第15話 幸せな恋をしてもいい

「それ、好意持たれてるわよ」


 姉は、翼に対して断言した。



 ゴールデンウイーク初日の夜。実家に帰省した翼は、姉・はなの部屋で話し込んでいた。翼にとって、華はもっとも信頼できる相談相手の一人だ。


 夕食後、真琴たちに再会したことや、ここ一か月の港の不審な行動を洗いざらい話したのである。「好意を持たれてる」という言葉は、連休前日の「スティック菓子事件」のことを話した際に出てきた言葉だった。


 しかし、翼は全力で反論する。


「でも、港さんって真琴くんのこと好きだったんだよ? 三年前、私に思いっきり敵意向けてきたんだよ?」


「そんなの昔の話でしょ。今は敵意どころか好意しか感じないわよ」


 翼の反論は華麗に一蹴されてしまう。


「えー、でも、港さんが私を……? 好かれる理由がないよ」


 好かれない理由ならいくらでも思いつくが。


 腑に落ちない顔をする翼に、華は人差し指を立てながら言う。


「あのね、翼。恋は理屈じゃないのよ。あんただって河野さんに一目ぼれしたでしょ? その時、理由あった?」


「……なかった」


 センター入試の日、駅でカイロを配っていた駅員、河野。彼のことは何も知らなかった。それでも、一瞬で恋に落ちてしまったのだ。


「でしょ? 港さんが、翼を好きになってる可能性は充分あるわ」


「そうかなぁ……」


 納得がいかず首を傾げてしまう翼に、華はなおも言う。


「女の子が食べてるお菓子をかじる、そんな男子がどこにいるのよ」


「……え、真琴くんも一口かじってきたけど」


 翼の一言に、華は動きを止めた。そしてため息をついて言う。


「港さんに対抗したんでしょ」


「え、対抗ってなんで? 真琴くん、彼女いたんだよ?」


 翼の言葉に、華は少し考え込むように言った。


「少なくとも今はいないでしょ。『昔好きだった人』っていうだけなら、わざわざお菓子かじる真似なんてしないと思うわ。聞けば済む話じゃない」


「そ、そうかな」


 翼の声が、嬉しさでうわずった。顔がほんのりと熱くなっていく。少しは期待していいのだろうか。そう思いかけた時に、華は絶妙なタイミングで言う。


「まぁ、真琴くんに確かめてみないとわからないけど」


 聞いた瞬間、がっくりと肩を落としそうになった。


「お姉ちゃん。私どうしたらいいの?」

 

 涙目の翼に、華は慌てて言う。


「港さんも、真琴くんも好意を持ってくれてる可能性はある。それぐらいは思ってもいいんじゃないかってことよ。そうだ、ゴールデンウィークなんだから真琴くん、帰省してるでしょ。デートに誘ってみたら?」


