継がせればいいだろう。港でも、その子でも」


 自分の名前が出たので、港は養父を見た。しかし、養父母たちが何を言っているのかは、幼い港にはよくわからなかった。



***



 翌年、港には義弟ができた。義弟はかわいかった。施設にいた時に、年下の子供たちと過ごしていたこともあるから、接することに抵抗はなかった。


 しかし、養父母の義弟と港への「温度差」は感じずにいられない。


 このままでは自分は見捨てられてしまうのではないか。港は不安になった。


「お母さん、遊んで」


 養母に言っても「あとで」と言われてしまう。「あとで」が守られたことはなかった。


(どうしたら構ってくれるんだろう)



 それから港は、家の中のものを壊し始めた。


 悪いことをしたら、当然叱られる。でも、その時だけは、自分のことを見てくれるのだ。


 しかし、養母から言われた一言に、港の心は凍り付いた。


「悪いことするなら、施設に戻すわよ!」


 それ以降、物を壊すことはしなくなった。だけど、港にはある想いが芽生えた。


(お母さんは、いつか俺を捨てる気だ)


 この時、港は小学校一年生だった。見捨てられると思うと、気がそぞろになる。宿題を忘れたり、学校の成績も下がったりした。


 担任の先生から「大丈夫ですか?」と電話が入った時、養母は言った。


「港、いい加減にして! 施設に帰りたいの!?」


 今思えば、義弟の育児にイライラしていたのだと思う。それでも「自分は愛されない存在だ」と思うには充分だった。


 養父母には、虐待をされたわけでもなく、特別な暴言を吐かれたわけでもない。


 ただ、義弟に比べて自分は「手をかけられていない」と感じるだけだ。それが年長者にはよくあることなのか、自分が養子であるからなのか。わからなかったが、港には後者としか思えなかった。


(なんで俺はこの家に来たんだろう……)


 義弟の顔を眺めながら港は思った。港の悲しい心とは裏腹に、義弟は笑顔を向ける。港が指を差し出すと、小さな手できゅっと握りしめる。


 柔らかいけれど、力強い感触だ。


 どこか、よそよそしい養父母。港に「平等に」接してくれるのは義弟だけだ。


「お前が大きくなっても、俺はここにいられるのかな……」


 港は義弟の笑顔を見ながら呟く。


 義弟の小さな指に、水滴がぽたぽたと落ちた。

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