第6話:図星ですか
甘味。糖分を多量に含んだものを指し、一般的にはケーキや饅頭といった「お菓子」が頭に浮かぶだろう。老若男女を問わず、三食の内に摂られる甘味を、職業的に欲する人種が存在する。
将棋、囲碁といった知的競技を生業とする棋士。彼らは代表的な「職業的甘味要求者」である。
四角い盤面の上で繰り広げられる、正真正銘の頭脳闘争。苛烈な研鑽と莫大な研究時間を費やし、対局会場へ向かって敵と対峙する。そこからは一切の雑念を捨て、持てる知識、経験、ある種の勘を総動員して殴り合う。
酷使に酷使を重ねる脳は、膨大なカロリーを無尽蔵に消費する。一説によれば棋士が一局を終えた後、体重が数キロ落ちているらしい。無論、対局中に走り出したり、相手に殴り掛かったりはしない。
彼らは座布団の上から動かない。全神経が「一局」に集中する故だ。動かすのは眼球と指し手ぐらいなのにも関わらず、しかし体重は減少する。
特異な
故に彼らは「甘味」を欲する。足りぬ足りぬと悲鳴を上げる、一二〇〇から一五〇〇グラムの器官「脳」。そこに糖分を送り込み、相手よりも一歩二歩――出来うるなら百万歩も先んじる為に、戦略としての栄養補給が肝要なのだ。
思考……実際的消耗からはかけ離れたように見える行為は、実は人間にとって一番「負担」が大きい行為なのかもしれない。
今、左山梨子は疲労していた。想い人の為に張り巡らせた罠の確認、最適な言葉の選択、一手二手三手と先を読む思考によってだ。
高層ビルが建ち並び、大量の人間と自動車でごった返す、ある地方都市の中心街の一角、そこにケーキバイキングの会場はあった。巨大な百貨店の九階、その半分を会場は占めている。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」
ウエイターに連れられ、梨子と龍一郎は会場内を見回しながら歩を進める。客層の六割は女性、二割がカップル、二割が家族連れであった。カップルばかりが座るエリアに着席を促され、梨子は「自分達もそう見えているんだ」と密かに喜んだ。
「本日は大変混雑しております、申し訳ありませんが、一テーブル九〇分までのご利用をお願いしております。ご了承下さいませ」
一通りの説明をした後、ウエイターは足早に去って行った。龍一郎は彼の後ろ姿を見やり、「今日は特に忙しそうですね」と言った。
「そうですね、天気も良いし……ここのケーキはどれも美味しいって評判らしいですから」
事前にレビューサイトを三つ梯子し、それぞれの意見を集約した梨子の情報は正確だった。
「近江君、飲み物は何が好き? 持って来ますよ」
「いえいえ、俺が行きますよ――」
「良いから良いから。さぁ、何飲む?」
じゃあ、アイスコーヒーで……龍一郎は申し訳無さそうに答える。「了解です」と梨子は立ち上がり、二杯のアイスコーヒーを淹れて自席へと戻った。何処と無く落ち着かないらしい龍一郎は、届いた飲み物にすぐ手を着けた。
「近江君、何だか緊張しています?」
「あっ……バレました? 何かこういうところ……俺に似合わないかなぁって」
梨子は「私も」と笑いながら……内心では嘘の匂いを感じていた。
龍一郎のキョロキョロと動く視線。この場に引け目を感じた為というよりは、まるで――「誰かに見付かって欲しくない」といった怯えから来ているようだった。
歩み寄る小さな罪悪感……それがもたらす挙動不審さは、違法な《無尽講》の経験がある梨子にもよく理解出来た。同時に――付随する「背徳感」の存在も。
「じゃあ、最初は私の選んだケーキ、一緒に食べませんか? ちょっと待っていて下さいね」
素早く席を立つ梨子。多種多様なケーキ(どれも一口大に切り分けられている)を二つずつ、龍一郎の好みに合いそうなものから選び取っていく内に、食べ応えのありそうな「主食コーナー」を認めた。
そうか、こういうのもあったんだ――梨子は別の皿を用意し、少年の腹を満たせそうなものを取り集めた。戦利品を携えて龍一郎の元へ向かうと、やはり彼は不安げに周囲を確認していた。
「はい、お待たせしました」
「ありがとうございます……おぉっ? こんなのもあったんですね?」
龍一郎は目を見開き、出来立てのピザとパスタに注目した。しかしながらこの会場に限っては「副菜」の扱いを受ける二品を、梨子は大皿にしっかりと盛り付けて帰った。
「左山さん、この量を食べちゃうと折角のケーキが――」
「何を言いますか。それも一緒に食べるんですよ?」
梨子は小皿にパスタを取り分け、龍一郎と自分の前に配膳した。挽肉が多めに入ったボロネーゼである。
「でも、左山さんはケーキをメインに考えていたんじゃ……」
ケーキバイキングなら、ケーキを主人公に据えるべきだ――少年は困ったように訴えた。だが……梨子はかぶりを振って、「頂きます」と呟きボロネーゼを一口食べた。
「うん! 凄く美味しいですよこれ。ほら、食べてみて? ピザだってあるんですからね」
促され、龍一郎は「主食」を口に運ぶ。美味い、と笑んだが……何処か遠慮がちな表情を浮かべ、他のテーブルを見つめた。
梨子達のようにパスタなどをメインに据えた客は殆どおらず、大抵はケーキやシュークリーム、オリジナルパフェが卓上に並んでいる。何人かは奇異の目で梨子達を見る者もいた。
しかし、梨子は動じない。ピザ(マルゲリータである)を齧り、幸福そうに頷いて食べるばかりだった。
「近江君、お腹空いていないんですか?」
「いえ、そういう訳では……」
煮え切らない様子の龍一郎。彼の困惑は既に――見抜いている梨子だった。
「私がケーキを食べたいのに、無理している……そう思っているんでしょ」
すいません……と龍一郎は頷いた。
「勿論、ケーキだって食べますよ? 私、最初にお腹を膨らませてからの方が一杯食べられるんですよ、不思議ですけどね。……あっ」
もしかして近江君――梨子は少年の目を見つめて言った。
「この状況を、誰かに見られたくない……のかな」
俄に龍一郎の目が見開かれた。
「図星ですか」
二切れ目のピザを手に取り、梨子は笑った。
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