第123話 湯屋の奥の暗号


「え? 湯船は?」

 死織は湯屋の中を見回した。


 大きな広間。手前は茣蓙ござが敷かれた脱衣所。その奥に竹の簀子すのこで仕切られた流し場があり、いま爺さんが一人、湯桶を置いて、ぬか袋で身体をこすっている。彼は、花魁姿の美女が来店して、いきなり全裸になったもんだから、さっきからずっとこちらを見ていた。

 現在、流し場にはこの爺さんがぽつんと一人いるきり。

 だが、その流し場の奥に、湯をはった湯船はない。ド派手な赤い壁があって、そこに塗装の剥げた富士山の絵が描かれているのみ。


湯槽ゆぶねはあの奥だよ」

 ふんどし姿の金太郎が、赤いド派手な壁をゆびさす。


柘榴口ざくろぐちっていいます」死織の斜め後ろに立った真冬が説明してくれた。「お湯がさめないように、壁でかこって、中に入るときは、あの壁の下の隙間から、屈んではいるんです。むかしは鏡を磨くのに柘榴の実をつかったため、『鏡鋳かがみいる』と『屈み入る』をひっかけた駄洒落から名付けられたといいますね」

 説明している真冬は、極力金太郎や死織の身体を見ないように目線を逸らせている。

 死織の身体は金太郎とちがって女体なのだから、別に見てもいいのではないか?と思うのだけど。



 だが、真冬の説明を聞いた死織は、なるほどとばかりに、にやりと笑う。


『曜変天目に注がれし聖なる泉の弓矢の奥、ざくろを開いて中を見よ』


 意味の分からなかった「ざくろの中」とは、このことか。

 つぎのヒントは、この柘榴口の奥にあるようだ。


 すでに金太郎は慣れた調子で、壁の前でしゃがみこんでいる。なるほど、天井から下がる壁は、人の腰の高さくらいまでしかなく、下は開いている。

 暗い内部に金太郎が潜り込んでいくのを見た死織も、さっそく身をかがめて柘榴口の中へと足を踏み入れた。


「真冬さんは来ないの?」

「あたしは最後に入ります」

「警戒しすぎだよ。変なところ覗いたりしないって」

「ふん」

 そっぽを向かれた。


 中は真っ暗で、なにも見えない。湯船があるようで、湿気と熱気、そして水音がするが、そこにいったい何人いるのかも、皆目見当もつかなかった。

「死織ん、暗いから気をつけてな」

 金太郎が声を掛けて、親切にも手を伸ばしてくれる。が、その手はどさくさまぎれに死織の胸のあたりに伸びてくる。

「なにしやがんでぇー、この不貞浪人!」

 死織は強烈な正拳突きを放って、金太郎の顔面を殴りつける。

「あうっ!」

 狭い中に、男の悲鳴が響き、その音響で、だいたいの内部の大きさがわかった。


 死織は、木製の湯船のふちを摑むと、そっと足先を湯につける。

「あっち! 熱くねえか、このお湯」

「銭湯の湯は、温度設定が高いです」いつのまにか中に入ってきた真冬が、ちょっと可笑しそうな声で死織の耳元に囁く。「とくに江戸の湯屋の湯は、熱いです。それを我慢して入るのが、粋なんです」


 といいつつ、真冬は壁際にたち、湯槽に入る気はない様子。

 仕方なく、死織は金太郎を足で押しのけて、熱い湯に入る。

「あうっ、おうっ」

 喘ぐような奇声を発しつつ、激熱の湯に胸までつかる。

っちいよ、HPが削れないのが不思議なくらいだ」


「真冬さんは、つからないの?」

「つかったら、割烹着が透けます」

「ああ、そりゃあ、どえらいくエロいことになるね」

 ちょっとだけ、その様子を想像する死織。


「死織ん、お背中流しますか?」

 金太郎が猫なで声をかけてくるが、無視して周囲を見回す。暗くて何も見えない。肝心のヒントはどこだろう? 仕方なく立ち上がり、奥の壁まで移動する。

 じゃばじゃばと水音がたち、湯が波打つ。


「すみませんね、すこし動きますよ」

 他にだれがいるかも分からないので、とりあえず謝っておく。

 奥の壁に手を突き、なにか仕掛けがないか探る死織。

「なにかありますか?」

 真冬が声をかけてくる。が、暗くて何も見えない。しかし……。


「む?」

 死織はちいさくうめいた。

 壁になにか彫ってある。鑿で削いだような文字。角が立っていてまだ新しい。

 死織は闇の中、その文字をひとつひとつ判別していく。

 一行目は数字。二行目はカナ文字。三行目は……、これも数字。そして四行目もカナだ。そして、その下になにやら文字が。


 すべて確認しおえ、クエスト・ボードを開く。「暗号1」という項目が追加され、そこには奥の壁に彫られた文字が綺麗に記録されていた。



『 1 2 3 4 5 6

  ト サ ク キ ト ヲ

  7 8 9 10 11 12

  ウ ニ キ イ ケ キ


 大きい方から読め    』



「どうした? 死織ん。なにかあるのかい?」

 金太郎に軽い調子でたずねられ、死織はとぼけた。

「いや、なにもない」


 そう答えてもとの場所にもどった死織だが、よく考えたらこのあと金太郎があの場所に触れたら、暗号の存在は知られてまうことに気づいた。

 まあ、それは仕方ないか。


「十分あったまったし、俺らはもう上がることにするよ」

 死織は立ち上がり、湯から足を抜くと、柘榴口をくぐって明るい場所へ出る。

 その彼に続いて、めちゃくちゃ不自然な体勢で、割烹着の裾で身体を隠しながら真冬が出てくる。ただし、その顔は真剣。問うような視線を死織に向けてきている。

 死織は無言でちいさくうなずくと、外へ出ようという意味で番台の方を指さした。


 第一の暗号を入手した。クエストは前に進んでいる。

 だが、この暗号。いくら考えても死織には解くことができなかった。ある人からあるヒントを手に入れるまでは……。


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