第5話:M27を見つめる二人

 浮き足立つ龍一郎の後を追う梨子は、素早くジュースを飲み干してゴミ箱に投げ入れた。「小学校の自由研究にピッタリ」とポスターが貼られていた会場は、手早くを終わらせたい親子で溢れかえっていた。


「いやぁ、凄い人ですね。入場料は……」


「無料ですって。得した気分ですね」


 当然の如く、梨子は入場料が掛からない事を知っていた。スマートフォンとは大変に便利な道具であった。


「わぁ、中は涼しいですね!」


 炎天下と切り離された宇宙展は、熱中症対策の為にしっかりと冷房が効いている。暑がりの梨子にとってはなるべく長居をしたい空間だった。


 ふと……梨子は龍一郎を見やった。展示物の方へ飛んで行きたいらしく、ソワソワと周囲を見回していた。しかし彼は同伴者の事も気遣っているのか、「沢山あるなぁ」と呟き、ゆったりとした足取りで歩くだけだった。


 龍一郎の少年らしさに胸が心地良く締め付けられ、梨子は「近江君」と彼の上着を軽く引っ張った。


「良かったら、展示物について説明してくれません? 何でも良いです、近江君の好きな順番で……」


「えっ? 良いんですか、じゃあ……いやぁ、どれにしようかなぁ」


 困惑する少年の表情は――実に嬉しげだった。


 じゃあこれから、と龍一郎は彼女を連れ、「わたしたちの太陽系」と銘打たれたコーナーへ向かった。漢字には振り仮名が振られており、何人かの子供がポスターの前で音読していた。


「左山さん、俺達の暮らす地球……それを含んだこの太陽系は、実はとっても珍しいんですよ」


 見て下さい――龍一郎はミニチュアの太陽系を指差す。各惑星の軌道線が描かれた透明なプレートが下に置かれ、水面のように照明を反射している。


「何か気付いた事はありますか?」


 何も思い付かず……首を傾ける梨子。だが口を噤むのは面白味が無く、プレートの軌道線に着目する事とした。


「……それぞれの惑星が、太陽を中心に……まるーく、動いている、とか?」


 後期中等教育を受けている彼女は、天文学に興味を向けた事が無かったとはいえ、教科書のイラストで太陽系図を見た記憶があった。


 教科書と何も変わらない……気付いた事なんて……困ったなぁ……。


 苦し紛れの答えに、しかし龍一郎は「流石左山さん」と笑った。


「へっ?」


「そうなんです、惑星はまるーく動いているんです。実はこういう動きの惑星系――太陽系も惑星系って呼びます――は、かなり珍しいんです。俺達は何度も見ているから気付きにくいんですね。灯台下暗し、ですね」


 予想外の褒詞に顔を綻ばせた梨子は、次々と補足する龍一郎の楽しそうな顔を見つめ……非常な優越感に浸った。


「あっ、左山さん! 夏の星座図のパネルがありますよ」


 壁面に貼られた巨大なパネルの前には、沢山のスイッチを持つ機械が置かれている。確認したい星座の名前を押すと、パネルに取り付けられた電球がその配置通りに輝く、という仕組みだった。


 梨子達が向かった頃、丁度会場内で「室内プラネタリウムを作ろう」なるイベントが始まり、大半の来場者がそちらへ流れた。


「空いていて良かったです。左山さん、、憶えていますか?」


 自分との通話を、彼はまだ憶えていてくれたんだ――込み上げる喜びを抑え、「こぎつね座、ですよね」と梨子は微笑む。龍一郎は満足げに頷き、機械の隅を指差した。


「ありますよ、こぎつね座」


 梨子の細い指がスイッチを押し込む。


 瞬間……夏の大三角形の中で、小さな五個の電球がボンヤリと輝いた。他の星座と比べて輝きも少なく、特徴的な配置でも無かった。


 大三角形の中にあるから、人目に触れただけなんだろうか――梨子はそう思い、ある種の切なさすら感じた。




 特徴も無い、唯「有名な星座」に触れ合っているだけの、つまらない星座。




 彼は大三角形、私は――だ。梨子は自虐的な気分になった。


「……何だか、寂しい星座ですね」


 そんな事ありませんよ? 龍一郎はパネルを見つめながら言った。


「左山さんの言う通り、こぎつね座は暗い星ばかりだし、形もごく普通の小さな星座です。でも……真ん中辺りを見て下さい、M27と書かれています」


「本当だ、どういう意味ですか?」


亜鈴あれい星雲という、宝石のような星雲の事です。こぎつね座の持つ最大の特徴ですね。確かこっちの方に説明が……あぁ、あったあった」


 龍一郎は「亜鈴星雲について」というポスターを梨子に見せた。


「……綺麗」


 淡い青、赤が交差するように宇宙空間へ色を落とし、その形状は何処と無くに似ていた。M27の由来がそれである。


「でしょう? 俺、こぎつね座が一番好きなんですよ。目立たないけど、実は凄い魅力を持っている。新しい星座だから神話も無いし、広く浸透している訳でも無い。控え目な星座です。けれど――」


 俺は、こぎつね座に強く惹かれます。龍一郎の目は写真を通り越し、遙か八二〇光年先の星達を見据えているようだった。


 何故か――梨子の胸は高鳴っていた。


 控え目な星座と、今まで目立つ事無く過ごして来た自分とを重ね、何かが「報われた」ような気がしたからだ。




 会場を出る間際、土産コーナーで梨子は立ち止まった。


「あの、これ下さい」


 彼女が買い求めたものはレターセットである。罫線の下には薄らと「亜鈴星雲」の水彩画が描かれ、紙質も手伝って神秘的柔和さを誇っていた。


「何を買ったんですか?」


 興味深そうに龍一郎が袋を覗いてくる。梨子は悪戯っぽく笑い、彼から遠ざけた。


「秘密」


「えー? 教えて下さいよー!」


 時刻は一一時を過ぎている。早めの食事か、それとも「次の罠」か……梨子は夢見心地で考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る