第7話 口説き文句の始まり

 週末、会社近くの居酒屋。宴会用の和室を貸し切り、営業部の新入社員歓迎会が開かれた。


 今日の翼は、金色の繊維が編み込まれた桜色のニットに、空色のスカートというコーディネートだ。


 挨拶するように言われて、その場で立ち上がる。スカートがふわりと広がった。


「槙本翼です。まだ慣れないことばかりですが、よろしくお願いします」


 挨拶が終わると部署の人間たちが拍手をする。営業部は総勢二十名ぐらいだ。社員たちとはまだほとんど話したことがないが、二十代から三十代の社員は数名、後は四十代後半から五十代ぐらいの男性が多いようだ。合併したばかりということもあり、全体的にまだ打ち解けていない空気もあった。


 翼の近くには美奈、そして、少し離れたところに、真琴と港も座っている。


 テーブルの上には、季節野菜のサラダや、つまみの枝豆などが乗っていた。翼がサラダを食べようとしたとき、向かいに座っている社員から声がかかる。


「槙本さんって、彼氏いるの?」


 五十代ぐらいの男性社員、田中義雄だった。翼は、学生時代のバイト先でも同じような質問をされたなと思いつつ、笑顔で返事をする。


「いえ、いないです」


「おっ! じゃぁ、紫藤くんか藍田くんはどう?」


 飛び出てきた名前に、翼は思わず二人を横目で見る。名前を出された真琴と港もぎょっとしたような顔をしていた。


 田中はそんな空気には気が付かず尚も言う。


「あ、でも、紫藤くんは彼女がいるんだっけ?」


 その言葉に翼の胸がギュッと掴まれるような気持ちになる。しかし、真琴は即座に「今はいません」と否定した。


「あれ、総務部の女の子、彼女じゃないの?」


「違いますよ」


 真琴は、強い口調で言うとビールに口をつけた。


(違うのか……)


 おそらく付き合っていないと思ったが、言葉にしてもらえて、翼は少しほっとした。


 そして、真琴がビールを飲んでいるのを見て、不思議な気持ちになる。三年前、翼と真琴は未成年だった。河野が働いているバーに「潜入捜査」した時も、未成年だからお酒は飲めなかったのだ。


(なんか、浦島太郎になった気分……)


 入社日に真琴に誘われて、一緒に酎ハイを飲んだ時も不思議な気持ちになった。自分たちが大人になったという現実に、まだ頭が付いていかない。


 スーツを脱いで、白いYシャツ姿になった真琴もまだ見慣れなくて、どこかドギマギしてしまう。


 翼は気持ちを切り替えるために、柚子サワーを口に含む。


 甘酸っぱくて、どこか苦い。


 三年前の恋心を飲んでいるような気がした。


 あの頃と一つ違うのは、翼と真琴が大人になったということだ。


 三年前に飲みこめなかった色んな気持ちを、飲み干しているような気持ちになった。


* * *


 宴会メニューが終わり、食事よりも雑談と飲むことがメインになり始めた頃。


「突然ですが、ゲームやります!」


 三十代ぐらいの男性社員、木下英二が立ち上がり、大声で叫んだ。片手には、何やら小箱を手にしている。


「この箱には一枚だけ“当たり”の紙が入っています。当たった人は、紙に書いてあることをやってください!」


「えー!?」


 不満の声が上がるが、木下は気にせず、社員たちに箱を回していく。箱の中には紙が入っており、一人一枚、引いていくようだ。


 翼にも回ってきたが、紙には何も書かれていなかった。当たりではないようだ。


 木下は、紙が全員に行きわたったことを確認して、宣言する。


「はい、行き渡りましたか? 当たりの人には、前で発表をしてもらいます――!」


 その瞬間、真琴の手から、紙がはらりと離れ、机の上に落ちた。かさりという音に反応した周りの社員たちが紙を覗き込む。


 紙にはこのように書かれていた。


『雪、月、花、鳥、風、無、光、水、火、時。これら十個のテーマで、口説き文句を考えてください』



 紙を見た周りの社員たちは「頑張れよ、紫藤くんー!」と騒ぎ始める。真琴の顔はお酒を飲んだために赤くなっているが、表情は青ざめていた。


「口説き文句……ですか」


 紙をじっと見つめて呟く。弱った表情をする真琴に、港はまじめな口調で、しかし笑みを浮かべながら言った。


「元演劇部なら即興芝居もやっただろう。それぐらいできなくてどうする」


「それはそうなんですけど……。僕、男子校でしたし、口説き文句なんて……」


 煮え切らない真琴にしびれを切らしたのか、港が紙を奪う。そして、立ち上がって、翼の前にやってきた。何事かと戸惑う翼に対し、港は畳の上に片膝を突く。そして、あでやかな薔薇の花を思わせるような声で言った。


「触れては溶ける雪のように、あなたのかたく閉じた心も、触れればいつかは溶けるのでしょうか。願わくば、この恋心が結晶となってほしいものです」


「!?」


 翼の頭が真っ白になる。続いて、何を言われたか理解した瞬間、顔が真っ赤になった。


 周りの社員からも「お――!!!」という声が上がる。室内の温度が一気に上昇した。「藍田くんやるねぇ!」と社員が口々に言い始める。



 港は、目を白黒させる翼を満足そうに見た後、ちらりと真琴に目を向けた。どういう表情をしているのかは、翼からは見えない。


(港さん、何がしたいの!?)


 翼は、港の恋敵だった。なぜ、ゲームとはいえ、かつての恋敵に口説き文句を言うのだろうか。


(もしかして新手のいやがらせ!?)


 異性に口説き文句を言われるなんて、普通だったらドキドキする状況だ。しかし、港に関しては、口説き文句を言われても、違う意味でのドキドキ感しかない。つまり、冷や汗がだらだらと流れてくるような、居心地の悪さだ。


 翼には、港の意図がわからず、ただ、黙ってなりゆきを見守ることしかできない。


「真琴、やらないのか」


 港は楽しそうな口調で呼びかける。その瞬間、真琴は静かに席を立った。

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