第20話 彼らが動く時

 翼は、たったいま港が口にした言葉を頭の中で繰り返す。


 ”君に恋愛感情がある”


「え――――――――――っ!?」


 翼は思わず、椅子から立ち上がって叫んだ。あまりの大声に、港はあっけにとられた様子だ。


「そこまで驚くか?」


「驚きますよ! だって三年前、私のこと……」


 敵視していたでしょう、と言うのはさすがに憚られる。しかし、港は翼が言いたいことはわかったようだ。


「あの時は、俺も必死だったからな。真琴を取り戻したくて」


 翼はその言葉にうつむくしかなかった。そして、立ち上がったままであることに気づき、椅子に座る。


 改めて、正面に座っている港の顔を見つめた。やっぱり何を考えているかわからない。


「藍田さんから見たら、私は三年前に好きな人を……その、奪った人間ですよね。それなのに何でですか?」


 翼が戸惑いの目を向けると、港は腕組みをして答える。


「三年前、俺は真琴を取り戻したいと思ってた。でも、槙本さんと真琴がうまくいけばいいとも思ってた」


「どういう意味ですか?」


 まるきり矛盾しているではないか。


 翼の心の声を察したように、港は説明を続ける。


「真琴が俺に恋愛感情がないのはわかってた。でも、自分では諦められなかったんだ。だから、いっそ真琴と槙本さんが付き合ってくれれば諦めがつくと思ってた」


「じゃぁ、なんで私の恋に協力してくれたんですか?」


 翼は当時、河野に片思いをしていた。そして、港は「河野をデートに誘え」とアドバイスしたのだ。


 翼が首を傾げていると、港は笑いながら言う。


「それは真琴の恋路を邪魔してたんだ。俺のところに戻ってきてほしかったから」


「ええっ? 真琴くんの恋がうまくいけばいいと思ってるのに、邪魔してたってことですか?」


 翼が驚きの声を上げると、港は「そういうことになるな」と言って頷いた。


(港さんの思考回路って、よくわからない……)


 翼が額に手を当てて考え込んでいると、港はため息をつきながら言う。


「俺もどうしたらいいかわからなかったんだよ。諦めたいけど、諦められない。苦しかった。だから、真琴への気持ちを手放すきっかけが欲しかったんだ」


 苦い思いを吐き出すような港の独白を、翼は意外な思いで聞いていた。


 三年前は、掴みどころのない、謎めいた青年だと思っていた。翼も……そして真琴も、到底太刀打ちできないような、大きな存在だと。


 しかし、今、弱さをさらけ出す姿は、不完全で未熟な人間だと思える。


 そして、港はいつもらしからぬ穏やかな表情で言った。


「真琴の退学は残念だったよ。でも、俺の気持ちを手放すきっかけになった。だから、真琴が遠くに行ったのはよかったと思ってる」


 話を聞いている限り、港は恋に終止符を打つことを、心のどこかで望んでいたのだろう。そして、真琴が遠くに行ったことで、すっきりと自分の気持ちを手放したように思える。それは翼にとって、意外なことだった。


 港はふいに真剣な表情になる。


「そういうわけだから、君に恋愛感情があると言ったのは本当だ」


 改めて「恋愛感情がある」と言われて、翼の頭が真っ白になる。心の中が沸騰しそうなほど熱くなるのを感じた。


「いいい、いつからですか!? っていうか、なんでですか!?」


 動揺しすぎて、噛んでしまっている。


 港はそんな翼を見ながら、やわらかな笑みを浮かべて言った。


「入社したばっかりの時、タイピングのことを教えただろう。その時に『ありがとうございます』って言って笑ってた。きっかけはその時だな」


 翼の頭にぼんやりと、「タイピングの練習をしろ」と言われた時のことがよみがえる。


(そうなんだ……。恋って、何がきっかけになるかわからないもんだな……)


