第12話 ありえない「恋」

 三年前、港は間違いなく翼を敵視していた。港にとっては恋敵だったからだ。


 だから、港が翼に顔を寄せているのを見た時、真琴には何が起きているのかわからなかった。



「どういうつもりですか、港さん」


 変装を見破られた真琴は、サングラスとカツラを取って、偽りの姿を脱ぎ捨てる。


「店内に入ってから、やたらと視線を感じたからな。一体誰なのか確かめたかったんだよ」


 港が悪びれもせずに言うと、翼が驚きの声を上げる。


「ええっ、それだけであんなことしたんですか!?」


「悪いか?」


 質問を質問で返されて、翼は心底困った。


(いや、普通キスするフリなんてしないでしょ……)


 そう口にしたい気持ちでいっぱいなのだが、主張しても通じない気がした。そして、真琴の前で「キス」という単語を口にするのは、何となく気恥ずかしい。


 口をつぐむ翼の代わりに、真琴が口を開く。


「本当に確かめたかっただけですか?」


 真琴が強い視線で問いかけると、港は笑みを浮かべながら言う。


「さぁな。人間の考え方なんて、時間が経てば変わるだろう。宮井さんも、真琴が好きになるタイプには見えなかったしな」


「え? 藍田さん、知ってるんですか?」


 翼が思わず問いかけると、港は肩をすくめながら言う。


「前、総務部にいた人らしいけどな。もう辞めてるから直接は知らない。ただ、宮井さんが保険証を返しに来た時、顔だけ見た」


「どんな人なんですか?」


 翼は、心臓がどくどくと脈打つのを感じる。本当は聞きたくないけど、気になるのだ。


「イマドキの女の子だったな。寺井さんと似た感じの」


 それは確かに意外だ。亜美と似ていると言うのなら、翼とは真逆のタイプである。


「港さん、宮井さんのことはもういいでしょう」


 真琴が遮るように言うと、港は肩をすくめる。


「まぁ、俺には関係ないことだからな。じゃぁ、また明日」


 港はそう言うと帰っていった。


 取り残された翼と真琴は、顔を見合わせる。


「あの、なんで……?」


 翼は真琴が手に持っているカツラとサングラスを見ながら言った。真琴は服装こそ、カットソーにシンプルな黒のズボンというスタイルだ。しかし、カツラは明らかに女を装うことを意識している。


「いや、心配だったから……。昔のこともあるし」


「考えすぎだよ」


 笑いながら言うと、真琴は真剣な顔で言った。


「何かあってからじゃ遅いんだ。さっきだって、キスされかけてたし」


「結局されてないじゃん。何もあるわけないよ。港さんが私のこと好きになるわけないし」


 翼が手を振りながら言うと、真琴は珍しく声を荒げて言った。


「男は恋愛感情がなくても、行動に移せるんだ!」


 常ならぬ気迫に翼は、びくりと肩を震わせる。その様子に、真琴はハッとしたように言った。


「ごめん。とにかく駅まで送るから。帰ろう」


「え? うん……」


 送ると言っても、まだ夕方ですらない。


(明るい時間だけど、いっか……)


 真琴と過ごせるのは嬉しい。そして、共に一条駅に向かった。


 * * *


 駅の改札の近くまで来ると、声をかけられる。


「槙本さん!」


 声がした方に目を向けると、河野が駅の事務所にいた。心配そうな表情をしている。


「昨日は大丈夫だった?」


「あ、はい、何とか……。すみませんでした」


 翼が頭を下げると、横にいる真琴が問いかける。


「昨日、何かあったの?」


 まさか、真琴のことで泣いていたとは言えず「うん、ちょっとね」と適当にごまかす。


 真琴は、首を傾げながらも「じゃぁ、気を付けて」と言い、背を向けようとした。


「待って」


 翼は思わず呼び止める。


(素直に気持ちを表現しないと……)


 また、こじれてしまったら困る。しかし、呼び止めたものの、何を言うか考えていなかった。どうしよう。そこで、思いついたまま口にする。


「送ってくれてありがとう!」


 言いたかったのは、もっと別の言葉だった。他に何か言えることはないだろうかと、胸の中で言葉を探す。でも、何も思いつかない。内心焦る翼に対し、真琴は嬉しそうに笑った。


「うん。また明日ね」


 可愛らしい顔をした、でも、頼りがいのある顔になった青年はそう言って微笑む。春の日差しのような笑顔だった。


 そして、真琴は、ゆっくりと背を向けると立ち去って行く。


(はぁぁ、とりあえず、ちょっとだけでも言えてよかった……)


 翼は胸をなでおろした。そして、はたと気づく。


(一緒に帰ったことはあるけど、送ってもらったのって初めてだ……)


 考えてみれば、カフェから駅までの二十分にも満たない距離。そして、送るほどでもない明るい時間。それでも、わざわざ送ってくれた。


(嬉しい……)


 思わず顔が緩んでしまう。


 イチゴのように甘酸っぱい気持ちが胸に広がった。


 * * *


 真琴は、寮に向かって歩いていた。街路樹を見ながらこの一週間のことを思い返す。


 翼と再会したものの、なんだかすれ違いばかりだった。しかし、去り際に「ありがとう」と言ってもらえて、全て報われた気がする。


(それにしても昨日、何かあったのか……?)


 河野が「大丈夫?」と言っていたことを思い出す。真琴には何も言わなかったが、河野には相談したのだろうか。複雑な気持ちになる。


 複雑と言えば、港もそうだ。一体、なぜ翼にキスをするフリをしたのか、真琴にさえもわからない。


 翼は港が何もするわけがないと思っている。真琴も同意したいが……。


(港さん、両性愛者のことを隠す為に、好きでもない女の人と付き合ってたことがあるんだよ)


 おそらく、恋愛感情がなくても翼にキスぐらいはできるだろう。


 ただ、この一週間、二人の様子を見ていても、それほど対立している様子はない。港は厳しいことを言っている時もあるが、理不尽なことは言っていなかった。むしろ、後輩である翼の面倒をよく見ている気がする。かつての恋敵とは思えないほど、丁寧に。


「タイピングの練習をしろ」


 そう翼に言っているのを聞いた時は耳を疑った。港がそんなことを言うタイプだとは思えないからだ。


 翼の仕事が遅いならば「自分ではなく、別の人の担当をやらせて下さい」と美奈に進言するだろう。まして、対立していた翼に「指導」することなど考えられなかった。


 港はもう「塾の講師」ではない。翼を指導する義務があるのは美奈であり、港ではない。


 そう思い至り、真琴はハッとする。


(僕は思い違いをしていたのか……?)


 真琴は、かつて「好きだと言ってくれた人」が、「初恋の人」と対立するのではないかと思っていた。


 三年前、港は翼を精神的に追い詰めていたからだ。


 ――……人間の考え方なんて、時間が経てば変わるだろう。


 そうだとしたら、三年前では考えられないことも起きるのだろうか。



 たとえば港が、翼に恋をするということが……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー