第3話 刺激されるコンプレックスと三年間の恋愛経験

 目の前の「可愛い」女の子は、翼のコンプレックスを刺激する。


 翼は、ボーイッシュな外見ゆえに、「美少年」によく間違えられてきたからだ。中学・高校の時、女子たちに告白されたことも、一度や二度ではない。だけど。


 もう、男子に間違えられるのは嫌だ。

 好きな人にも、女性として見てもらいたい。


 初めての恋をしたことをきっかけに、翼は変わろうと決意した。大学に入ってからは化粧をするようになり、意識的にスカートを履いた。


 努力の甲斐あって、大学に入ってからは男子に間違えられることがなくなったのである。しかし、今でも外見には微妙にコンプレックスがあった。


 そして、今、目の前にいるのは、男子には間違えられようがない女の子だ。世界中の「可愛い」を全て集めたらこんな風になるのかな、と思うような女の子。


 大きな目に長いまつげ。そして、瞼には桜色のアイシャドーが塗られている。


 着ているのは、白地にピンクの花柄模様のワンピースだ。茶色く染めたセミロングの髪は、夕焼けを反射してオレンジ色に見えた。


(私とは正反対だ……。でも誰なんだろう。会社の人かな?)


 翼の心を察知したかのように、真琴が紹介を始める。


「翼ちゃん。こちら、総務部の寺川亜美さん。年は僕達より一つ年下だったかな?」


 問いかけられて、亜美は無言で頷いた。そして、翼をじっと見つめる。なんだか居心地が悪かった。真琴は気づいているのかいないのか、今度は亜美に翼を紹介する。


「寺川さん、こちら営業部の新入社員の槙本翼さん。僕の元同級生なんだ」


「同級生!?」


 亜美が驚きの声を上げる。同じ会社に元同級生が入ってくるというのはなかなかないだろう。


 亜美はしばらくの間、何かを考えるように黙り込んでいた。そして、不自然なほどに甘えた声で言う。


「紫藤さんっ。この間言ってたご飯の件、都合つきました?」


「えっ!?」


 真琴が動揺した声を上げて、一瞬翼を見る。翼も内心動揺した。


(この人、真琴くんをデートに誘ってる!?)


 ハラハラしながら成り行きを見ていると、真琴は笑いながら言った。


「ごめん。しばらく忙しくて都合つかないんだ」


「えー、じゃぁ、今から行きましょうよ」


 亜美は尚も食い下がる。第三者である翼がいる前で、デートに誘うというのは並大抵の根性ではない。なりふり構わない様子に翼は茫然とした。


(私、こんな風に積極的に誘えない……)


 翼は、昔好きだった人をデートに誘った時、一生分の勇気を振り絞った。好意を持っているのではないかと思われるのが恥ずかしかったが、やっとの想いで「一歩」を踏み出したのだ。


 しかし、亜美は好意を持っていると思われることを全く気にしていないように見える。断られることが怖くないのだろうか。


 翼が、ちらりと真琴を見ると苦笑いしていた。


「ごめん。今日は用事があるから」


 真琴が言うと、渋々という様子で引き下がった。そして、亜美は一瞬だけ翼を見ると、先ほどとは打って変わって、やや低い声で言う。


「紫藤さん、もう宮井さんとは別れたって言ってましたよね?」



 ガシャンッ。


 翼の手から酎ハイの缶が滑り落ち、地面にぶつかる音がした。


「ご、ごめん……」


 翼は地面にぶちまけてしまった酎ハイを見ながら、茫然と呟いた。下が土だったのが幸いだ。


 そして、ゆっくりと立ち上がって言う。


「私、帰りますね。お疲れ様です」


 二人に頭を下げて、公園を出た。心臓の鼓動がどくどくと脈打って、いつもより速くなる。心がバラバラになっていく気がした。歩いている足さえも、自分のものではないように思える。


 翼にはこの三年間、好きな人はいなかった。


 初恋の相手に失恋したのが、大学一年生の夏休み前。そして、知らずに芽生えていた真琴への恋心を自覚したのは夏休み明けだった。真琴が「退学する」と言った時のことだ。


 失恋の痛手が落ち着いたのは約一年後。その頃は、学外調査の準備や、アルバイトが忙しくなり、恋をする暇もなかった。告白してくれる男子もいたが、友達以上には思えなくて、断ったのである。


 翼はこの三年間、真琴のことを想い続けていたわけではない。学業やアルバイトで忙しくて、忘れていたというのが実情だ。きっと、むこうも同じだろう。


(三年経ってるんだもん。付き合ってた人がいてもおかしくない……)


 だけど、胸に突き刺さるような痛みがある。悲しくて悔しい気持ちに支配される。地平線に沈む夕焼けが、自分の気持ちと重なって見えた。


 力ない足取りで駅に着き、改札に入ろうとした時。


「槙本さん?」


 声をかけられて横を見る。改札横の窓口に、紺色の制服に身を包んだ駅員が立っていた。たくましい体つきに、爽やかそうな顔をした青年。


 翼の目が驚きに見開かれる。


「河野さん?」


 信じられない気持ちで、口にする。


 目の前にいるのは、かつて翼が一生分の勇気を振り絞って、デートに誘った人だ。


 ボーイッシュだった翼が、女性らしくなりたいと願い、大きく変わるきっかけをくれた……。


 初恋の人、だった。

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