神様の祝言

居間正三

めでたき日

 三月某日の春休み。

 僕が休日を返上して、ひと気のない神社で掃除をしているのには、とあるわけがある。

 

 話はおおよそ三か月前にさかのぼる。

 僕は高校三年生で、当時は受験シーズンまっさかりの冬だった。もちろん悔いが残らないように全力で勉強に力を入れたけれど、どれだけ頑張っても落ちる可能性はあるわけで、常に心配があった。

 センター試験が日に日に近づいてきて、ラストスパートとなる学校の補修の帰り道。すっかり暗くなってしまった道を歩いていると、どうにも乾燥がひどいからか、喉が渇いていることに気づいた。

 自動販売機を探していつもは通らない道に寄ると、見知らぬすたれた神社があった。境内は雑草だらけで、暗がりでもわかるほどごみが散乱している。鳥居も拝殿も木造だったんだけれど、色々な部分が朽ちていて、主祭神どころか神社の名前さえも判別できない。


 こんな場所、普段の僕なら無視すると思うんだけど、あのころはわらにもすがる思いだったから、ふらりと出向いて賽銭箱に五円玉を入れて、手を合わせた。


「どうか、合格しますように」


 それからしばらくして、僕は無事第一志望の大学に合格した。

 合格してしばらくは嬉しさのあまりこの神社のことなんか頭からぬけていたんだけれど、最近になって、


(あそこでお願いしたのがきいたのかなあ)


 と思うようになった。少なくとも、あそこで神様に頼ったおかげで、揺るぎない存在に身を任せている感覚を得て、何となく心が安定したのは確かだ。

 すると、僕はたった五円で「希望校合格」という目標を叶えてしまったことになる。塾での費用と比べると、まさにすずめの涙。対費用効果は天井知らず。

 これはフェアではないと、いてもたってもいられなくなり、


「よし、こんなもんでいいかな」


 あの神社に再来訪して、せめてものお礼と、汗を流しながらごみ掃除と雑草取りにいそしんでいるわけだ。空のペットボトルや、お菓子の袋。雑多に生え散らかった草がすべてごみ袋の中に収められ、境内はすっかり綺麗になった。

 それから賽銭箱の前で、千円札を折って中に入れる。

 金欠の僕にできる、最大限の感謝のしるしだ。

 もう夕方、辺りはすでに橙に染まりつつある。そろそろ帰ろう。

 最後に、二礼二拍手一礼をしてから、目を閉じて、


「神様。おかげさまで、志望校に受かることができました。本当に、ありがとうございました」

「それはめでたいのう」


 思わず目を見開いた。

 確かに背後から聞こえた声は、老人独特のしゃがれたものだ。最初は散歩しているおじいさんだろうかと思いはしたが、よくよく考えると、一切足音を聞いていない。参道は石畳であり、誰かが声がかけられる至近距離まで歩いてくるならば、何も聞こえないはずがないのだ。


 意を決して振り向くと、そこには見慣れない姿の老人がいた。

 服装は、古い絵巻に描かれた平安時代の公家くげが着ているような、立烏帽子たてえぼし直衣のうし指貫さしぬき。さらに立烏帽子からは、頭のてっぺんから顎までを隠すように、すだれのように布が垂れていて、顔は見えない。

 身につけている衣服はどれもが鮮やかな黄緑色で、見るものに「草木の芽」を思わせる色合いだった。

 年齢は、おおよそ六〇代から七〇代だろうか。細身で小柄な男性だった。


「あの、どちらさまでしょう」

「名乗るときは手前からが礼儀じゃろうが」

「すいません。僕の名前は板寺亀男いたでらかめおと申します」

「ほう。いい名じゃ」


 こんなことをいっては何だが、僕は自分の名前があまり好きではない。小学生のときに足が遅いのもあって「やーい、カメさ~ん」とからかわれたことがあったからだ。ついムッとしてしまって口調がとがり、


「何でいい名だって思うんです」

「鶴は千年、亀は万年。縁起がいい。何より、ゆっくりでも一歩一歩前進する姿には、心を動かされるものがある。ぬしがひたむきに勉学に励んだようにな」

「……」


 そんなことをいわれたのも初めてだったし、僕の勉強に対する姿勢を褒められるとも思ってなくて、返答が頭の中に浮かばず、頭をかいた。

 老人は、「かっかっか」と笑い、

 

「それくらいはわかる。ぬしがここで願ってから、わしはずっとぬしを応援してきた。毎日挫けずめげず、よう頑張った」

「それって、つまり、あなたは」

「わしはここに奉られている者。神じゃ」


 当たり前の真実が普通に語られるときは、誰ももったいぶらない。

 こともなげにいわれてしまったことが強い説得力となり、僕はただ頷くしかなかった。


 境内の一スペース。気持ち早咲きの桜の枝が上にかかっている青いベンチに、僕と神様は座っていた。内容は主に、神様の愚痴であった。それをまとめると、


「願い事を頼みにくるやからは多いが、せっかく運と縁をそろえて手伝ってあげても、後でお礼をいいに来る確率は千に一つもない」


 とのことだった。

 全知全能というイメージが先行しがちな「神」であるが、断じてそうではない。人の祈りや感謝を糧に、人の願いが叶うための手伝いをこっそりとする。それが神の仕事なのだそうだ。

