第124話 猫マンマ


 死織は暗号を解読しようと、頭をひねったが、答えはでなかった。大きい方から読めというので、12の方から読んでみたが、意味をなさない。が、それ以上にそんな単純な読み方ではないだろうと結論づける。なにか、なにかもうひとつ、手掛かりがいるのではないだろうか。


 うんうん唸りながら、真冬と二人、長屋の方へ向かう。

 途中の道で、同じ長屋に住む植木屋の娘、小虹に出会った。

 小虹は飼い犬のチコの散歩中であるらしい。

 利口な柴犬チコはくるりと巻いた尻尾を背中に乗せ、すっと胸を張って四つ足で歩んでいる。幼い小虹はチコの首につないだ縄を、小さい手で握っているのだが、どっちがどっちを散歩させているのか分からない。

 人を縫って大通りを歩くチコは周囲を警戒しつつ、ひょこひょこ歩く小虹のことにも気をつかって油断ない様子だった。


 死織と真冬に気づいても、尻尾は振るが、駆け寄ってきたりはしない。あくまで小虹のガード優先の様子。


「あ、真冬さん、死織さん、こんにちは」

 小虹が二人に気づいて、紅葉みたいに小さい手を振る。

「おう、小虹ちゃん、チコとお散歩かい?」

「そう。いつもあたしがお散歩させてあげてるの」

「えらいねえ」

 真冬がしゃがんで、小虹の頭をなでてあげる。目が無くなるくらいの笑顔だ。


「小虹ちゃん、ヒチコックのやつ、どこにいるか知ってるかい?」

 死織はダメもとで聞いてみたのだが、小虹は「うん、知ってる」とうなずいた。


「ヒチコックちゃんは、お寿司屋の『笹屋』さんで『猫マンマ』食べてるよ」

「猫マンマ?」

 死織は怪訝な顔で真冬を見下ろす。

 が、彼女も不思議そうな顔で首を横に振った。真冬も知らないらしい。

 とにかく、二人はヒチコックと合流しに、笹屋という寿司屋へいってみることにする。

「ありがとね、小虹ちゃん」

 小虹とチコに手を振って別れる。

「あいつ、いったい何喰ってやがんだ」

 死織は口をとがらせる。また、何かやらかしてるんじゃないだろうな?と、ちょっと心配だった。



 死織と真冬は、小虹に教えられた笹屋という小さい寿司屋をたずねた。しかし、混雑している座敷にヒチコックの姿は見えず、おかみさんに訊ねると、板場の裏で猫マンマを食べているらしい。


「近所の猫たちのごはんだから、全部食べないでねっていってあるんだけどね」

 気さくな感じのおかみさんに案内されて、板場の裏の軒下にいくと、床几に腰かけて、どんぶり飯をかっこむヒチコックの姿があった。


「おい、ヒチコック。おめー、また妖怪を追いかけたりしてねえだろうな。クエストは俺に任せて、おまえはちゃんと長屋で待機してろよ」

 死織が近づくと、ヒチコックは慌てて食べていたものを隠す。


「なに隠してるんだ?」

「死織さんにはあげないですからね。コンビ解消したんですよね」

 言い方が刺々しい。が、ヒチコックの食べていたものを覗き込んだ死織は、「えっ?」と目を瞠る。

「おい、なにそれ、……大トロ丼?」


 ヒチコックは、漆皿に盛られた大トロの山を、どんぶりに盛られた酢飯にのっけて食べていたのだ。漆皿のうえの大トロは、あざやかなピンクで、霜が降ったように脂が乗っている。とろりとしていて、どこをどう見ても、高級寿司店で何千円もしそうな極上の大トロだ。


 死織の背後で、真冬が「ぷっ」と吹き出す。

「そうか、さすがヒチコックちゃん。このお寿司屋さんはマグロをまるまる仕入れるからね。この時代の人は『トロ』は食べないで捨てるから、この店に来れば、ただで大トロが食べ放題だね」


「おい、ヒチコック。いえ、ヒチコック様。この哀れな死織めに、その猫マンマを少しだけ、分けてくだせえまし」

「ええー、どうしよっかなー」

 ヒチコックはどんぶりの上の桜色の切り身を箸でつまむと、頭の上まで持ち上げて、死織の目の前を通過させてから、大きく開けた自分の口に放り込んだ。そして、もーぐもーぐと咀嚼する。

「うんめぇー」


 死織は片眉をつりあげ、怒りにひくひくさせる。

「て、てめー」

「はははは、死織さん。ヒチコックちゃんに復讐されちゃってますね」

 真冬は楽しそうだった。


「まあ、可哀そうだから少し分けてあげますよ」

 口の横にごはん粒をつけたヒチコックはにやにやと笑う。

「ありがとうごせえます」

 死織は深々と頭を下げ、お相伴にあずかれることに感謝する。



 板場からどんぶりと箸を借りてきて、真冬と三人で、大トロ丼を食べる。

 脂ののった大トロは口に含むととろけるよう。ぬるりとする濃厚な食感と得も言われぬ旨味。赤い酢飯の酸味と、鮫皮で下ろした山葵わさびの風味、さらに濃厚な溜まり醤油の塩味が絡まって、極上の御馳走である。

「これを食べていたとは、江戸時代の猫は贅沢だな」


「死織さん、なにか手掛かり、みつかりましたか?」

 食べながらヒチコックが聞いてくる。

「ああ、暗号を発見した。だが、意味が分からねえ。そっちは?」


「きのう死織さんが辻斬りに出会った場所を見てきました。猫の爪とぎのあとを見つけましたよ」

「猫の爪とぎ? なんだそりゃ?」

「猫が樹の幹で爪を研いだ跡です。たぶんその猫、身長が百八十センチくらいありますね」

「ほお。なるほどね」死織は不敵に笑った。「ありゃあ、化け猫だったか。だとすると、昼間は動かねえか。猫は夜行性なんだろ」

「そうですね」

「とにかく、もうそれで辻斬りの捜査はやめろ。危険すぎる」

「あれ? 死織さん、もしかしてお風呂行ってきました?」

「え? なんでわかったの?」

「なんか、匂いで」

「え、でも、石鹸なんて使ってないぞ。おまえ、犬みたいに鼻が利くねえ」


 死織のなんとなく言ったひとこと。

 じつはこの一言がヒチコックを危険な方向へと導いてしまうのだが、このときの死織は当然、そんなことには気づきもしなかった。


 ただ、ヒチコックがはっとして顔をあげたのを不思議に思っただけだった。


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