第6.14話 竜殺しのシグルド、聖剣を手に入れる過去のこと
「ほう、つまりきみはもともと〈災厄〉を追っているわけだね」
〈
その馬の購入資金を出した当の人物である隻眼の子ども――オーディンは、シグルドに抱きかかえられるようにして同じ馬に乗っている。馬代をけちったわけではなく「ひとりでは馬に乗れない」などと言うのでこうして一緒に乗ってやっているわけだ。大人びているのか子どもらしいのか、さっぱりわからない。
「しかもあの最悪と名高い〈
とオーディンは続けた。
火竜ファヴニル。炎を吐き出す天翔る竜。
同じ〈災厄〉でも、たとえば近づくものを風化させる刻喰らいグリンカムビや、亡者と化す奇病を撒き散らす黒きフレスヴェルグ、正体不明の光り輝く不死である黄金のグルヴェイグも十分に脅威だ。だが〈火竜〉はスケールが違う。ひとたびあの竜が現れれば、ひとつの街が灰燼に帰す。
過去に〈竜殺し〉の――すなわち〈火竜〉を殺した英雄の伝説もないではない。だが実際には〈火竜〉は死んではおらず、常に転々と寝ぐらを変えながら、人里に出没して炎を撒き散らす。ファヴニルが現れるのは〈
「なるほど、きみはそう思うのだね、シグルド」
ラングホブデで出会った隻眼の怪しげな子ども、オーディンは、シグルドがほとんど会話をせずとも話をやめたりはしなかった。砂嵐と日射避けのマントを被っているとはいえ、暑さは相当で、それを紛らわすために喋っているのか――いや、ほとんど汗をかいておらず、暑さを苦にしている様子がないので、単なる話好きなのかもしれない。
これだけ喋っているのに、オーディンのことは銀髪で隻眼の偉そうな物言いをする金持ちの子ども、という程度にしか知識がないのは、シグルドがオーディンに関する質問をしないせいもあったが、そもそも語る内容が雑多すぎるせいだとも感じた。この道中での物言いや知識を聞けば、オーディンがただの子どもには見えない。むしろ長年の時を経た老人のようにも感じる。だが愉快そうに足をぶらぶらさせていて、その様子を見る限りではやはりただの子どもにしか見えなくなる。
「だがこうも考えられるんじゃないか? 〈竜殺し〉たちの伝説は真実で、実際に彼らは〈
シグルドは無言で先を促す。
「たとえば、雨を考えてみよう。雨が降り続ければ洪水になり、人神を飲み込む災害となる。これは脅威だ。だが、洪水そのものを剣で切って意味があるだろうか? よしんば流れる水を断ち切る剣があったとして、その剣閃で一瞬は洪水の脅威から逃れられたとしても、次に雨が降ればまた洪水は引き起こされる。大元を立たなければ意味がないのだよ」
大元とは何か。
「こんな伝説がある。〈災厄〉はみな、もともと外からやってきたものなのだよ。九世界の外からね。この九世界がどうやって生まれたのかは知っているかな?」
「霜の巨人ユミルの死体からだろう」
「死体じゃない。ユミルの身体は生きている」
被せるような物言いは、馬上で抱きかかえている子どもの喉から発せられたとは思えないほど冷たかった。これだけの暑い砂漠の中、シグルドは汗の冷たさを感じた。
「死んでいるとすれば、この世界も徐々に死に逝く運命だってことさ」と言ったとき、既にオーディンの声は子どもらしい悪戯げなものに戻っていた。「だが、そうではないだろう? 生きているんだ。抗っているのさ。火に、光に、虫に、腐敗に」
そう言い終えると、オーディンが黙り込んだ。珍しいことで、久しぶりにひとりで旅をしているときと同じ静寂が周囲を包んだ。もちろんそれは一瞬だけだったが。
「さて、次に向かう街なんだが……ここに向かうのは〈
がらりと話題を変えてきたのは、オーディンにも思うところがあったからなのだろうか。
その疑問の通りで、次の街ブルグンドでは、現地の住人が山へ狩りに行った際、遠くで火柱が上がったのを目撃したという情報が寄せられていた。その噂を聞きつけ、シグルドは長旅を続けてきたのだ。
「命知らずだね、きみは。欲しいのは栄誉かい? それともアッティラ王が出す報奨金なのかな?」
現在の〈
「それにしてもよりにもよって〈
〈歯〉のラタトスクは目のない栗鼠の姿をしている。大きさはもちろん栗鼠と変わらず、平時は〈世界樹〉の根や枝を齧るだけのもので、殺傷も用意であるが、この個体は複数体が同時に存在するという点に恐ろしさがある。複数といっても、通常時は数体が同時に現れるのみにすぎないのだが、何かの拍子に爆発的に個体数を増加させることがある。〈歯〉の増加を目の当たりにしながら生き残った者の話によれば、奇妙なことにこの災厄は親が子を産むのではなく、まるで己の分身を作るかのように分裂するのだという。その爆発的増加に巻き込まれると、人神は骨も残さず食われてしまう。最終的には数を増やしすぎて自滅するのでさほど大きな被害は起こらないが、それでも村ひとつ程度なら簡単に壊滅させる。