「ええっ、デート!? 恥ずかしいよ!」


 翼はクッションを抱えて思わず後ずさる。しかし、翼が距離を取った分、華はさらに距離を詰めてくる。


「自分で動かないと、前に進まないわよ。他の女の子に取られてもいいの?」


 華の言葉にハッとする。確かに真琴に想いを寄せているのは翼だけではない。たとえば、総務部の寺川亜美も恋敵の一人だ。


「真琴くん、営業職だから毎日お客さんの所に行ってるんでしょ? 取引先の女の子からアプローチされてるかもしれないわよ」


 華がさらに距離を詰めて言う。それは考えてもみなかった。ライバルは一人だけとは限らないのだ。


「デートに誘うって……どこに誘ったらいいかな……」


 消え入りそうな翼の言葉に、華は満足そうに笑った。そして、「ランチでいいんじゃない?」と勧めてくる。


「どこに誘えばいいかな? っていうか、いきなり誘うのっておかしくない?」


 翼が携帯を片手に、華に問いかける。メッセージを送ろうとしているのだが、最初の一文が思いつかないのだ。


「ケーキバイキングは? 昔、真琴くんと行ったんじゃなかったっけ?」


 翼の脳裏にいちごのスイーツバイキングの光景がよみがえる。赤、白、ピンクを中心にした、華やかなケーキがテーブルいっぱいに載っていた。


 学生時代、真琴と電車に乗っていた時、車内広告でスイーツバイキングの情報を見かけたのだ。そして、一緒に行こうという話になったのである。


 姉と妹がいるという真琴は、甘い物が好きなスイーツ男子だ。スイーツバイキングに誘うのは、いいアイデアかもしれない。


 翼は意を決してメッセージを送る。返信は数分後に来た。あまりにも速い返信に驚きつつ、恐る恐る確認する。


「いいよ、だって」


 翼が呟くと、「おしゃれしていきなさいよ」と華が横から囁く。しかし、翼は青ざめた。


「デートに行くなんて思ってなかったから、適当な服しかないよ!」


「私の服貸すから。いい? 翼、もっと素直になりなさい」


 諭すように言われて首を傾げる。素直になるとはどういうことだろうか。翼が意味を理解していないことを察したのか、華は少し考えながら言った。


「あんた、自分が好かれるわけがないって思ってるでしょ。港さんにしても、真琴くんにしても」


「……思ってる」


 翼がそう思うのは理由があった。中学生の時、同級生に「嘘の告白」をされたことがあり、恋愛不信、男性不信になってしまったのである。


 翼は高校生の時までは、美少年に間違えられていた。その為、同級生の女子たちのあこがれの的だったのである。結果、意中の女子に振り向いてもらえない男子が続出した。


 そこで、数名の男子たちが、とある計画を立てた。翼の同級生の美形男子、後藤俊に「嘘の告白」をして、翼を彼女にしてくれと頼んできたのである。後藤は承諾して、翼に告白をした。


 しかし、翼は告白を断ったのだ。そして、逆上した後藤が「これは嘘の告白だ」と翼に告げたのである。


 それ以来、翼はどこか「男性に好かれるわけがない」という固定観念を持って生きているように思う。


 恋愛に臆病なのも「嘘の告白」のことを心のどこかで引きずっているせいなのかもしれない。


 落ち込んだ顔で黙り込む翼に、華は静かな声で言う。


「『嘘の告白』は終わったことよ。それに、全くの嘘ってわけでもなかったし」


 そう、翼は大学で後藤に再会した。そして「嘘の告白」の真実を聞くことになったのである。


 後藤が、男子たちから告白するように「頼まれた」ことは本当だ。しかし、実は翼が気になっていたのだと。ただ、それまでの人生で後藤は告白を断られたことがなく、初めての「お断り」にプライドが傷ついた。そのために「嘘の告白だ」と言ったのだ。


 翼は「嘘の告白」のことがあってから、「恋をしてはいけない」ような気がしていた。男子たちの好きな人を奪っている自分が、恋をする資格なんてないのではないかと。だから、高校三年生の時まで好きな人もいなかった。


 しかし、センター試験の日、翼は河野に初めての恋をした。


 そして、後藤は大学入学後、翼に過去の事件について謝罪をしてくれた。


 だから、トラウマと「恋をしてはいけない」という思い込みは、乗り越えられたと思っていたのだ。


 それでも、久しぶりに「嘘の告白」のことを思い出すと、悲しみが心の奥底から溶け出してくるようだった。目の奥がじわりと熱くなってくる。


 華はそんな翼に対し、包み込むような声音で言った。


「自信を持ちなさい、翼。あんたはもう幸せな恋をしてもいいのよ」


 幸せな恋。


 その言葉が、翼の心の奥深くにある、何かを震わせた。


「……私、男子たちの『好きな女の子を奪ってた』けど、真琴くんに『好きになってほしい』って思ってもいいの?」


 口にしてみて、それが翼の心の根底にある、最大の疑問であり、罪悪感だったのだと気づく。そう思うのはやはり「嘘の告白」のことを引きずっていたからだ。


 ――誰かの好きな人を奪っていた自分が「好かれたい」などと思っていいのか。


 この疑問が、翼の心と行動を無意識に支配していたのだろう。それゆえに、真琴に対して素直になれなかったのだ。


 しかし、華は首を横に振りながら言う。


「翼が奪ったんじゃないわよ。同級生の女の子は、ただあんたを好きになっただけ」


「そっか……」


 華の言葉に、少し救われた気がする。


 翼は、しばらく黙り込んでいた。そして、目が熱くなりながらも、大きく息を吸い込み、一息に言った。


「じゃぁ、私……真琴くんに、好きになってほしい」


 自分でも驚くぐらい、強い声だった。


 そして、言った瞬間、涙がこぼれる。泣くほど口にするのを躊躇っていたということに驚いた。「好きになってほしい」というのは、翼の心の根底にある、強い想いであり、願いだったのだ。


 華はティッシュを差し出しながら笑顔で言う。


「よく言えたわ。真琴くんにも、自分の気持ちを素直に表現してみなさい」


 翼は姉の激励に無言で頷いた。


(素直になって、前に進まなきゃ……)


 もう「過去の事件」にとらわれるのはおしまいだ。




 そして、二日後。


 真琴とのデートの日がやってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー