第1話 再会は波乱と共に

 月の満ち欠けと同じく、一度終わっても、また満ちる恋もあるのかもしれない。


 舞い散っても、翌年には美しい花を咲かせる桜のように……。





「え?」


 槙本まきもと翼は、目の前にいる二人の青年を見て、茫然とした。二人も翼を見て驚いているようだ。


 ここは中山東なかやまひがし工業株式会社の営業部の事務所。翼は今日から入社した新入社員である。


 肩まで伸ばしたセミロングの髪は、後ろで一つに束ねている。そして、凛とした、中性的な美しい顔には薄化粧が施されていた。


 青年二人のうち、一人が目を見開きながら言う。


「翼ちゃん?」


 信じられない。そんな気持ちが言わなくても、にじみ出ている。


 青年は、翼の記憶にある顔とは少し違っていた。昔の彼は、繊細で、少女のような顔をしていたのだ。


 しかし、今、目の前にいるのは、可愛らしい顔立ちはしているものの、どこか大人びた雰囲気の青年である。そして、顔の可愛らしさとは裏腹に、スーツ姿がなじんでいるように見えた。


「真琴くん?」


 翼は、大学時代の元同級生、紫藤しどう真琴の名前を呼ぶ。もう何年も呼んでいなかった名前だ。口にした瞬間、カフェラテのように、ほろ苦くて甘い気持ちが広がっていく。


 そして、もう一人の青年に目を向けた。


 彼の名前は、藍田あいだみなと。真琴が高校時代に通っていた塾に、港は学生アルバイトとして勤務していたのである。


 翼が唖然としていると、港は眼鏡の奥にある華やかな顔立ちに、どこか謎めいた笑みを浮かべた。


(真琴くんと港さんに再会するって、どんな偶然なの!?)


 翼は心の中で叫ぶ。


 そして、頭の中に、三年前の記憶が一気によみがえった。




「好きなんだ!」




 大学一年生の春、真琴は翼に告白してくれた。でも、翼は当時、別の人に片思いしていたのである。


 そして、夏休み直前。


「好きなんです!!」


 翼は片思いをしていた相手に叫ぶように告白し……結果、失恋した。


 同じ頃、真琴はどこか元気をなくしており、気になっていた。そして、夏休み明け、真琴は衝撃的なことを口にする。


「退学することにしたんだ」


 夏休み前、真琴の父親が事故に遭い、退職したのだという。そして、紫藤家は一家の働き手を失った。それゆえに真琴は退学して、父親の代わりに働くことを選んだのである。


 つまり、大学一年生の、十代後半の少年が、急に家族を背負う立場になったのだ。


 そして、真琴は「退学する」という報告と共に、翼に告げた。


「僕の気持ちは、もう忘れていいから」


 そう言ったのは、家族と就職のことで精いっぱいで、恋愛をする余裕がなかったからだろう。


 真琴の就職先は実家の近くではなく、片道三時間もかかる場所だった。新しい環境で、初めての仕事をするのだ。誰よりも不安だったのは真琴本人に違いない。


「僕の気持ちは、もう忘れていいから」

 

 真琴にそう告げられた瞬間、翼は心に突き刺さるような痛みを覚えた。


 その時、初めて真琴への恋心を自覚したのだ。


 しかし……。


(今の真琴くんに、好きだなんて言えない)


 真琴は、家族を支えるために、相当な覚悟を決めて退学を決意したのだ。そして、想いを寄せた翼にも、自ら別れを告げた。


 だから、たとえ想いが通じ合っていても、真琴に想いを伝える気持ちになれなかったのだ。


 口に出す前に終わってしまった、恋の炎。それは日々の忙しさの中で、次第に鎮火していった。……はずだった。


 しかし、三年経った今、胸の中で、小さな炎が揺れ動いているのを感じる。


(今更だよ……。真琴くんが、私のことを好きだって言ってくれたのも昔の話だし……)


 真琴の心が今、どうなっているのかなんて、わからない。


* * *


「来年四月一日から、他社と合併します」


 昨年、会社説明会で、翼は人事担当者からそう聞かされた。合併により、会社の名称も変わるのだと。


 中山東工業株式会社。それが、今現在の会社名である。業種は、配管や部品を作る製造業である。


 翼の配属先は、営業部だ。同じ部署には旧・中山工業の人間と、旧・東製作所の人間がいる。


 そして、真琴は旧・東製作所で、港は旧・中山工業で働いていたらしい。真琴は、入社当時は製造の仕事をしていたが、一年前に部署異動で営業部に来たという。今は営業職として働いているそうだ。


「僕も最初はびっくりしたよ。まさか、藍田さんと再会するとは思わなかったし」


 仕事中の為か、真琴はかつて「港さん」と呼んでいたところを「藍田さん」と呼んでいる。それを聞いて、翼も真琴への言葉遣いを変えなくてはいけないなと思った。


(元同級生だけど、先輩だもんね……)


 学生時代、翼はスーパーでアルバイトをしていた。そして、バイト先では高卒の正社員が働いていたのである。年配の上司からは、年下であっても目上の人間には「さん付け」で「敬語」で話すように指導を受けた。変な感じはしたが、それが社会なのだと思ったことを覚えている。


(これからは真琴くんのことを「紫藤さん」って呼ばなきゃいけないのか……)


 翼はなんだか、胸がむずむずするのを感じながらも「今日からよろしくお願いします」と言って港と真琴に頭を下げた。


 顔を上げると、真琴も「変な感じだな」という表情を浮かべていた。


 翼は、営業部の人間に挨拶回りをした後、仕事を始めることになった。業務内容は営業事務。主な仕事は、伝票入力と電話応対、来客応対等だ。


 翼の指導を担当するのは、入社五年目の先輩社員、川合美奈である。


 茶色く染めた、ゆるやかなセミロングの髪と、愛嬌のある顔立ち。あっさりとした性格のようで「この人とならうまくやっていけそうだ」と翼は思った。


「槙本さんには、藍田くんの担当をしてもらうね」


 そう言って、美奈は注文書を翼に渡してきた。港が担当している会社から注文が来た場合は、翼が伝票を入力するのだという。そして、発行した伝票を港に渡すように指示された。


(み、港さんと一緒に仕事するのか……)


 翼は内心青ざめていた。


 港は翼にいい感情を持っていないはずだ。なぜなら、バイセクシャル……両性愛者の港は、高校生の時の真琴と「付き合って」いたからである。


 当時の真琴は、恋をしたことがなかった。そして、部活の人間関係で精神的に傷ついていた為、「支えたい」と言ってくれた塾講師の港の手を取ったのだ。


 ただ、その後、真琴は港に恋愛感情がないのに「付き合っている」ことに違和感を抱く。「別れたい」と言ったが、港はなかなか納得しなかった。


 そして、揉めているうちに、とうとう真琴にも初めての恋が訪れる。大学入試センター試験の日、同じ試験会場にいた翼に恋をしたのだ。


 それゆえに港は当時、翼に強い敵意を向けてきたのである。


(どうしよう……)


 今、港が真琴のことをどう思っているのかはわからない。しかし、気まずいことこの上なかった。そして、失敗したら、何を言われるかわからない。新入社員には大きなプレッシャーだ。


 社会は厳しいものであると覚悟していたが、予想の斜め上をいく「厳しさ」だ。入社早々、とんでもないことになってしまった。


(私、仕事やっていけるの……!?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます