第18話 彼が行動しない理由

「真琴くん、なんで動かないんだろうね?」


 翼の学生時代の友人、乾まどかは首を傾げながらそう言った。


 

 ゴールデンウィーク最終日、翼は実家の最寄り駅から一時間ほどの距離にあるハワイアンカフェにいた。


 ゆったりとした雰囲気の店内には、スローなテンポの音楽が流れ、女性客を中心ににぎわっている。


「動かない?」


 翼はロコモコ丼を食べつつ、まどかの言葉を繰り返す。


「動かないって言うか、何も言ってこないって言えばいいのかな。告白とかもないんだよね?」


「うん、ない……」


 翼が若干落ち込み気味に言うと、まどかは慌てて言う。


「真琴くん、翼ちゃんと会社の人がカフェに行った時、変装して尾行してたんでしょ。好きでもない女の子に普通そこまでしないよ」


 翼はその言葉に心がときめくのを感じた。しかし、昨日の真琴の言葉を思い出す。


「でもさ、真琴くん『男は恋愛感情がなくても行動できるんだ』って言うんだよ。だから……」


 泣き出しそうな声で言うと、まどかは即座に否定する。


「それは一般論だって。真琴くん、好きでもない女の子に構うタイプじゃないもん。大学の時だって、構ってたの翼ちゃんぐらいじゃない?」


「そ、そうかな……」


 ならば、少しは希望を持っていいのだろうか。胸をなでおろしていると、ふいにまどかが心配そうな表情で言った。


「そういえば真琴くんのお父さんって、もう大丈夫なの? 事故で怪我したんでしょ?」


「あ……。私も気になってるんだけど」


 何となく言い出しづらくて聞いていなかった。しかし、折を見て真琴に聞いてみた方がいいだろう。


 真琴のお父さんの話は、真琴が退学した時の、悲しみの記憶を思い出させた。


 流れる空気が、少し重くなる。


 翼が落ち込みかけたのを察したのか、まどかは空気を変えるように明るく言った。


「真琴くん、昔のこと気にしてるんじゃない? 自分から『僕の気持ちは忘れて』って言ったでしょ。今更付き合いたいって言いにくいんじゃないかな」


「うーん、じゃあ、どうしたらいいんだろう?」


「翼ちゃんが、好きって言うしかないよね」


 その言葉を聞いた瞬間、頭から湯気が出そうになる。テーブルに突っ伏したい気持ちでいっぱいだったが、我慢した。


 真琴に告白。


「い、今は……勇気出ないよ……。仕事始めたばっかりだもん。もしフラれたら気まずいし」


 しかも、同じ部署なのだ。毎日顔を合わせる。失恋したら……考えるだけで気が重くなる。


「じゃぁ、カフェに誘ってくれた先輩と付き合うっていうのは?」


 まどかの言葉に、翼は思わず手を止めた。


 港と付き合う。


 そんな選択肢は思い浮かばなかった。港は何を考えているのかいまだによくわからない。付き合う場面が想像ができなかった。


 翼はロコモコに乗っている目玉焼きを切り分けながら言う。


「その人が私のこと好きかなんて、わからないよ……。からかってるだけかもしれないし」


 翼は困り切った顔で言った。姉は「好意を持たれているのではないか」と言ったが確信が持てない。


「じゃぁ、河野さんは? ご飯に誘ってくれたんでしょ?」


 まどかの口から出た意外な名前に、苦笑いする。


「確かに誘われたけど、三年前に告白してフラれてるし……」


 まどかは、河野がゲイバーで働いていたことを知らない。翼が性別的に河野の恋愛対象ではないということも。


 しかし、そこまで考えてハッとする。


(ん? そういえば、河野さんの恋愛対象って今どうなってるんだろう)


 河野は母親の「あんたが女だったらよかったのに」という言葉がトラウマになり、後天的にゲイになってしまった。


 しかし、三年前、母親の言葉にとらわれるのは終わりにしたい、今度は女性と恋愛するかもしれない、と言っていたのである。


(河野さんの今の恋愛対象って、男の人? それとも女の人?)


