第104話 これはモスコじゃない


「そうかぁ、ロレックスは殺されたか」死織は天井を見上げた。「あれ? じゃあ、借金はどうなるの?」


「そんなん、全部消えてなくなるわよ」

 陽炎は口を尖らせる。


「んじゃあ、雷蔵も債権は回収できないな」

 死織は意地悪そうに微笑む。


 ちらりと隣を見ると、ヒチコックが唇を噛んでうつむいている。ロレックスが死んだと聞いて悲しいのだろうか? 自分を騙した相手なのに?


 死織はその問いをヒチコックに投げかけてみようとして、しかし開きかけた口をつぐんだ。

 おそらくヒチコックはなにも言わないだろう。彼女はこれであんがい、自分のことは話さない。変な自慢は大好きなくせに。



 やがて料理が運ばれてきた。

 アーサーを手伝って、カエデやエリ夫が皿や器を運んでいる。死織も手伝った。そもそもエクスカリバー詐欺を思いついたのは、ここが円卓亭という名前で、その店主がアーサーだったからだ。お礼したい気持ちもある。


 ピザや生ハム、パスタとサラダ、唐揚げとフライド・ポテト。

「おい、誰だ。担々麺3つも頼んでるの!」

「拙者でごさる」

「あ、あたしにも担々麺ちょうだい。豆板醤と山椒マシマシで」


 フィッシュフライにザワークラウト、サラミとチョリソー。

「あれ? 俺の酒は?」

「死織さんのは頼んでないよ」

 ギネスの1パイントを手にしたイガラシの冷たい一言。


「って、頼んでくれよ。あれ? カエデさん、それなに?」

「本日のビール。ジンジャービアだって」

「生姜のビール?」死織は、皿を並べているアーサーに声かける。「おい、アーサー。ここにジンジャービアがあるんなら、おまえ、それでモスコミュール、作れる?」

「え、出来ますけど、いま忙し──」

「じゃ、それな」


 ヒチコックとエリ夫の前にジンジャーエールがならぶ。

「全員に飲み物行き渡ったか?」死織が確認する。「あと、陽炎、ラーメンは飲み物じゃないからな」


「カオスですね」エリ夫がぼそりと感想を述べる。

「じゃ、ヒチコック。乾杯の音頭をたのむ」

「え、あたしっすか?」

「おめーを助けるために、みんな苦労したんだからさ」


「いやー、みなさん、ご迷惑おかけしました」なんかよく分からないが、とりあえず立ち上がってジンジャーエールのジョッキを掲げるヒチコック。「では、乾杯!」

 おーという歓声とともに、ジョッキやグラス、ラーメンどんぶりが打ち合わされ、ヒチコックの『おかえりなさい』会がスタートする。


 死織はオーダーしたモスコミュールがまだ来ないので、乾杯用に陽炎が注いでくれた白ワインに口をつけた。足つきのグラスに半分くらい注がれた白。一口すすると、芳醇な甘みと独特の酸味が広がる。

「うまっ!」死織は目を見開いた。濃厚な甘口の白。あたかも蜂蜜を啜ったかのような、それでいて透き通った飲みやすさ。

「おい、陽炎。この白ワインなに?」


「え? 知らない。雷蔵からの差し入れ」

 陽炎は細身の瓶にのこったわずかな白ワインをぐびりと飲み干して小さくゲップする。

「うん、甘くておいしいね」

「おいしー」

 隣でイガラシが大口を開けて笑いながら、マグに注いだ白ワインをがぶ飲みしている。


「って、ちょっと、それ、ラベル見せろ」

 死織は陽炎から、雷蔵にもらったという白ワインのラベルを確認した。

「って、馬鹿、これ貴腐ワインじゃねえか! こら、イガラシ、がぶ飲みするな、もったいない! おーい、これ希少種のワインだから……」



 貴腐ワインのマグを空にしたイガラシが移動してきて、ヒチコックに話しかける。

「ヒチコックちゃんって、たしか所持金50万Gだったよね。一応竜崎R雷蔵さんから預かったGを陽炎さんの指示であたしがみんなに分配してるんだけど、さすがに50万Gは高額だから、後まわしになってるんだ」

「いいよ、返さなくて」

 横から死織は口出しした。


「だいたい中学生に大金持たすから、こんなことになるんだ。50万Gはみんなの経費。アギトなんか偽物武器の素材は自腹だし、エリ夫だって絵をただで書いてくれてるんだ。ヒチコックの50万Gは没収。5万Gでいいです」

「えー。あたしの50万Gー」ヒチコックが抗議の声をあげるが、死織は取り合わない。

「ダメ! 5万Gあれば、いまのお前のレベルなら十分だから。もっとレベルアップしたら、俺から頼んで陽炎から返してもらうから。それでいいな。はい、いいです!」

「なんすか、そのノリ突っ込みー」


 と、そこへアーサーが、銅のマグになみなみと注いだ飲み物をもってくる。

「はい、死織さん、モスコミュール」

「おほっ、来た来た」

 死織は手を擦り合わせると、金属マグに柏手かしわでを打った。


「それ、モスコミュールなんですか?」

 エリ夫が首を伸ばしてのぞきこんでくる。


「モスコミュールっていうとさ、普通はジンジャーエールにウォッカを入れて作るだろ。だけど、本来のレシピでは、ジンジャーエールではなく、ジンジャービア、つまり生姜のビールにウォッカが入っているんだ。それで、モスコミュール、すなわち『モスクワの、騾馬に蹴られたみたいに効く酒』という意味の名前がついたという話だ。で、その本来のレシピで作られたのが、これ」


 死織はマグの取っ手に指をかけて持ち上げる。

「では」


 つうっと口をつけた。

 濃厚で風味の強いジンジャービア、そこへライムジュースの甘さ、ウォッカの刺すような辛さ、そして炭酸の刺激的な酸味。

「うおっ」


 辛い! びりびりくる辛さだ。マティーニのようなアルコールの辛さとはこれまた違う。生姜の辛さ? いや、生姜はこんなに辛くないだろう。この辛さはまるで、激辛カレーのびりりとくる電気の刺激のような辛さだった。

 辛く、すっきりとしていて、いっそ爽快!