 例えば受験だと、本番で出る内容を、たまたま気が向いて前日に復習できていただとか。当日の朝、体調がすこぶるよくて頭がさえるだとか。そういう裏方を務めて本人の力量を最大限活かせるようセッティングしてくれるらしい。


「しかしのう、こちらが『よし、手伝ってやる』と意気込んだとしても、いざ願いが叶ったらそれを忘れられてしまう。やる気もなくすわい」


 しかも応援しているはずの人々によって住居をゴミで汚されて、土地の整備も知らんぷり。人の願いに応えてこの世に顕現けんげんしたのにこの処遇では、とてもやるせないのだという。


「ただ、ぬしは違った。ちゃんと礼を忘れずに、しかも掃除という形で土地のみそぎまで行ってくれた」

「いや、実な僕も、途中まで忘れていまして」

「それでもいい。大体の者は『面倒』という方便を用いて恩義を惜しむ。神や仏といった、目に見えないものに対してはさらに顕著けんちょじゃ。そこを踏まると、ぬしはわい」


 そういわれると、正直嬉しい。


「ありがとうございます。これも、祖母のおかげかもしれません」


 僕のおばあちゃんは、部屋に神棚をそなえている。米、酒、塩、水を供えて毎日手を拝む姿を見ているうちに、いつしか僕も、それにならって神というものを何となく信じるようになっていた。今回の出会いで大きく取り乱さなかったのは、おそらくこうした背景と精神的な下地があったからだ。

 すると、神様は、心なしか前のめりになった。背骨を軽く曲げて、どこか落ち込んでいる様子だ。失礼なことをしてしまったのだろうか。


「どうかしたんですか?」

「……なあに、ちょっと昔のことを思い出していたのよ。あのころは、もっと世に信仰があふれていた。神と人が身近じゃった」


 表情は立烏帽子から垂れている布のせいでうかがえないが、肩が落ちているような格好でもあり、どこか声に哀愁あいしゅうが漂っている気がした。


「それは今では、わしのような存在を『御利益ごりやくの化身』としかみなさない人が増えてきた。悲しいことだわい」

「確かにそういう人もいますけれど、それだけじゃないはずですよ」

「ほう?」

「だって、僕みたいな人もいますから」


 世の中には神様のことを、自動販売機のように、賽銭を入れれば願いが叶う装置のように思っている人もいる。

 事実、少し前までの僕も、そうした気配があった。

 でも、もう違う。


「今日ここで、あなたと出会えてよかったと思います。そのおかげで、神様の思っていることも、神様が身勝手な人間のために力をさいてくれていることもわかりましたから。改めて、ありがとうございます」

「……いいよる」


 神様は、数秒口をつぐんだ。

 やがて、吹っ切れたように笑い始めた。


「めでたいわ。ああ、おめでたいわっ。かっかっか! 合格発表の日がぬしにとっておめでたい日ならば、わしにとって、今日こそがまことにおめでたい日じゃわい」


 途端、風が吹いた。桜の枝が揺れた。

 温かないつくしみを含んだ暖色に染まる空に、鮮烈な白い花吹雪が湧き上がり、一枚一枚が意思を持ったように舞い上がる。

 その景色はまるで、天そのものと桜が同時に喜んでいると思わせる、人の手では再現できない刹那せつな的で荘厳な自然美を備えていた。


 風が吹き止むと、ご機嫌な神様は、気色に満ちた声で、


   人の子の めでたき日には 桜ごと

   わしもわらおう ぬしの隣で

 

 という句を詠んだ。やがて、ふと思い出したように、


「ああ、そういえばわしの名を教えてなかったのう。機嫌がいいから特別に教えやるわ。目を閉じい」


 素直に瞼を閉じる。一語一句聞き逃さないよう、耳を澄まして集中する。


「わしの名前はな――」


 聞き終えて、そっと目を開けた。もう、隣には誰もおらず、四輪の花弁が散らずにまとまったままの一房の桜の花が落ちている。

 僕はそれを拾って、静かに鳥居まで歩いた。

 頭を下げて、ゆっくりと噛み締めるようにいう。


「本当にありがとうございました。また、来ます」


 この言葉を絶対に嘘にしないことを、胸に誓った。



 ――四か月後。

 大学一年生の夏休み、僕は帰省し、再びあの神社で掃除をしていた。

 大学生活は順風満帆じゅんぷうまんぱんで、やたらと物事が進むタイミングがよくなって怖いくらいだ。あのときの桜は押し花にして、お守り兼本のしおりとして利用しているので、そのご加護があるのかもしれない。

 今回はごみ袋だけでなくほうきも持参して、全力態勢だ。

 前と同じようにごみを拾って雑草を抜いて、参道と賽銭箱の前を箒ではいて、賽銭を入れたら二礼二拍手一礼。


「神様、おかげさまで単位が予定通りとれて、友達もたくさんできました。本当に、ありがとうございました」

「それはめでたいのう」


 もう驚かない。代わりに笑みが浮かぶ。

 振り向いて、その萌黄色の姿を見て、前を見据えていった。


「お久しぶりです。春明萌黄主はるあけのもえぎぬしさま――」


 青葉で空を埋め尽くさんとする桜の枝が、風で揺れた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様の祝言 居間正三 @imasyouzou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