 翼が考え込んでいると、まどかは人差し指を立てながら言う。


「時間が経ってるんだからわからないよ。再会から始まる恋だってあるんじゃない?」



* * *


 そして、ゴールデンウィークが明けてから、数日。


 連休明けの忙しさも少し落ち着いてきた頃、翼は通勤電車の中で、まどかの言葉を思い出していた。


(再会から始まる恋、か……)


 人込みに流されるように電車を降りて改札へ向かう。駅事務所には河野がいた。改札の近くまで来ると、河野と目が合う。駅事務所からは遠く離れた改札機なので、目礼だけで済ませた。


 駅を出ると、まぶしい太陽の光が翼を包む。


 会社に向かって歩きながら、翼は思った。


 一体、自分が歩いている道はどこに……誰につながっているのだろう、と。




 十五分ほど歩いて、会社に着く。制服に着替えてロッカーを出る。


 扉を開けると、真琴も男性用ロッカーから出てきたところだった。


 連休が明けてから話す機会がなかったが、聞いてみよう。


「真琴くん、お父さんってもう大丈夫なの?」


 翼が歩きながら問いかけると、真琴は目を瞬かせた。


「あ、うん。けがはもう大丈夫だよ。今は在宅の仕事してるんだ」


「そっか、それならよかった」

 

 翼が安堵した表情を見せると、真琴は「気にしてくれてありがとう」と言う。


 営業部の事務所に向かっていると、すれ違う社員たちに見られている気がした。


(何だろう?)


 翼が目を向けると、社員たちの小さな声が耳に入る。


「宮井さんから……届いたんだって……」


(え? 宮井さんって、真琴くんと付き合ってたっていう人のこと?)


 翼は入社時に、全社員の名前入りの座席表をもらった。確か、宮井という名前の社員は在籍していなかったはずだ。いるとすれば、退職した社員だ。


 胸の中が妙なざわめきに支配されていく。「宮井さん」が一体どうしたのだろうか。


 営業部の事務所に入ると、社員たちからの視線が突き刺さった。


「紫藤くん、ちょっと来てくれる?」


 事務所に入ると、営業部の部長が真琴を手招きした。そして、部長と真琴はミーティングルームへと入って行った。


 真琴たちの姿が消えた途端、社員たちのぼそぼそとした声が聞こえる。


「……やっぱり……紫藤くん……」


 真琴の苗字が聞こえてくる。しかし、それ以外の内容が聞き取れない。


(え、何? どういうこと?)


 何かが起きていることはわかる。しかし、何が起きているか、翼にはわからない。


 不穏な空気が流れる室内に、突然、社内放送が入った。


「本日、会議室で臨時集会があります。社員の皆さんは、会議室へお集まりください」


 社員たちは首を傾げながら、会議室へ向かう。


 広い会議室は百名を超える社員たちの声でざわめいていた。翼が会議室に入ったのは、入社式以来だ。


 そして、約十分後。


 壇上に社長が出てくると、室内は静まり返った。社長はマイクのスイッチを入れると、やや緊張した面持ちで話し始める。


「皆さん。すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、我が社に裁判所から訴状が届きました。元社員、宮井沙知さんからの訴えです。詳細は裁判の場で明らかにしますので、噂に惑わされないように各自お気を付けください。以上です」


 そして、社長はマイクを置いた。


 その瞬間、会議室にいる社員達が一斉にざわめき始める。


(裁判……!?)


 翼が驚いて立ち尽くしていると、周りの社員の声が聞こえてくる。


「セクハラがあったって噂、本当だったの?」


「俺もなんか聞いたことあるけど……」


 不穏な言葉に、翼は心臓が冷たくなるのを感じた。


(どういうこと?)


 会議室内に真琴の姿を探すが見つからなかった。


「紫藤くんも大変だなぁ」


 近くにいた営業部の男性社員からそんな声が聞こえてきて、翼は思わず耳を澄ませた。ざわめく室内の中、その声はやけにはっきりと聞こえる。


 翼が聞いていることには気づかず、男性社員たちは話し続ける。


「俺、仕事中にホテルに行ったって噂聞きましたけど」


(ええっ!?)


 翼は、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。


 そして、真琴が何度も口にしていた言葉を思い出す。



 ――……男は、恋愛感情がなくても行動できるから。



 心と体が冷え切っていくような気がした。春だというのに、体の震えが止まらない。


(もしかして、真琴くんが言ってたのってだったの……!?)


 翼の足元がぐらつき、崩れていくような気がした。

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