第32話 愛情の背景

 今日は月が明るい夜だ。街灯が暗い道を照らす中、翼は一条駅に向かっている。そう、隣にいるのは……。


「俺と付き合う気になったのか?」


 心臓に悪い冗談を言ってくる青年、港だった。


「いや、なってないです」


 翼はきりきりと胸が痛む中、反論する。自分に想いを寄せてくれている人に、お断りの言葉を再三言うのも、なかなかつらいものがある。しかし、港はまったく気にしていないようだ。


「そうか、残念だな」


 さほど残念でもなさそうに言っている。翼が「否」と言うことなど想定済みなのかもしれない。


 なぜ港に送ってもらうことにしたのか、翼自身にもよくわからなかった。ただ、先ほど見せた港の、妙に寂しげな表情が気になったのだ。


 女性として恋愛をするよりも、人間として会社の先輩のことが知りたい。


 直感的にそう思ったのだ。


 ただ、港にとっては、翼は「人間」ではなく「意中の女性」だ。


(選択、間違えたかな……)


 期待させてしまったのなら、なんだか申し訳ない気がした。やっぱり、真琴と帰るべきだったかもしれない。


 だけど、とっさの判断で港と帰ると言ってしまった。いまさらどうしようもない。せっかくだから、こちらから話題を振ってみることにする。


「藍田さんは、どうして好きな人に『他に好きな人がいる』って言われても、諦めずにいられるんですか?」


 これは三年前からの疑問でもあった。港は、真琴に「好きな女の子ができたから別れたい」と言われてもなかなか納得しなかったのである。


 そして、今は、翼が真琴を好きだとわかっていて、諦める気配がない。普通は、好きな人に他に想う人いると言われたら落ち込むものではないだろうか。


 実際、翼は三年前、河野に彼女がいると言われた時、奈落の底に突き落とされたような気持ちになった。


 港は今、どんな気持ちでいるのだろうか。


 翼が港を見ると、意外そうな表情をしてまばたきをしていた。


「……まぁ、性格だろうな」


「性格ですか?」


 翼がきょとんとしていると、港は口の端を釣り上げて笑う。薄暗いせいか、いつもよりいっそう謎めいて見えた。


「俺は、人が困った顔を見るのが好きなんだ」


「はぁ!? 何ですかそれ! 意味わかりません!」


 思わず本音を口にしてしまい、はっとする。いくら何でも、会社の先輩相手に言い過ぎただろうか。


 しかし、港は全く気にしていない様子で笑っている。


(好きな子をいじめるタイプってこと……?)


 翼は口元に手を当てて考え込む。でも、なんだかしっくりこない。


「藍田さんって、どんな環境で育ったんですか?」


「なんだ急に」


 港が少し驚いた様子で翼を見ていたが、構わずに言う。


「確かに、好きな子をいじめるタイプの男子っていますけど。藍田さんってちょっと違う気がするんですよね。だから、どんな環境で育ったんだろうって」


 小学校の時、好きな子をいじめるのは、やんちゃなタイプの男子が多かった。しかし、港はどう見ても、やんちゃなタイプではない。それとも昔は、違ったのだろうか。


 翼の疑問には答えず、港は夜空に浮かぶ月を見上げる。今日は満月のようだ。


 港は小さく息を吐き出すように言う。


「どちらかって言うと、愛情が薄い家庭で育ったな」


「え、そうなんですか?」


 思わぬ答えに、翼の胸がざわめき始める。あまり踏みこんではいけない話題だったのだろうか。しかし、もう遅い。


 港は夜空を見上げたまま、何かを思い出している様子だった。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと翼に向き直る。


 静かな表情だった。


 そして、同じぐらい静かな声で言った。



「俺、児童養護施設にいたんだ」



 春風が、街路樹の木々を揺らしてざわめいた。

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