第6.11話 竜殺しのシグルド、魔狼との約束を果たそうとすること

 褐色の肌の上を太い指が這っていく。取り囲む小人族たちは女の肌に手を伸ばしていた――焼けて褐色になった部分にも、日焼けしておらず白いままの部分も。彼らは我先にと相争って肉を掴んだり、尖った部分を摘まんだり、吸ったりした。

 ブリュンヒルドは敢えて瞼は閉じず、小人たちが虫のように己の身体の上を這いまわるのを見ていた。そのほうがどこかこの状況を喜劇的に見ることができて、気分が楽な気がした。いまの状況をただの悪夢だと努めて考えるようにしながら、〈第七世界ニダヴェリール〉に到着したばかりの頃を思い出していた。


 炎の魔人たちから逃れるために必死で地下通路をくぐり抜けてきたため、皆、疲れ果てていた――努めて表情には出さないようにはしていたが、もちろんブリュンヒルドも。それでも精神不安定なヘルやイドゥンに交渉ごとを任せることはできず、喋れないシグルドではもちろんその役目を果たすことはできないため、ブリュンヒルドはウルとともに小人たちとの交渉台に立った。

「対価とするだけの黄金はある。暫くの間、ニダヴェリールに実を隠させてほしい」

 小人族たちの代表者にそう告げると、彼(おそらく男だ。小人族の性差は外見では見分け難いが)はじろじろと――主にブリュンヒルドを――下から上まで眺め回したあとで、にやにや笑いながら、条件次第だね、と言った。

「あんたがたの事情はわかった。だがおれたちは黄金は十分に持っている。あんたがたのちっぽけな黄金を、〈火の国の魔人〉に追撃される危険性を冒してでも欲しいとは思わない」

「と、言っても、ほかに対価とできる物はない」

 とブリュンヒルドは食い下がった。いちおう、〈神々の宝物〉は交渉道具には使えなくもないが、《聖剣グラム》はブリュンヒルドにとって非常に重要な道具だ。ヘルは《戦槍グングニル》を手放さないだろうし、となると渡せるのは予備の《竜輪ニーベルング》がいくつかだが、あまりに早くそのカードは切るべきではないと考え、そこまでは言わなかった。


「いや、あるね。あんた自身だ」

 と小人が真っ直ぐにブリュンヒルドを見上げて言った。

「わたし自身………?」

 ブリュンヒルドは小人の言う意味を理解してはいたが、敢えて理解していないふうを装って首を傾げた。

「あんたが身体を差し出すんだ――」

「馬鹿な」

 と小人の言葉を遮ったのはウルだった。

「馬鹿にするのもいい加減にしろ、小人」

 ウルという男はアース神族らしくなく、こうした他種族を見下すような物言いはしない男だと思っていたので意外だった。それだけこの短い道中でブリュンヒルドに対して仲間意識を抱くようになったということかもしれない。


 ありがたい気はしないでもなかったが、下手に揉め事を起こして交渉の機会をなくされるほうがまずい。事実、小人族はウルの恫喝に最初こそひと震えしたものの、すぐににやにや笑いが戻っていた。

「厭ならいいんだ、出ていけばいいさ。言っておくが、これは正当な対価だ。〈火の国の魔人〉に追われているかもしれないあんたたちを匿うんだからな。〈災厄〉以上に恐ろしいあの化け物からな。あんたが身体ひとつ差し出すだけでいいんだから、楽なもんだろうに」

「この――」

 小人の胸ぐらを掴みからんとしたウルを、ブリュンヒルドは手で制した。それからゆっくりと小人に視線を向けた。


「……差し出すとは?」

 恥ずかしがるように口元に手をやりながら尋ねる。

「おまえのそのでかいおっぱいや、臭い臭い股ぐらにおれたちの全員のものを突っ込むんだ」

「全員の……」

 信じられない、という顔を作って見せてやる。そうしてやるほうがこの小人たちが喜ぶことを知っているからだ。怖いとでも言いたげに己の身に腕を巻きつけて突き出た胸とふくよかな腰を隠すように手のひらで覆うことが、目の前の男を喜ばせることに繋がる。彼らを満足させれば、それだけ他への被害を減らすことができる――イドゥンやヘルにこのようなことをさせるわけにはいかない、というのはブリュンヒルドの単なる善性から生じた想いだった。


 そして小人たちの要求に答えた今、ブリュンヒルドは小人たちの慰みものにされている。

「ふあっ………」

 可能な限り反応をしないようにしていたブリュンヒルドだったが、小人族がついに彼らのものを突っ込みだすと、抑えが効かなくなった。どうやらそれが興奮を煽ったらしく、彼らは笑いながら彼らのものが入るすべての穴に突っ込み始めた。

 ブリュンヒルドは己の奥から発せられる感覚を追いやるために、別のことを考えようとした。


 たとえば――たとえば、なぜ小人族たちがブリュンヒルドを選んだのかということ。

 ブリュンヒルドは己が相応に目立つ容貌をしているということは自覚していた。だが客観的な評価をすればヒュミルの妻、エリヴァーガルのほうが美人だとも思う。胸も大きい。やや童顔ではあるが、ヒュミルの館に囲われていたのでなければ、引く手数多あまただっただろう。出るところが出ていないヘルや幼いイドゥンに関してはともかく、エリが選ばれていてもおかしくはなかった。〈第二平面ミッドガルド〉の住人である小人族にとって、単純に巨人族よりアース神族のほうが物珍しかったというだけのことだろうか。

