第30話 恋敵は外だけにあらず

 翌日、出社して営業部の事務所に向かっていると、真琴に会った。昨日の結末を、聞くことができないのがもどかしい。


 結局、翼は全然関係ない話題を口にする。


「そういえば、会社からは何も言われてないの? 宮井さんに録音データ渡したんだよね?」


 沙知の名前を出すと、胸が勝手にずきずきする。


「今のところは何も言われてないよ。甲斐田部長の僕への接し方が若干ぎこちないぐらいかな」


 真琴は苦笑いしながらも、さほど気にしていない様子だ。


 それでも翼は心配だった。録音データを渡したということは「会社とは対立する」と明言したようなものである。


「真琴くん、大丈夫かな? 審判が終わった後に、何か言われたり、されたりしない?」


「それはわからないけど……。ただ、会社もこれ以上、トラブルの種は増やしたくないと思うよ」


 確かに事件の当事者ではない翼でも、日々神経をすり減らしている状況だ。会社の上層部の人間たちは、もっと神経に負担がかかっていることだろう。この事件を一刻も早く終わらせたい、というのが本音ではないだろうか。


 そして、真琴は少し明るい口調で言う。


「唯一の救いは、今の社長が、旧・中山工業の人ってことだよね。佐藤部長は旧・東製作所の人間だから」


「どういうこと?」


 首を傾げる翼に、真琴は声を潜めて説明する。


「上層部では旧・中山派、旧・東派っていう派閥争いがあるみたいなんだ。佐藤部長は旧・東製作所の社長と仲がいいからさ。審判が終わった後、何のお咎めもなしっていうことはないと思うよ」


 旧・中山工業出身の社長から見れば、旧・東製作所の社長と仲が良い佐藤に、あまりいい感情がないということだろう。まして、沙知は会社に損害賠償を請求してきた。佐藤はセクハラをしただけではなく、会社に損害を与えようとしている。何らかの処罰が下されるだろう、というのがもっぱらの噂だ。


「そっか、じゃぁ、大丈夫かな……」


 翼は胸をなでおろした。


 今回も、佐藤が何のお咎めもなしに会社に留まり続けるのではないか、という可能性も考えていたので、安堵する。


 それにしても。


(真琴くん、宮井さんになんて返事したのかなぁ……)


 一番気になることは、わからないままだ。


 翼は昨日から、何度となく「告白した方がいいのだろうか」と考えている。


 しかし、今は真琴も当事者として事件に巻き込まれている状況だ。おそらく、精神的に落ち着かない時期だろう。真琴を目の前にすると、告白するというのが、なんだか憚られた。


 翼が「女性」という存在として真琴に向き合いたくても、今は「時期ではない」ような気がする。


 たとえ、沙知が「女性」という存在として、真琴にアプローチしているとしても。


 真琴が沙知にどう返事したのかはわからない。ただ、昨日の真琴の口調から考えて、すぐに付き合うということはないだろう。


 状況が、すぐに変わることはない。


 そう思っていたのだが……。



 数日後の夕方、在庫確認をするべく、事務所の外に出た時のことだ。倉庫の入り口のすぐ近くで、真琴と亜美が話し込んでいるのが見えた。


(どうしたんだろう、こんなところで)


 翼は足音を立てないように、そろそろと倉庫に近づいていく。


「ありがとう、嬉しいよ」


 真琴が弾む声で言っているのが聞こえた。最近、聞いたこともないほど明るい声だ。


「私も嬉しいです」


 亜美が、砂糖菓子のように甘い声で言っているのが聞こえる。


「じゃぁ、次の土曜日に」


 そう言うと真琴が立ち去っていく気配がした。翼がいる方に来るのではないかと思ったが、どうやら違う方に行ったようだ。しかし、ほっとしている場合ではない。


(どういうこと? 寺川さんとデートするの?)


 真琴は、亜美とは「付き合わない」と言っていた。


 気が変わったのだろうか。それとも、何か用事があるのだろうか。しかし、デート以外で「嬉しい」と言い合う用事って何だろう。


 翼がその場で考え込んでいると、ふと人の気配を感じる。


 はっとして振り返ると、亜美が立っていた。


(しまった……――!!)

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