第153話 謀反人


「謀反だ! 謀反であるぞ!」火盗改の頭、中山刑部が叫んでいる。「水戸光希殿、ご乱心により謀反! 御台所さまが斬られたぞ! ひっ捕らえい! 謀反人、水戸光希を手打ちにいたせぃ!」


 すでに日は暮れている。空はまだ明るいが、本丸御殿の庭には闇が垂れこめている。ぱちぱちと爆ぜる篝火の明かりの中で、逃げ惑う人々。蠢く小山のようなぬっぺっぽうの肉体がぬらぬらと光っている。

 光と闇が共存する逢魔が時がおとずれていた。いま人と妖怪が、その境界を曖昧にした混乱の極みで狂気乱舞の地獄を生み出していた。


 行燈の光で昼間のように明るい大広間では、別の混乱が起きている。


 おろおろと右往左往している幕閣たちが、刑部の声に動きを止める。畳に落ちた数多の影も、いっせいに動きを止める。

 そして、人も影も、まるで操られた傀儡のように動きを揃えて光希の方を振り返った。


 恐怖に怯えたいくつもの目が、光希の姿をとらえると、いっせいに憎悪と怒りの炎を燃え上がらせ、顔に殺意の感情を宿す。

 操られているのだ。


 心を操られている。

 一連の混乱は、光希のせいで、彼女さえ打ち倒してしまえば事態は収まると、そこへ感情の逃げ道を作ってしまったのだ。

 幕閣たちの群集心理が殺意となって光希へその矛先を向ける。


 はっとして光希は脇差の鯉口を切り、その彼女を守るように佐々木格乃が前に立つ。


 庭ではぬっぺっぽうが咆哮を上げ、右へ左へと逃げ惑う町民たちの悲鳴が治まらない。篝火の揺れる光の中、ぬっぺっぽうを牽制するように手枷の死織が動き回り、その彼女を助けようと控室から飛び出してきた土方真冬も走っている。彼女の抜き放った刀が、炎を映してきらりと光った。


 奥の畳の上には陽炎が倒れ、彼女の周囲には大きな血だまりがいまも広がりつづけている。劍禅に斬られたため、プレイヤーキルとなるから彼女のHPは1ドットは残っているはず。

 だが、その陽炎にとどめの一撃を与えようと、劍禅は逆手にもった刀の切っ先を倒れて動かないくノ一の喉に突き立てようとしていた。


 ──万事休す。

 光希は唇を噛む。

 突入してくるはずの闇奉行の軍勢はいまだ姿を現さず。

 現場の混乱に気づいていないのか、あるいは城内に進入するのに手間取っているのか。いずれにしろ、このままでは間に合わない。


「待て待て待てぃ、えーい、待たぬかぁ!」


 腹から響く声を上げて、庭から一人の浪人が広縁にあがってきた。

 月代を剃らず、無精ひげを生やした長身の男。小粋な桔梗の柄の着流しに、洒落た麻の帯には二刀が落とし差しにされている。


「水戸殿は謀反人ではないぞ! そしてなによりも、いまは殿中におる妖怪をなんとかすべきであろう、中山刑部」


 ちょっと皮肉げに歪められた男の頬には、不敵な笑みが浮かんでいる。

 庭で真冬に手枷を斬ってもらおうとしている死織が大声をあげた。

「おい、金太郎! なにしてやがる!」


 声をかけられ、ちょっと振り返った浪人は嬉しそうに叫び返した。

「死織ん、こっちは任せとけ」

 そして、ずいっと一歩、明るい大広間へと草履のまま入ってくる。


「浪人者! 分をわきまえよ。ここをどこだと思うか」

 中山刑部が一喝する。


「刑部、余の顔を忘れたか?」

 だが、金太郎と呼ばれた浪人は、さらにずいっと踏み出し、まっすぐに中山刑部を睨みつける。


「え?」声を上げたのは、しかし光希の方が先だった。「上様……?」


 肯定の意味で、浪人者が、いや将軍・徳川政宗がぱちんと指を鳴らした。

「そうです。わたしが上様です」

 おちゃめなところは、相変わらずである。


「なんと」火盗改の長、鬼刑部が絶句する。


「刑部、おぬしに命ずる。妖怪を退治いたせ。庭であばれる怪物と、そこで首を斬られても笑うておる女と、そして、おまえ自身をな。なあ、鬼刑部よ。いや、隠神いぬがみ刑部、このタヌキの化け物めが」


「はっはっはっは」でっぷりと太った火盗改の長官は、腹をゆすって笑った。「わたくしが妖怪ですと? なにを根拠に……」


 ずばっと、抜き打ちで放たれた将軍政宗の一刀が、鬼刑部の丸い腹を切り裂いた。ばっと血がしぶき、刑部が「ぎゃっ」と悲鳴を上げ、その拍子に尻から黒い毛で覆われた太い尻尾が飛び出る。


「尻尾をだすとは、まさにこのことだな。俺は殺生は嫌いだ。だが、妖怪には容赦はしねえ」政宗は、懐紙で刃の血を拭うと、刀をいったん鞘に納める。「この将軍政宗、暴れん坊のふたつ名は、伊達じゃねえぜ」


 ぱっと血に濡れた懐紙を、吹雪のように放り投げると、広間と庭のすべての者たちに大声でのたまう。


「庭におる町人どもは、大奥を抜けて避難いたせ。余が許可をする。また、いまいる幕臣、そしてプレイヤーには武器の使用を許可いたす。各自武装し、ダーク・レギオンを倒せ! 劍禅! おぬしはその女性を傷つけてはならぬ。太刀を引け。皆の者、庭におるぬっぺっぽう、そこで太鼓腹を斬られた隠神いぬがみ刑部、そして余の御台所になりすまし、幕府のまつりごとに介入し、お江戸のシステムに侵入し、あまつさえ、それを滅ぼそうとした妖狐・妲己狐だっきこ。おぬしも、年貢のおさめどきじゃ」


 畳の上に置かれた生首が、目だけを政宗の方へ向けて、さらに哄笑した。

「これはこれは、上様。わたしの愛しい人。いままでどこにお隠れになっておりましたか。このお澪、寂しさのあまり、なんど枕を涙で濡らしたことか」


「おぬしのそばに居ると、完全にシステムを掌握されてしまうのでな。逃れて浪人に身をやつし、市井にまぎれておったわ」


「ああ、ですが、それはなんとも残念なこと」

 生首のそばで、畳の上に倒れていたお澪の方の身体がむくりと起き上がる。そして、切り落とされた首の頭髪をつかむと、ぐいと持ち上げて、提灯のように手に下げた。

「ここにおります妖怪は、われら三匹のみではございませぬのよ。そして、プレイヤーとして最強の巫蠱神劍禅もわれらの味方。上様のお望み通りには、ことは運ばぬことと相成りまする。さあ、劍禅。そのくノ一の娘の命を絶っておしまいなさい」


 命じられた劍禅は、躊躇なく、逆手にもった大刀の切っ先を、畳の上で血だまりの中に沈む陽炎の喉へと突き下ろそうとする。

 劍禅の佩刀は、伝説のユニーク・ウェポン『甕割刀かめわりとう』である。その名刀の刃が、行燈の光をうけて白く輝いた。


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