 そんなふうに考えていると、仰向けになっていたブリュンヒルドの身体はうつ伏せにされ、膝を押されて尻を突きだせされて犬のような姿勢にされた。この姿勢だと尻の高さが小人たちにとってちょうど良いので、また突っ込むのかと思いきや、小人のひとりはブリュンヒルドの背中に飛び乗ってきた。子ども程度の大きさとはいえ、筋肉質の小人族は重い。額を打ち付けそうになった。

 分厚い皮を持った太い指がブリュンヒルドの背中をなぞった。背中に刻まれた溝を辿るように。

「これはなんだ?」

 と背中に乗っている小人が尋ねた。驚愕や狼狽の色はなく、にやにや笑いが見える問い方だったので、自分を選んだのはそういうわけか、と合点がいった。

「見ての通りだ」

「これはなんだ? 言え、女」

「ルーン文字だよ。まじない文字だ」

「誰が刻んだ? ルーン文字を人神の身体に刻むなんていうことができるのは――」

「――オーディンだ」


 オーディン、と背の上の小人が反芻した。周囲にいた小人たちも。乳房を揉んでいたり、身体を必死に擦り付けていた小人たちも、みな。

 かつて小人族たちは〈原初の三人〉のひとりであるオーディンの命を受け、〈神々の宝物〉を作り出したといわれる。その時代に生きていた小人たちはみな死んでしまったに違いないので、事実を正確に知っているのはオーディン本人だけだ。曰く、小人たちはルーン文字を理解することはできなかったが、手先は器用であり、オーディンの命令通りに金属に魔法の文字を刻むことは可能だった。結果として小人族のおかげで数数多の〈宝物〉が作り出されたが、彼らにはその魔法の力が理解できず、ただ途方もない量の黄金を対価に働いたのだと。


「女、聞け。おまえはあのオーディンを知っているのだな?」

「アース神族の首長だったら、〈第一平面アースガルド〉の神々はみんな知っているよ」

「それじゃない! 〈呪われた三人〉だ! 言え、女! おまえは〈原初の三人〉の足跡を知っているのだな!?」

 必死にオーディンの足跡を辿ろうとする小人たちのことがおかしかった。彼らはアース神族の首長、〈絞首台の主オーディン〉が同じ名前である〈呪われた三人〉と同一人物だとは思ってはいないらしい。ま、当然かもしれない。途方もない古い時代の記録など、彼らは残していないのだろう――アース神族ですらそうなのだから。

「オーディンの足跡を知って、どうするつもりだ?」

「〈神々の宝物〉を作ったのは我々だ。我々は、その魔法を知りたいだけだ」

〈宝物〉の魔術が知りたいということか。そうすれば魔法の道具を使って覇権を手に入れられるとでも思っているのか――残念ながら、世の中そんなに甘くはない。ブリュンヒルドは笑った。


   ***

   ***


 シグルドは所々に点在する岩々のひとつに腰掛け、黄土色の短い草が生えるだけの荒野を眺めていた。小人族たちの〈第七世界ニダヴェリール〉はシグルドには狭すぎ、息が詰まる。それに、もし〈火の国の魔人スルト〉が攻めてくるのであれば、素直に地下の坑道を伝ってはこないだろう。炎は地中を伝わるのには向かないものだ。

 いや――〈火の国の魔人〉たちは正確にいえば炎ではない。浄化の熱と表現したほうが正しい。


「免疫機構というのが、〈火の国の魔人スルト〉の正体だ。いや、もっと大雑把なものかな……つまり人神じんしんでいえば、病気が自然に治ったり、怪我の傷が塞がったりするようなものだ。我々人神も、身体の中にスルトのような存在を抱えている。ただスケールが違うだけで」

 とかつてブリュンヒルドが説明してくれたことを思い出す。つまり〈火の国の魔人〉というのは、ちょうど身体の中に入ってきた黴菌ばいきんや病気を排除するような具合に亡者や魔法の品々を浄化しようとしているらしい。

「身体――というのは、霜の巨人ユミルの身体だ。お伽話ではユミルは死んで、その死体から九世界が作られたことになってはいるが、実際はまだ生きている――ほとんど死にかけだけどね。だから免疫機能たる〈火の国の魔人スルト〉も存在できているのさ」


 ゆえにこの九世界の一部ともいえるスルトは、九世界そのものが停止――すなわち〈霜の巨人〉の肉体の完全なる死亡――まで滅することはできない。傷つければ殺すことはできるが、しばらく時間が経つと再生してしまう。

 逆にいえば、つまり一時的に対処することは不可能ではないということだ。フェンリルは実際にそれを達成した。結果として誰も傷つかずにスリュムヘイムから逃げ出すことができたのだ。

 シグルドは彼と約束をした。

「イドゥンたちを守れるのはあんただけだ。あんたは強いんだろう? だから、守ってやってくれ」

 そう、約束した。


 視界が赤いのは、陽が沈みかけているだけではない。地平線が燃え盛っていた。シグルドは《聖剣グラム》を抜き、立ち上がった。

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