 翼がそんなことを考えた時。


「お疲れ様です」


 声と共にドアが開く音がした。入ってきたのは真琴だ。


 ガンッ。


 翼は慌てて椅子を引こうとして、机にぶつけてしまった。


「どうしたの?」


 真琴に尋ねられるが、「何でもない」と言って、パソコンに向かう。そして、平静を装って、伝票入力をするが。


(……仕事が手につかない)

 

 後ろに港がいると思うと、全然集中できなかった。そして、さきほど真琴から聞いた「ホテル」のショックもまだ引きずっている。


 翼は、仕事量と処理にかかる時間を計算した。


(明日にしよう)


 これ以上仕事をするのは諦めて、帰ることにした。


 * * *


 翼が営業部の事務所を出た瞬間、港は真琴に向かって言った。


「俺は動いたぞ」


「……何のことですか?」


 真琴が眉根を寄せると、港は薔薇を思わせるような艶やかな笑みを浮かべて言う。


「槙本さんに、恋愛感情があるって言った」


「ええっ!?」


 ここが会社であることも忘れて、大声を出してしまった。そして、すぐさまハッとする。自分たち以外に人がいなくてよかった。


 真琴は、港の顔を凝視しながら言う。


「本気ですか? カムフラージュで『付き合える彼女』を探してるわけじゃないんですよね?」


 念押しするように言うと、港はおかしそうに笑う。


「お前も信じないんだな」


「……っていうのが本音です」


 真琴の言葉に、港は「槙本さんも、同じような反応だったよ」と言う。そして、不審そうな顔をする真琴に説明した。


「あの子、俺に笑顔で『ありがとうございます』って言ったんだよ。三年前は敵対してたのに。だから、妙に印象に残った。それが始まりだな」


 珍しく熱を帯びた口調で言う港を、真琴は意外な思いで見つめた。港はやわらかな表情で話し続ける。


「話してみたら素直でいい子だったしな。でも、カフェに誘ったのは、違う理由だ」


 真琴が首を傾げると、港はおかしそうに笑う。


「じれったかったんだ。槙本さんを見てるだけで、何もしない真琴が。だから、あの子をカフェに誘った。そうしたら絶対にお前は動くと思ったから」


 心を見透かされたような言葉に、真琴は唇をかみしめる。


 同時に、港の表情が鋭いものになった。


「カフェに誘った後、お前が動いたら、俺は槙本さんを諦めてもいいと思ってた。でも、あの後、動かなかっただろう」


 無言になった真琴に、港は口の端を釣り上げて笑う。


「だから、


 その瞬間、真琴の顔がこわばった。


「本気で口説くつもりですか」


 硬い口調で問いかける真琴に、港はゆっくりと頷いた。


「あぁ。お前はどうするんだ?」



 * * *



 会社を出た翼は、コンビニに寄ることにした。今日は色々あって、まだ気持ちの切り替えができない。気分転換がしたかった。


 何を買うともなく、店内をブラブラする。雑誌コーナーに行って、女性用のファッション雑誌を立ち読みした。春服が目白押しだ。しかし、全くときめかない。パラパラとページをめくっていくが、心を素通りしていくだけだ。内容が頭に入ってこない。


 雑誌を閉じて、本棚に戻す。


(今は何をしてもダメだ、帰ろう)


 そう思い、コンビニを出た瞬間。


「翼ちゃん?」


 後ろから声をかけられて振り向くと、真琴が立っていた。夜の闇の中、コンビニの明かりと、オレンジ色の街灯に照らされている。


「お疲れ様」


 翼がぎこちなく言うと、真琴が近づいてくる。どこか硬い表情をしている。どうしたのだろう。


「あのさ、翼ちゃん。僕と……」


 真琴は、口にするのを躊躇っているようだった。翼の心臓が緊張で苦しくなる。次に続く言葉は何だろう。


 真琴は強い視線を翼に向けている。翼も見つめ返す。息が苦しかった。


 そして、痛いほどの沈黙の後。


 真琴は思い切ったように言った。



「翼ちゃん、僕と護身術、習いに行かない?」

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