終章【空から降るものは、もういない】

 という訳で、凱旋である。


「……おかしいよなァ」

「なにが?」

「いや、なんで徒歩で帰らせんの? 俺めちゃくちゃ疲れてんのに?」


 ひとしきり騒いだあとに、本拠地である【閉ざされた理想郷クローディア】へ凱旋することになったのだが、本当にこの部分が間違っている。いや間違っていると言えるだろうか。

 疲れた体を引きずりながら、ゾロゾロと移動する奪還軍の集団の最後尾を歩くユフィーリアは不機嫌そうに舌打ちをする。


「せめて迎えぐらい寄越せよ人類、今度はこっちが敵になるぞクソが」

「大丈夫か、ユフィーリア。背負うか?」

「もやしっ子のお前に負ぶさるとか拷問か? さすがに俺もそこまで鬼畜じゃねえよ」


 ショウの提案を一蹴したユフィーリアは、諦めたように足を動かす。

 地上を奪還した英雄なのだから、せめて手厚くもてなしてほしいものだ。希望としては家賃を一ヶ月分免除してくれるとか、給与の金額が上がるとか。

 しかし、このまま【閉ざされた理想郷】に帰ったところで、あまり生活は変わらないのだろう。ユフィーリアは嘆息を漏らすと共に、右腕を軽く動かす。


「治らねえのか、これ」

「イーストエンド司令官の時空操作でも、治癒は難しいようだ」

「腐敗術は凄えなァ」


 ユフィーリアの右腕は、二の腕から下が消失してしまった。

 時間を戻して治癒しようとしたところ、無効化されてしまったのだ。【黒輝夜姫クロカグヤヒメ】の最後の最後で悪あがきされたような気がするが、右腕を犠牲にして天魔を根絶やしにすることができたのだから、儲けと見るべきだろう。

 やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、


「まあ、命あってのなんとやらだ。少し生活に支障は出るだろうが、義手をつけりゃどうとでもなるだろ。戦うこともなくなるだろうし」

「【閉ざされた理想郷】に戻ったら、まずは病院だろうか」

「馬鹿野郎、まずは酒盛りだろ。お前も腹一杯食えよ、今日は祭りだぜ」


 なにせ、地上を取り戻すことができたのだ。

 これを【閉ざされた理想郷】で生きる人類に伝えれば、あちこちで祭りが起きることだろう。どんちゃん騒ぎの果てに、彼らは怪物のいなくなった地上へ戻っていくのだ。

 もう、このフルール大陸にユフィーリアたちが戦う理由などなくなる。


「でも」

「どうした?」

「なくなったのが右腕でよかったな」


 ユフィーリアは無事な左腕を掲げて、軽く揺らす。

 不思議そうに首を傾げるショウは、


「何故? 左腕の方がよかったのでは?」

「俺は両方使えるし問題ねえけどな」


 瞳を瞬かせるショウを一瞥したユフィーリアは、分かりやすく指に唇を寄せる。

 その指は、人の生活で重要な意味を持つ薬指だ。


「左腕がなくなると、ができなくなる」


 戦う理由はなくなった。

 ならば、そういうことをしたっていいだろう。

 ユフィーリアがケロッとした様子で言うと、ショウは泣きそうな顔で詰め寄ってくる。


「ゆ、ユフィーリア、誰かと結婚するつもりか? 誰だ? あの腐れ王様か?」

「ははは」


 ショウの真剣な不安を一蹴するように笑い飛ばしたユフィーリアは、ぐしゃぐしゃと左手で相棒の頭を撫でてやる。

 そのついでに、彼の髪を戒める赤い髪紐を解く。戒めから解き放たれた黒髪がふわりと背中を流れ、驚いたショウが「あ」と声を漏らす。

 ユフィーリアはボロボロになった赤い髪紐を咥え、器用に自分の薬指に巻きつける。括り付けられた小さな鈴がチリンと音を奏で、左手の薬指に赤い色が差す。


「今はこれで我慢してやるよ」

「……ユフィーリア? おい、ユフィーリア。話が読めないのだが、つまりそれって」

「ははははは、あーはははははははは!!」


 あたふたするショウの様子に腹を抱えて笑ったユフィーリアは、唐突に広い大地を駆け出す。疲れなど、一体どこへ吹き飛んだのかと疑問に思うほど、軽々とした足取りだった。


「待て、ユフィーリア!!」

「誰が待つかよバーカ!! 俺を遮る奴は誰もいなーい!!」

「いや、ちょ、話!! 話をさせてくれ!!」

「聞かない聞かない、俺今めちゃくちゃ楽しいから!! あはははははははは!!」


 どこまでも続く大地を支配する怪物の影はなく、空より襲来する怪物の姿もない。

 人類は、本当の自由を取り戻したのだ。



 晴れ渡った空から降り注ぐものは、もうなにもない。

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