第26話 吉浦電気・ブルンガ島工場 【10月16日】

 京沖ホテルに戻ると、間宮が山部達に茶菓子を用意していた。

「おお、『みたらし』やないですか! これは大阪に住んでた頃、大好物やったんですよ」

 関西の大学に留学経験があるルカが喜んだ。

「へえ~、大阪名物というのはタコヤキだけじゃないんですね」

 部屋から降りて来てお茶会に参加した桧坂が変な感心をした。

 テレビをつけると中国語が聞こえてきた。間宮はこの島にあるテレビでは日本の放送は入らないと言っていたが、中国の放送なら入るのかとよく見ると、なんとそれは昔日本で放映されていたNHK朝ドラの中国語吹き替えバージョンで、画面下にフランス語字幕がついているというややこしいものだった。

 山部には懐かしかったが桧坂は知らなかったらしく「阿信って何ですか?」と間宮に聞いていた。80年代のドラマなので、今の若い人は知らないのだ。

「オシンは中近東やアフリカで、すごい人気のある日本のドラマですわ」

 ルカ・ベンが説明をした。事実『おしん』がイランで放映された際には最高視聴率が90%だったと聞いたことがある。

 ティータイム後、山部は富永と会って吉浦電気の工場を見学させてもらう予定を立てた。朝から頑張ってもらったルカ・ベンは、かなり疲労が溜まっているように見えた。それで日本人同士の会話だからという事で、家に戻って休んでもらう事にした。

「そんなら何かあったらページャのボタンを押してください。GPS機能がありますんですぐに駆けつけます。危険ですんで、単独でブルンガ人には会わんといて下さいね。特にクマの人とは」

 そう釘を差してルカ・ベンは引き上げた。

「ルカさん、だいぶお疲れですね。ブルンガの人は、朝は早いけど昼寝の習慣があるから」

 間宮がそう言って笑った。

「昨日、今日と日本の慣習に合わせて働いてもらったので、疲れさせたかもしれないねえ」

 山部が相槌を打った。


 管理部長の富永に工場見学をさせてもらえないかとアポイントを取ると二つ返事で、「今からですか? 構いませんよ」という答えが帰ってきた。

 もしかすると富永や高本は勿論、この島に住む主要な面々全てが、山部を日本の警察関係者だと知っているのではないだろうか。

 それなのに、山部自身はあくまで『民間の保険調査員』として演技しなければならないとは、なんと滑稽な話だろう。外交とはかくも面倒な物なのか。山部は頭を振った。

「どうかされましたか?」

 山部が難しそうな顔をしているのを心配してか、桧坂が声をかけた。

「いや、なに少し考え事をしていただけだよ。それより吉浦電気の工場見学だが、桧坂君も一緒に来るかい?」

「ええ、私も工場を観てみたいと思います」

 

 その吉浦電気・ブルンガ島工場は、これまた本当に浮島の中にあるのかと思われるほど巨大で、一片が100mもある作業場が二列で6棟並んでいた。それぞれの建物がアクリル板で遮断されているのは塩害を防ぐ為だそうだ。

「工場内の案内は、工場管理部長の脇田が行います」

 富永は小柄で真面目そうな脇田を山部達に紹介した。

「どうぞ、こちらへ」

 脇田に付いて作業場に入ると、そこはまるで未来都市の様だった。


 空調設備が行き届いた内部は、暑くもなく寒くもなく、空気までが美味しく感じられる。しかも、驚くほど静かで清潔な工場だった。ゆっくりと流れるラインの前ではブルンガ人達が慣れた手つきで部品を組み立てており、まるで工場全体が一つの生き物であるかの様に機能的に思えた。

「これ程すごい工場とは思いませんでした」

 山部が感心すると、脇田はまんざらでもない様子で、

「規模から言えば、相模のRGB印刷方式・有機ELパネル工場の方が数倍の規模があるんですが、あちらは国内とアラブ向け高級パネル。こちらでは、それ以外の地域に向けた輸出用廉価版パネルを生産しています。組立て作業員に日本人はいませんが、ラインは最新の物で生産速度は相模工場の倍近くあります」と語った。

 この様子を見て山部は直接本題に入らず、波力発電所の高本との会話でも行ったように、脇田に吉浦電気のスゴさについて少し語らせることにした。

「それにしてもこの分野では日本は苦境に陥っていて、日本を代表する電気メーカーが共同で創設した会社ですら、もはや台湾等の傘下に入らないと経営が成り立たないのかと思っていましたが、吉浦電気さんは単独でこれらの工場を可動されてるんですね」

「ええ、こういったディスプレイに限らず家電一般においても吉浦電気が躍進している理由は従来の発想を転換したからです」

「なるほど。発想の転換ですか。具体的には?」

「80年代に世界を席巻した日本の家電業界は、韓国や台湾、中国で生まれた企業が急速に力を付けていっているのに気づきませんでした。それらのメーカーが少し品質では劣っても低価格で大量に生産し出した時も、日本のメーカーは高素材を使った高機能、高品質、高付加価値があれば永遠に市場を独占できると考えていたのです」