 ライムジュースの甘みなんぞ、ふっとんでしまっている。というより、甘みはすべて、辛さの引き立て役に総動員されているようだ。

 しかも、キンキンに冷えた銅マグの飲み口はまるで氷のよう。銅の、痛みに近い冷気が、その辛さをさらに引き締める。まさにモスクワの、騾馬の蹴り!


 いい蹴りをこめかみに喰らった死織は意識を飛ばされながら、水滴を浮かべる銅マグをテーブルの上に置いた。

「ふー」とため息をついてしまう。この世にはまだまだうまい酒があるものだ。


 と、そのスキをついて、マグに手を伸ばしたヒチコックがモスコミュールをひと口。

 死織が止める隙もありゃしない。

 強いカクテルを口に含んだヒチコックは、それを「ぺっ」と床に吐き、マグをどんとテーブルに置いて、低い声でアーサーに一言。

「これは、モスコじゃないぜ」


「おめーは、なにしてくれんじゃ! これがちゃんとしたモスコミュールなのっ! しかもなに床に吐いてんだよ! お行儀悪いな! おい、アーサー。こいつに罰ゲーム。この昭和フェアのページにある『ジョルト・コーラ』と『ドンパッチ』持ってきてくれ。ヒチコック、おめーは罰として、この『ドンパッチ』一袋全部口に含んで、『ジョルト・コーラ』一気飲みの刑だ!」



 ジョルト・コーラとは、コーラの中でも特に炭酸の強いコーラである。

 そして伝説の『ドンパッチ』というお菓子は、スプレーチョコのような小粒キャンディーのなかに炭酸ガスが封入されており、口に入れるとパチン!と小爆発する危険な代物である。大量に口に含むと、強烈に弾けてその炭酸の連鎖爆発で口内が超痛い。

 あまりにその弾け方が強烈であったため、口に含み過ぎて死者が出て発売中止になったという都市伝説があるほどである。


 だが、ヒチコックがその殺人お菓子を食べて悶絶することはなかった。


 ちょうどそのタイミングで円卓亭の扉が開き、1人の男が入って来たからだ。

 帯刀した黒いコートの長身の剣士。ロレックスの護衛を務めていたダイブスである。

 円卓亭の酒席についていた一同にさっと緊張が走り、そのさまを鋭い目で見まわすダイブス。彼の視線はカエデの上でとまり、小さくため息をつく。


「あんたも死織の仲間だったのか」


 カエデは小さく肩をすくめただけで、返答しない。

 ダイブスは、腰の刀に手をかける。カエデがびくりと反応し、陽炎が円卓の下でかすかに手首を動かす。


「まあ、待てよ」

 ポンチョの下で抜かれているヒチコックの銃を、死織がそっと手で制す。そして、青味がかった黒い目で、ひらりと黒衣の剣士を見上げた。

「ダイブスさん、もしかしてロレックスの恨みを晴らしに来たのかい? だとするなら、とんだお門違いだと思うけど?」


「誤解するな」ダイブスは左手で刀を鞘ごとつかむと腰帯から抜き取り、手に下げると、その場でいきなり土下座した。「頼みがあって来た」


「ん?」

 死織はすこし首を傾げる。


 平伏したダイブスは、床に額をこすりつけた体勢のまま、大声で死織に懇願した。

「俺にとってのはじまりの村である街が、いまダーク・レギオンの侵入を受けて大変なことになっているらしい。俺が戻ることができればいいんだが、無念なことに俺はあの街ではお尋ね者なんだ。頼む。どうか俺の代わりに、お前たちの力で、あの街をなんとかしてくれないか!」


「ほお、ダーク・レギオンが街に侵入。そりゃ、大ごとだな」

 死織はちらりとヒチコックを振り返る。

 中学生は、きゅっと唇を引き結んだまま死織を見上げると、かすかにうなずいた。


「わかった。ちょっと面白そうじゃないか。レベル上げ程度にさくっと片付けてきてやるよ」死織は、銅マグからモスコミュールをひと口飲んで、喉を湿らす。「で、どこにある、なんて街だ? 教えてくれよ」


 ダイブスは半泣きの顔を上げると、死織に笑顔を見せた。

「助かる。本当に助かる。ダーク・レギオンに侵入された街は、国際街道の東の果て。東洋最大の城下町『お江戸』だ」


「へー、江戸かぁ」死織は嬉しそうに顎をこすった。「そういえば、一度も行ったことがないな、たぶん」

 そこでちらりとヒチコックを見る。

「んじゃま、いっちょう行ってみますか。つぎのステージは、『お江戸』ということで!」


「おー!」

 ヒチコックは嬉しそうに拳を突き上げた。

「つぎは、『お江戸』だー!」






                       <第4章 完>

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