第10話 桜色に染まる恋心

「じゃぁ、明日の二時に現地集合で」


 港は翼にそう言って、立ち上がる。


「ええっ!」


 驚く翼の声など聞こえていないかのように、港は出入り口に向かう。歓迎会も、お開きの時間だ。他の社員たちも帰りはじめている。


「槙本さん、よかったじゃない。紅茶専門店なんて羨ましいわ」


 唖然とした翼に声をかけてきたのは美奈だ。はたから見たらそうなのかもしれないが、翼にとっては港とのお出かけなど恐怖でしかない。


「じゃ、じゃぁ、川合さん行きます?」


 翼が涙目でそう言うと、美奈は笑顔で首を振る。


「私はダメ。彼氏いるから」


 そう言われると、どうしようもなかった。肩を落としていると、真琴に小声で囁かれる。


「行くのやめた方がいいんじゃない?」


「いや……でも、断ろうにも連絡先知らないし」


 翼が弱ったように言うと、真琴が渋面を作る。


「僕から言っとくよ。港さんと出かけるのは、やめたほうがいい」


「それは、私もそう思うんだけど……。でも、純粋にお茶飲むだけかもしれないし」


 港とのお出かけは怖いが、憧れの紅茶専門店に心惹かれているのも事実だ。


 しかし真琴は首を振りながら強い口調で言う。


「港さんと出かけるのはよくないよ」


 有無を言わせぬような強い口調だ。一方的に支配されているような気がして苛立った。


「……なんで? 私、もう子供じゃないよ。お茶ぐらい誰とでも行くよ」


 つい対抗して強い口調で言ってしまった。その瞬間、真琴は戸惑ったような表情を浮かべる。


(港さんのことは確かに怖いけど、親切な一面もある。もしかしたら、普通にお茶飲むだけかもしれないし……。新しい所に行けるチャンスを逃したくない)


 翼は学生時代、学外調査で様々な場所に出かけた。大学の「外の世界」は見聞を広げてくれたのである。


 しかし、それは真琴が大学を中退した後の話だ。真琴が経験していない、「学外調査」や「外の世界」のことを言うのは気が引けた。


 だから、事実だけを口にする。


「私、あの店に行きたいの」


 そう言うと、真琴はひどくショックを受けたような顔をした。


「じゃぁ、行って来たら」


 感情の宿らない声で言われて、翼は無言で頷いた。



* * *



(もっとうまい言い方、なかったのかな……)


 店を出た翼は自己嫌悪にとらわれた。真琴のショックを受けたような顔が頭から離れず、後味が悪かった。


 恋愛初心者の翼には、どうすればいいのかわからない。大学一年生の時まで恋をしたことがなかったからだ。三年前の初恋の相手、河野には失恋し、真琴に関しては恋心を自覚した瞬間に終わってしまった。


 河野とは学生と駅員という「距離」があった。めったに会えないので、感情をぶつけ合うことがなかったのだ。


 そして、三年前の真琴と翼は同級生だったが、早い段階で真琴が好意を打ち明けてくれた。だから、何を考えているかわかったし、すれ違ってもすぐに仲直りできたのである。


 だけど、今は真琴が何を考えているかわからない。だから、翼も真琴に対して素直に気持ちが表現できない。


(好きって言えたら、楽なのになぁ……)


 だけど、真琴には恋人がいたのだ。もう、翼のことは友達としか思っていないだろう。そんな状況で、自分の好意を表現することは怖かった。素直になれないのは、結局、自分が傷つきたくないからだ。


(寺川さんが羨ましいな……)


 真琴への好意を臆すことなく表現している。そんな亜美は見た目だけでなく、中身も可愛らしいと思う。


 亜美のように自分の気持ちを表現するところを想像してみた。甘ったるい声で「紫藤さん」と呼んでみる。……ダメだ、できる気がしない。


 ボーイッシュな顔立ちの人間が、甘い声を出しても似合わないだろう。


 気持ちを素直に表現するのが怖いし、できない。でも、表現しないと、今日のように、真琴とこじれていく気がする。


(そのうち、取り返しがつかないことになったらどうしよう……)


 想像すると、奈落の底に引きずり込まれるような気持ちになった。


 力のない足取りで、駅に着く。改札に入ろうとすると、横から声をかけられた。


「槙本さん?」


「河野さん! お疲れ様です」


 改札横の、駅事務所にいる河野に挨拶をする。しかし、河野は心配そうな表情を浮かべながら言った。


「元気ないね。どうかした?」


 その言葉で、色んなものが緩んでいく気がした。


 社会人になってから数日の緊張感と、真琴に対して素直になれない悲しみ。心の奥底で固くなった感情が、河野の優しい言葉で一気にほどけていくようだった。


 何かが頬を伝うのを感じる。


「えっ、大丈夫!?」


 心配そうな声で、我に返る。目じりから涙がこぼれていた。止めたいのに止まらない。翼はしゃくりを上げながら言う。


「すみません……!」

 

 川の水が激しく流れ続けるように、この心はもう止めることができないのだろうか。


 翼は、真琴と見た桜を思い出す。


 翌年、桜を見て、真琴を想ったことを思い出す。

 

 儚く散ってしまった桜の花びらが、風に吹かれて、はらはらと川に舞い落ちる。


 川が、桜の花びらでいっぱいになる。


 翼の心が、真琴への気持ちでいっぱいになる。


 三年前に、伝えたくても伝えられなかった気持ち。未消化のまま、押し込めていた気持ちが「出してほしい」と心の扉を叩く。


 別れの日を思い出すと、涙があふれて止まらない。


 真琴への恋心があふれて止まらない。



「どうか僕にあふれるばかりの愛を注いでほしい。月を見るたびに君を想い、恋焦がれる僕の為に」



 真琴は、この三年間、どんな人に恋焦がれていたのだろう?



 そして、今、誰に恋焦がれているのだろう?

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