第39話 天使

『ねえ、僕のお願いを聞いてくれたら、君の願いも叶えてあげるよ』


「ほんと?」


『ああ、本当さ。君がそれを壊してくれたおかげで、こうして君と話ができるようになってるんだよ。だからいつもそれを壊して僕に力をくれれば、何でも願いを聞いてあげるよ』


「うん。あのね、あのね……」


『はははっ、ちょっと待ってよ。話はまだ終わってないよ。君はあわてんぼうさんだね』


「ごめんなさい」


『それからね、僕のことは誰にも話したらいけないよ。誰かに話したら、君の願いを叶えてあげられなくなるから』


「うん、わかった。だれにもないしょにする。ゆびきりげんまんだよ」


 美咲は自分の指を『僕』の小指に絡めようとしたけれど、『僕』は自分のその指を出しかけて、引っ込めた。


『指きりなんてしなくていいよ。嘘ついたって、本当に針千本飲んでくれる人なんて、いないだろう?』


「うーん、わかんない」


『このお塩の山、これからも見つけたら壊してくれる?』


「うん、わかった」


『君の願いは?』


「あのね、……お友だちがほしいの。結衣ちゃん、なかよしだったのに、結美ちゃんとばっかりなかよくしてる」


『そうか。結衣ちゃんと仲よくしたいんだな』


「ううん、結美ちゃんといちばんなかよくしたい」


『おかしなやつだな。結衣ちゃんと仲良しだったんだろ?』


「もうなかよしじゃない。なかよくしないもん」


『ふ~ん、よくわかんないな。まあ、いいや』


「ねえ、なまえはなんていうの?」


『名前?ああ、天使だよ』


「てんし?はねがないよ」


 美咲は自分を天使と呼ぶそれの背を覗き込むようにして見たが、やっぱり羽はない。


『羽は隠してあるのさ。邪魔になるからね』


「ふーん。てんしさんはお友だちがいないの?」


『友達……いるよ、友達。でも、もうずっと会ってないよ。いつもすぐ近くにいるのに、僕のこと見てくれないんだ。ずっとすぐ近くにいるのに』


 だんだんと消え入るような声で、天使はそう呟いた。


「いっしょだね」


『そうだな、一緒だな』


「ほかの友だちつくらないの?」


『他の友達?そんなもんいらないよ。欲しいのは一人だけさ。お前も結美ちゃんだけでいいんだろ?』


「う……ん、わかんない」


 その時、遠くにパタッパタッと微かな足音が聞こえた。


『誰かくる。もう帰れ』


 天使がそう呟くと、美咲は一目散にまだ開いていた昇降口の一番右側のガラス戸から外に出た。自分が『してはいけないこと』をしている自覚があり、その上、下校時間を大きく過ぎた今、ここに自分がいることも『いけないこと』という自覚があったからだ。


 底に厚いゴムがある靴を履いていた美咲の足音は、ほとんどしないほど小さなものだった。


 天使はどうしたかと振り向くと、やってきた杉田先生は靴箱の横から踏み台を出し、それに乗ると美咲がせっかく壊した盛り塩を直し、美咲のいるガラス戸に向かってきた。


 美咲は杉田先生の目に触れないよう、急いでピロティに向かった。


 ガチャリと、ガラス戸に鍵をかける音がし、杉田先生の足音が遠くへ向かって行ったのがわかると、またガラス戸に戻り中を覗いた。


 そこには、もう天使はいなかった。


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