真冬は微笑む
第161話 勝てないと分かっていても、それでも微笑む
土方真冬は、勝てないと分かっていても、巫蠱神劍禅を前にして微笑んだ。
斬られる恐ろしさ、死ぬことの怖さ。戦って勝ったときの興奮。敵と刃を交えて相手の強さに捧げる尊敬。剣と身体の一体感。自由に動けることへの感動。
そんな、いろいろな感情を合わせて、一気に飲み込む。まるで大海の水をすべて飲み込み、最後の一滴までも腹におさめてしまうが如く。
真冬の城郭勢、変形の半身正眼に対して、劍禅はかちりと切っ先を合わせてくる。一見、切っ先が触れ合う相正眼。だが、真冬の全身に鳥肌がたった。
触れ合う切っ先、その二センチか三センチで、劍禅は切り落としを掛けてきたのだ。
──一刀流の切り落とし。斬りつける敵の刃を切って落として無効にする技。
これは一刀流の基本であり、究極の技でもある。
かつて小野派一刀流の道場では、この切り落としを教示する『一本目』が理解できれば、その日入門した者にも免許を与えるといわれていた。
真冬の師匠である鍋島先生も、
「あれこそはまさに、『天下一』の名にふさわしい技だろうね」
と評していた。
また、こうも言っていた。
「一刀流は、十年も二十年も修行した者でも、ぶち当てて撥ね飛ばすような切り落としを使うことが多いが、本来の一刀流の戦い方は、まるで太極拳のように軟らかくふわふわと、かちりかちりと切り落として勝ちを得るものなんだよ」と。
いま真冬は、師匠が語っていたかちりと勝ちをとりにくる切り落としを喰らい、体中から汗を吹き出していた。
最強の防御の構えである「城郭勢」。それがいま、切っ先をあわせただけの劍禅によって「切り落と」され、その防御の壁が一瞬で崩落させられた。
そして、そのままするすると真冬の剣の内側へ踏み込んでくる劍禅。
だが真冬は、その剣技に尊敬の念をいだきつつ、敵の切っ先がぐさりと自らの喉を突き刺さすその瞬間、ひらりと身を開いて「山陰」に。
低く受け流す勢。刀は肘に乗せ、もぐるように踏み込む。
下から斬り上げる筋を見せながら、わざとゆっくり踏み込む真冬。ゆっくり踏み込むのは、相手の様子を見るためと、相手に考える余裕を与えるため。考えてくれれば、こっちのもの。それが新陰流の真骨頂。
劍禅は真冬のゆっくり斬り上げる呼吸に乗って、それを越し、大きくゆっくり太刀をとりあげつつ、一歩引き、車輪が逆回転するように脇構え。そこからさらに半足ひいて、隠剣。
斬り上げる真冬の太刀筋が上がり切るのにあわせて、隠剣からの、大波のような劍禅の太刀筋。ゆっくりくる。
真冬はその波に乗るように下がりながら、劍禅の甕割刀に十文字勝ちを仕掛ける。
劍禅の天を撫で切るような一太刀に、ふんわりと乗って上太刀をとり、そのままぐいと突き込もうとして気づく。
──これ、一刀流の『きんしちょうおうけん』やん!
気づいたときには遅かった。
一刀流高上極意、金翅鳥王剣。
するりと廻った劍禅の太刀が、海を覆う巨大な両翼を広げたガルーダの急降下のごとく、壮大かつ勇壮に真冬の頭上に急降下してくる。
──凄い!
あまりの凄さに、真冬は笑ってしまった。全身に痺れるような戦慄が走る。
──こんな、斬り手があるなんて!
劍禅の一刀が真冬の頭に落ちた。その研ぎ澄まされた剃刀のような刃が彼女の頭髪を断ち、頭皮に喰いこむまさに百分の一秒、いや千分の一秒の間。
真冬は一重に身を開き、無二剣にとっていた。切り裂かれた真冬の前髪が、ぱっと弾けて舞う。
刀身を下段に引き取り、刃は水平。この構えは、両拳が腰骨の位置にくる。ここまで拳が正中線から外れる剣は他にないから、「無二剣」と呼ばれる。
二人の身が密着し、真冬の刃が、斬り下ろした躰の劍禅に拳をかすり、赤い血がにじむ。仕留め損ねた劍禅が、頬を強張らせる。
だが劍禅は、ものともせず、前に出て真冬と入れ違う。
──そっち!?
と驚きつつも、真冬も入れ違って前に跳躍する。その彼女の背中越しに、びゅっと唸る刃鳴りの音。
着地してから振り返ると、刀を腰だめにとった体勢で半回転した劍禅の一刀が、さっきまで真冬のいた位置を横薙ぎにしていた。
──あっぶな!
あのままあそこにいたら、胴を抜かれて真冬の身体は上半身と下半身が別々になっているところだった。
──こわっ。
と思うと、またまた笑ってしまう。
あんな剣技が小野派一刀流にあるのか、あるいは劍禅のオリジナルか。
いずれにしろ、真冬とはレベルがちがう。残念ながら、彼女の実力では、この剣術指南役は倒せない。
やばいなぁと思うが、途中でやめることもできない。これは、また、あたし……。
──死ぬな。
なんとも残念な結論である。だが、彼女は苦笑する。
なぜなら、死を覚悟して、はじめて得られる生への道筋というものが、この世にはあるからだ。
彼女はするりと正眼にとり、全身の力を抜いた。
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