〈四本角〉ヘイズルーンの被害についてはもう少しわかりやすい。鹿に近い形状をした獣であるが、天に届くほど長い角を持っており、それであらゆるものを切り裂く――唯一〈世界樹〉を除いたあらゆるものを、だ。その対象は基本的に大地や木々で、人神に対しては無関心なことが多いが、攻撃を加えると反撃してきて、周囲一帯を残らず切り裂いたといわれている。
〈
だがそれは、海の水よりも湖の水のほうが少ないから飲み干すことができると言っているようなものだ。どちらもただの人間にとってはあまりに強大すぎる存在なのだ。そう、不可能だといえるほどの。災厄が簡単に倒せるなら、未だに〈九の災厄〉は九世界を蹂躙し続けてなどいない。
「それなのに、きみは〈九の災厄〉に挑むわけだね」オーディンが顔を持ち上げ、抱きかかえているシグルドとその独眼で視線を合わせる。「はっきり言って、無茶なことだよ。というか、無理だね。人間族ごときの手に負えるものではない」
ごとき、とは、自分も人間族のくせに尊大な口を利くものだ。そもそも、オーディンが言ったのではないか。シグルドに英雄の相があると。災厄を倒す相が出ていると。おまえは、おれに英雄の相があると言ったではないか。
「とりあえず目についた相手にそう声をかけているんだよ」
などとあっけらかんとして言ったので、馬の上から放り出してやろうかとも思った。
「とはいえね」と言いながら、オーディンは真上を向いたまますっと両手をシグルドの顔に伸ばし、その頬を包むように抱く。子どもらしいぷにぷにとした手は冷たく、茹だるような暑さの中では心地よい。「強そうだと思ったのは本当だけどね」
(強そう、ね)
シグルドは確かに人間族としては長身で屈強な部類に入り、何より若いながらに経験を積んでいる。相対的に考えれば、人間族の中では「強い」とされる部類には入るだろう。
とはいえそれだけ……それだけだ。オーディンの言う通り、火竜ファヴニルに勝つというのは土台無理な話なのかもしれない。
だが、シグルドは諦められなかった。
「もし諦められないのなら、〈神々の宝物〉を手に入れるべきだろうね。多少は勝率が上がるだろう」
〈神々の宝物〉――第七世界ニダヴェリールの小人族たちが第一平面の神々の命を受けて作り出した魔法の武具。具体的にどのような魔法の力を発揮するのかはこの目で見たことがないのでなんともいえないが、もし手に入れることができたのであれば確かに役には立つだろう。だがそんな伝説的な品物、いったいどうやって手に入れるのだ? 簡単に手に入るはずがないではないか。
「で、これが〈神々の宝物〉」
そう言うと、オーディンは馬の上で反転してシグルドに抱きつく格好になりながら、片手を伸ばして馬の尻のところに載せている荷の中を探った。そこから引っ張り出したのは、鞘に収められた長剣。鞘から抜いたその刀身には、見事な文様が刻まれている――なんと書いてあるのかはわからないが、それが魔法の文字であるルーン文字であることはわかった。
《聖剣グラム》。
「それがこの剣の名だよ」とオーディンは剣を鞘に納めて言った。「これをきみにあげても良い――もしぼくのお願いを聞いてくれるのならね。それを果たすのは倒したあとでいいさ。きみがもし、本当に〈火竜〉を倒すことができたのならば、その代金として約束を果たしてくれればいいのさ」
腰に差しておくね、などと言いながら、オーディンは勝手にシグルドの腰に剣を
オーディンは前方に向き直り、さぁ行こう、次の街はもうすぐだ、などと握りこぶしを持ち上げる。その容姿らしい所作を見て、まぁすごいものが手に入ったのだから細かいことはどうでもいいさ、などとは思えない。
(こいつ……いったい何者なんだ?)
〈神々の宝物〉が如何なるものなのか、シグルドは知らない。だが《
「約束とはなんだ」
とシグルドは尋ねた。もうオーディンとの契約を交わしたようになってしまっていたが、具体的な内容を聞いていない。何か、とんでもないことをやらされるのではなかろうか。
「なに、簡単なことさ」とオーディンはあっけらかんとして言った。「死なないでいてくれればいいんだよ」
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