第30話 酒場『勇者の背中』
ドスレの池を回って、そのむこうにある酒場、『勇者の背中』に向かう。
池がなければ、入り口の大鳥居から一直線なのだが、巨大な四角い池があるため、大きく迂回しなければ酒場にいけない。
池の横には教会がある。
頑丈そうな3階建て。ただし、不思議なことに教会の正面は、横を向いている。池の方を向いていないのだ。つまり、この教会も、方向を正門、すなわち大鳥居に合わせている。
いまは、3階の外壁に取り付けられた大時計の手入れのために、金属製の巨大な長針と短針を外す作業が開始されている。巨大な文字盤を掃除するために、屈強な男たちが声をかけあって、メンテナンスに励んでいた。
彼らの会話によると、この文字盤は外れやすいので注意しろとのことらしいが、んなもんちゃんと固定しておけと、死織は言いたい。
ちなみにこの教会には、神父はいない。いれば、ヒチコックをガンナーから転職させて、剣士とか騎士とか、そういう前衛職にしてしまうつもりだったのだが……。
教会のまえを通り過ぎると、石畳の大通りが左右に走っていて、そこがメイン・ストリートになる。
メイン・ストリートの中央、ちょうど池と酒場の中間にあたりには、青銅のプレートが埋め込まれている。これは『勇者の星』というもので、『勇者祭り』では、この位置に、その年の勇者役の男が立つらしい。
「やっば不思議な村だよな。その『勇者祭り』って、もしかしたら何か意味があるのかなぁ?」
死織は首を傾げながら歩くのだが、ヒチコックとエリ夫はまったく興味なしである。若いんだからさ、もう少しおまえたちは、いろんなことに興味を持てよ、と死織は思ってしまう。
「俺も、おっさんになったのかなぁ?」
うるさいから、ほかの2人に聞こえないよう、そっとつぶやいた。
四角い池の向こう側にある酒場『勇者の背中』はおしゃれなバーである。
店内はシックだがぴかぴかに磨かれた木材で内装され、テーブル席は少なめ。正面の壁が棚になっていて、そこにずらりと酒瓶が並んでいるさまは、壮観。まるで宝石箱のようだ。しかも奥の壁が巨大な一枚の鏡になっているため、酒瓶の背中が映り、店内の穏やかな照明が酒を満たしたガラス瓶たちを背後からも照らし、うす暗い店内のなかで、その棚にならぶリキュールやスピリッツ、ウイスキーの瓶が芸術品のように輝いて見える。
そして、カウンターに腰かけた者は、真正面にこの酒の棚、さらにその手前に、ジェントルで洒脱なマスター──粋なバーテンダーである──の姿を堪能することができるのだ。
ああ、一度でいいから、こんな小粋なバーで、いい女とお洒落なカクテルのグラスを傾けたいもんだぜ、などと死織が思っていると、ヒチコックがマスターに間抜けな質問をしている。
「あたしが受けたクエストって、まだ完了してないですか?」
「うーん」マスターは首を傾げた。「まだ完了してないねえ」
ちょっと困ったように苦笑するマスター。
この酒場のマスターはもちろんNPCで、プレイヤーではない。名前はたしかジェームズだったか。
ロマンス・グレーの頭髪をオールバックに決め、パリっと糊の効いたワイシャツに、シックな蝶ネクタイを締めている。なんかイギリス紳士みたいで格好いい。
にもかかわらず、彼がクエスト受注を管理するわけだから、たとえばプレイヤーがキノコを納品したりすれば、彼が受け取ることになる。
やっぱここは、変な村である。
「ちぇー」
不満そうな顔をするヒチコック。つーか、おまえ、画面呼び出してクエスト情報を自分で確認しろ、酒場のマスターに訊くな、と死織は言いたい。
が、ここは全部ヒチコックに任せると、死織は決めたので黙っていた。
「でも、Gは入ったから、きょうはあたしが奢るね」
気を取り直したヒチコックは、後ろに立つ死織とエリ夫に向き直った。
「じゃー、隣のカレー屋に行こうか!」
そういうことを、大声で、ジェームズの前で言うなよ!
酒場『勇者の背中』は、おしゃれなバーであるため、軽食しかない。「チーズ盛り合わせ」とか、「ナッツ」とかだ。
当然、お子ちゃまのヒチコックには不評で、とにかく通りに並ぶ他の店へ行きたがるのだ。で、彼女のお気に入りは、お隣のカリー屋『ラージプート』。
本格インドカリー……かと思いきや、よく看板を見たら、パキスタン・カリーだった。
「インドとパキスタンって、なにがちがうんですかね?」
最初にこの店に入った時のヒチコックの質問である。
「インドとパキスタンは、国が違う。隣の国だよ。でも、それ以上は俺もよく分からない。おんなじようなもんじゃねえのか?」
なとど言いつつ入った2人は、この『ラージプート』の味に、すっかりハマってしまったのだ。
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