3-6.
疲れた顔をして地下室から地上に戻った花枝に、通りかかった山口が声を掛けた。
「ああ、お嬢様。ちょうど良かったです。少し遅くなりましたが、お茶のご用意ができたので、お呼びするところだったんです」
「もうそんな時間か。今日のおやつは?」
「焼きプリンだそうですよ」
「歌ヶ江くん、いくつ食べる? 波佐間さんの焼きプリンは美味しいよ」
昼間の俺の食べっぷりを思い出したのか、花枝嬢がニヤニヤと笑いながら俺を見上げた。
「……じゃあ、二つ……」
「あっはは! 大人しい割に食い意地が張ってるっていうのも、噂通りなのね!」
帰ったら、味坂に死なない程度でできる限り酷い目に合わせる方法を考えねばならない。隣を歩く便利屋に依頼したら、やってくれるだろうか。
*****
山口に靴の裏を拭くものを持ってきてもらい、灯油を拭いた。
花枝嬢が自分の靴の裏を拭いているのを待っていると、春日原がそっと右手側に寄ってきて、
「歌ヶ江さん」
手で口元を隠しながら呼んだ。少し屈み、耳を寄せる。
春日原は、ひそひそと俺に今後の指示を出した。
「仲がいいんだね。何の話してたの?」
「ちょっと悪巧みです」
「家主に聞かせられないような悪巧みは困るな」
「後でお話ししますよ」
口元に人差し指を当て、春日原はにやりと笑った。
坂田の寝ている部屋に戻ると、芳川は何かの冊子を読んでいた。こちらに気付いて顔を上げ、ソファから首だけ傾けた。
「おっ、皆さんお揃いで。……似合うねえ、歌ヶ江くん。そういうのが似合う人、なかなかいないよ。芸能界興味ない?」
「ありません」
地下室放火未遂事件のせいですっかり忘れていたが、そういえばまだ、撮影衣装を着たままだった。
「即答した。ホントに嫌なんだ」
窓側の一人がけのソファに腰を下ろしながら、花枝嬢が目を丸くした。
「坂田さんは、まだ目を覚ましませんか?」
「うん。良くも悪くもなってないね」
頷く芳川の言葉を聞きつつ、春日原はそっと坂田の顔を覗き込み、手首で脈を測った。
「顔色は悪くありませんから、単純に日頃の疲れもあるのかもしれませんね」
そして、芳川の座るソファの向かい、俺の隣に座る。
間もなく、波佐間がトレーに白い陶器の器を載せて現れた。もちろんプリンだ。本当に俺の前に二つ置かれて、思わず波佐間の顔を見る。
「少々作りすぎまして。お好きだと聞いたので」
「……ありがとう、ございます」
爽やかにフォローまでされてしまっては、受け取るしかない。
「ねえ、二人とも。私たちが部屋を出てから、ずっとここにいた?」
早速表面のカラメルをスプーンで崩しながら、花枝嬢が訊ねた。
「もちろん。と言っても、これを取りに行ったり、トイレに行ったりはしたけどね」
先ほどの冊子は、次に出演する作品の台本のようだった。
「私も、葉次様のお茶を用意したり、お手洗いに行くために数回出入りしましたが、それ以外はこの部屋におりました」
「波佐間さんはもちろん、ずっとキッチンにいたでしょう?」
「ええ、このプリンはもちろんですが、夕食や明日の仕込みもありますので。……何かあったんですか」
波佐間が、俺と春日原が横にずれて場所を空けたソファに座りながら訊ねた。花枝嬢が地下室の件を掻い摘まんで説明すると、当たり前だが三人は、見る見るうちに顔をこわばらせた。
「つまり……、坂田さんを襲って、地下室に時限発火装置を仕掛けた犯人が、この中にいるって?」
「もちろん、歌ヶ江くんと春日原くんは除外していい。私とほとんどずっと一緒にいた以上、準備するような時間はなかったし、あんな大きな氷も用意できない。何より動機がない」
今回は、疑われなくて済みそうだ。カラメルのほろ苦さが絶妙だ。
「となると、自動的に花枝のアリバイも、部外者の二人が証明してくれるわけだ」
「三人はどう?」
「どう、と言われてもね。アリバイはろくに証明できないよ。午前中はずっと寝てたし、昼食を食べた後はまた、一人で部屋にいたからね」
芳川が両手を挙げて降参のポーズを取った。
「私も似たようなものです。キッチンで一人、仕込みをしていましたから。途中で何度か山口さんが来ましたが、大した時間ではありませんでしたし」
続けて、波佐間も首を振る。
「私も……。坂田さんから先に戻るように言われて、その後は通常通りお掃除などをしておりましたから……」
最後に山口も、各自のカップに茶を淹れながら、不安そうに目を伏せ答えた。
「なるほど。困ったね、私もみんなを疑いたくない。どうしたらいいと思う?」
花枝嬢はそう言って、俺と春日原を見た。思わず、顔を見合わせる。春日原は少しだけ考えてから、口を開いた。
「坂田さんは犯人を見ている確率が高いですから、目を覚ませば遅かれ早かれ事件は解決します。台風が過ぎてお迎えが来るまで、全員がなるべく同じ部屋にいる、というのが一番妥当でしょうね」
互いに見張り合う。ベタだが、それが最善策だろう。
「うーん、まあ、窮屈だけど仕方ないか。波佐間さん、夕飯はどんな具合?」
「あとは火を入れるだけです。そう時間は頂きません」
「じゃあその時だけ、キッチンとここの二手に分かれるってことで。OK?」
花枝嬢の取り決めに、各自渋々という感じではあるが、同意した。
「しかし、部屋から出ないっていうのもなかなか暇だね。トランプでもするかい?」
「トランプ? どこにやったかな。十年くらい使ってないよ」
「そうだ花枝さん、暇つぶしというわけじゃないんですが、歌ヶ江さんを撮った写真、見せてもらえませんか? どんな風に写ってるのか見たいです」
「あ、俺も見たいなあ、それ」
芳川まで乗ってきた。一瞬前までの緊張感はどこへ行った。殺人未遂犯が混ざっているというのに暢気が過ぎる。
「いいよ、みんなで見ましょう。パソコン取って来るから、春日原くん付いてきて」
「はい」
従順な子犬のように春日原は素早く立ち上がり、花枝嬢の後ろを付いていった。
「なかなかの曲者だねえ、彼」
扉が閉まると、芳川はぼそりと呟き、上を向いてプリンを行儀悪く掻き込んだ。
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