4周年目を迎えられることを願って

東苑

あんまり年寄りを心配させるでない


 わしは伝説の魔女。

 名前は別にあるが周りからはそう呼ばれておる。

 遠い昔、わしの知り合いが書いた本で伝説の魔女と紹介されて以来、定着してしまったらしい。


 そんなわしは今、百年以上暮らした屋敷を離れてこの辺ぴな村で知り合いの夫婦とともに暮らしておる。


 朝、皆で食卓を囲んでいるとき。


「もうクリスなんて知らない!」

「…………」


「はぁ~……」


 眼前で繰り広げられる口喧嘩に、わしは溜息を洩らした。

 原因は、女が言うには今日は前から約束していた日らしいが、男が仕事があるからと断ったところにある。


 くだらない。


 どうして人間という生き物は、こうも些細なことで感情的になるのか。


 それもこの女と男まで……わしはその事実が信じられなかった。

 この二人は他の人間とは違うと思っていたから――


 この夫婦とはかれこれ五年以上の付き合いになる。

 わしがこやつらと出会ったきっかけは「結びの湖」というわしを描いた伝説に出てくる場所でのこと。

 想い人と一緒にその湖を訪れると恋仲になれるという作り話に踊らされ、のこのこやってきた二人に不幸を運んでやったのが始まりじゃった。


 昔を思い出し、たまたまあの湖を散歩していたわしはあの二人を妬ましく思ったのじゃ。

 わしは女――レーナに深い眠りへと落ちてしまう呪いを与えた。

 レーナの目を覚まさせようと男――クリスは魔法使いや医者を訪ねて回ったそうじゃが、わしのつくった呪いはわしにしか解けん。その一点において強力な呪いじゃからな。

 それでもクリスはレーナのために頭と足を動かし続けた。そして遂にわしの屋敷にまで辿り着いたのじゃ。


 まあ、人間となど会いたくなかったからの。使役しているゴブリンやゴーレムを使って追い払おうと思ったのじゃが、あのクリスという男の決死の思いに折れた……いやいや! 興味が湧いたというわけじゃ。


 わしはクリスに自分と命と引き換えに女の目を覚ませる覚悟があるかを問うた。実際は命と引き換えなんて嘘なんじゃが、クリスはそれでも構わないと即答した。


 それが気に食わなかった。人間の分際で、とな。


 ちょっとおどかすだけのつもりじゃったが、クリスが本当にレーナを目覚めさせるためにわしの与えた薬を使うか試すことにした。最初は威勢よくわしの屋敷を飛び出して行ったが、あと一歩のところで自分の死とレーナの未来を恐れて重い悩むクリスを誘惑した。レーナのためにそこまでする必要はないと。


 しかし、クリスはレーナの幸せを願って自らの死を選んだ。

 その選択にただただ驚いた。人間のことをちょっと信じてみようかと思った。


 わしはクリスが目覚めさせたレーナも試した。クリスにしたのと同じように。

 男が死んでもいいと言うほど愛した女に、男と同じだけの愛があるか試したかったから。


 知りたかったから。


 信じたかったから。


 結局、レーナもクリスと同じだった。

 二人とも馬鹿じゃ。

 この二人だけは信じられる。


 そう思った……のじゃが。


 やはりこやつらも人間じゃな全く!

 あれほどの困難を乗り越えたと言うのに、あれから何度くだらんことで喧嘩したことか!

 もう数えるのも馬鹿馬鹿しくなったわい!


 幸せは永遠ではないのじゃな。人間は忘れてしまうのじゃな、例えそれが自分たちにとって大切な出来事でも。


「ティアちゃ~ん」

「なんじゃ」


 朝食後、食器洗いを済ませたわし――ティアは、布団を抱えたレーナに視線を向ける。


「お願い、お布団干してくるからリナちゃんのことちょっと見ててね~」

「うむ」

「きゃっ!」


 クリスとレーナの娘――この家のお姫様であるリナが、はいはいしながらわしに突撃してきた。

 リナを抱っこして少し左右にふってやると、声を上げて喜んでくれる。

 この~、可愛いやつめ~。


「お前は大きくなっても、あの二人のようになるなよ?」

「ばあ?」

「わしは絶望しておるのじゃ。リナ、お前だけが希望――こら! 鼻に指を突っ込むなといつも言ってるであろうが! ええい、髪もしゃぶるな! 美味しくないであろう!」

「ぶ~!!」

「貴様、わしがあの伝説の魔女だと知らぬな?」

「きゃっ~!!」

「な、なにがおかしい!」


 わしを指差して笑うリナ。

 大人が相手であれば容赦せぬところじゃが……いや~赤ん坊は可愛いの~!


 そして夕食の時間。

 その瞬間は突然やってきた。

 食卓に付いたわしは爆音に見舞われた。


「ティアちゃん、おめでと~う!」「きゃっ~!!」

「え……?」


 レーナが手にした漏斗状の紙筒から爆音とともに、ひらひらと紙吹雪が舞う。


「今日でティアちゃんがうちに来てから三周年で~す!」

「あ……」


 すっかり忘れとった。

 そう言えば一年前もお祝いされたんじゃったな。

 クリスとレーナに出会ってから五年。それからレーナがしつこくわしの屋敷を訪ねるようになってきて、みんなで一緒に暮らした方が楽しいって説得されたのじゃ。

 そしてまあそれもいいかと思い、クリスやレーナと寝食を共にするようになってからもうそんなに経っていたのじゃな……。


「いつもわたしやクリス、村のみんなのお手伝いしてくれてありがとう! ってほんとはクリスも一緒に言ってもらうはずだったのに……。ごめんね、ティアちゃん?」

「わしは別に……」


 だから今日はいつもより豪華な夕食なのじゃな……ぅう、さっきは悪口言ってごめんなのじゃ。

 泣きそうじゃよ、わしは!


「ただいま」

「噂をすれば、じゃな……って、その狼は!」

「一角狼……美味だと聞いて朝から探していた。レーナ、料理してくれないか?」

「え、クリス……もしかしてそのために今日は仕事って」

「ん」

「もう、それならそうって言ってくれればいいのに」


 レーナがクリスの腕に腕をからませ、にこっと微笑む。

 誤解が解けてよかった……って思ってしまうあたり、わしもここでの生活を大切に思っておるんじゃな。


「クリス、レーナ、リナ……わ、わしこそありがとうなのじゃ!」


 素直に言うのは恥ずかしいが、人間にならってそう感謝を口にした。

 また来年、四周年目を迎えられることを願って――

 

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