「だが違った?」

「そうです。日本は世界のニーズを見誤っていたのです。吉浦電気もまた存続の危機がありましたが、遅まきながらもそれに気づき、今度は後方から追うものとして会社を立て直しました。『家電は家具である!』という会長の格言が生まれたのは10年程前のことです。すなわち我が社ではそれまでの考えを改め、高素材、高品質は保ちながらも低機能で低価格のものを生産しだしたのです。要するにマニュアルのいらない電化製品です」

 ここで桧坂も会話に割って入った。

「確かに私達はテレビのセッティングですら運んできてくれた人にやってもらわないといけないような状態になってました。沢山の機能が付いていても使わないままというのも多かったです」

「そうでしょう。ですからウチのテレビでは地上波デジタルのみ。他にはUSB端子と音声出力がついているだけです。BSやCSはユーザの方がレコーダーとかを買われればそれに付随してますので。とはいえ、外観はデザイン性にすぐれ、高級感があって耐久性のあるものにしています。日本では家電リサイクル法があって捨てる際にもお金がかかります。ユーザーは買ったテレビと長く付き合いたいと考えているようですから」

「チープに見えるものは避けたんですね。でも音声出力とかは最低限必要だったんですね」

「40型以上の大画面では映像が音声より遅れるんです。0.0何秒という、ごく僅かな時間ですが会話音声と口の動きと会わなくなります。そこでテレビの機種ごとに音声を遅らせているんです。ですから音声はそのタイムラグにあわせたものでなければなりません」

 桧坂と脇田が打ち解けた頃合いを見計らって、山部が本題に戻した。


「吉浦電気さんが、ここに工場を作ろうと計画されたのは、浮島の貸出国がブルンガと決まる前でしたか? 後でしたか?」

「決まってからですが、その経緯については私は何も知りません。でもまあ、結果的に言えば工場は大成功でした」 

「ブルンガの人々は勤勉なんですね」

 桧坂が作業風景を観ながら言った。

「そうですね。クマの人達はこうした作業にむいています」

「ハミの人はどうですか?」

 山部は昨日海際のデッキにあるビアホールで昼間から酔いつぶれている人を思い浮かべながら尋ねた。当時はその人達がどちらの民族かは分からなかったが、その後、ルカから見分け方を教えてもらった。服装からいって、飲んでいた人達はハミの人のはずだった。

「ハミの人ですか。そうですねえ……、女性は頑張ってくれています」

 脇田は言いにくそうだったが、その様子から、こうした労働にはハミの、特に男性は向いていないのだと分かった。人生観というべきか、仕事に対する考え方というか、二つの民族は大きく違うのだ。

「となると、工場で働く人はクマの人の方が多いんですか?」

「8割位でしょうか。ブルンガ本国で仕事内容を説明をしてから雇うんですが、応募された方にトウキョウ島での、あ、トウキョウ島と言うのは彼らが言うこの島の名称です。規律や契約事項を話すと、ハミの男性は大変そうだと辞退される方が多いんですよ」

「でもこの島にはハミの男性も多数、住んでますね」

「警察官や役人は圧倒的にハミの人が多いですからね。それと個人商店を開いている人もハミの人が多いです。要するに工場の従業員とか、波力発電書で働いているのはクマ。それ以外で島の経済や治安を支えているのはハミということでしょうか」

「なるほど。そう言えば、先頃亡くなられた作業主任のモカンゼさんもクマの人でしたね」

「よくご存知で」

 脇田は少し驚いた様子だったが、ダメ元で尋ねた山部の方も、数千人いる従業員の中で工場の管理部長が、(いかにギャングに殺されたという鮮烈な亡くなり方をしたといっても)一人の従業員の事を覚えているのに驚いた。

「彼はこの工場でも優秀な作業主任で、かつ中心的な人物でした」

 脇田は意味ありげな事を言った。

「それは例えば、労働組合の委員長だったとか?」

「いいえ、クマの実力者の間で一目置かれていたようです。そうだ、友久教授も彼とよく会ってましたよ」

「エッ、モカンゼさんと友久教授は知り合いだったんですか」

 山部が言おうとした事を桧坂が先に言った。

「モカンゼさんと仲の良かった人とかいますかね。ブルンガの方で」

「それなら彼が……」

 脇田が休憩中の一人のブルンガ人を紹介しようとすると、コーラを飲みながらこちらを伺っていた、その人物が首を強く振った。

 おそらく彼は事件に巻き込まれるのを恐れたのだろう。他の人達も同様に山部達に話すのを嫌がっているように見受けられた。

「すみません。どうも色々あるようで」

「いや、いいんですよ」

 山部としては、モカンゼについて工場で働くブルンガ人の誰もが話したがらない雰囲気があるという事実こそが重要に思えた。

 脇田はその後も工場に付随する娯楽施設や、病院等の充実した設備を、喜々として説明していたが、山部の頭の中ではモカンゼの殺害と友久教授の事故(おそらくは殺害)がどう繋がるのかを考えることでいっぱいだった。

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