第1話【停滞した雪の世界】

 スカイを残して頭の痛くなるような夢現の世界を脱出したユフィーリア、ショウ、グローリアの三人は、螺旋階段を駆け上がっていた。


「スカイ、本当に大丈夫かなぁ」

「大丈夫だろ。あいつ、意外としぶといからな」


 ユフィーリアは階段を上りながら、グローリアの不安を一蹴するように言う。

 あの頭の痛くなるような夢現の世界へ置き去りにしたスカイは、面倒臭がりで不健康そうな男でも奪還軍の最高総司令補佐官なのだ。負けることは考えられても、死ぬようなことはないだろう。

 奪還軍の天魔憑きは、誰も彼もしぶといのだ。しぶとく生にしがみつき、諦めずに最後まで敵に立ち向かってこそ奪還軍である。


「俺らはそんな弱い奴じゃねえだろ、ちったァあいつの実力を信じてやれ」

「エルクラシス補佐官であれば、絶対に生きている。生きて、俺たちに追いつくに決まっている」


 ユフィーリアの言葉に同調するように、ショウもまた続けた。


「エルクラシス補佐官は優秀な天魔憑きだ。勝てる算段があるから、あの場に一人で残ったのだろう」

「……そうだね。僕も彼を信じてみようと思うよ」


 グローリアも頷くと、


「先に進もうか。きっと、スカイも追いついてくれるよ」

「そう言ってくれると思ってたぜ、グローリア」


 ユフィーリアは不敵に笑うと、ようやく見えた階段の終わりを指で示す。

 そこには、他の階層とは違って明らかに狭い部屋があった。

 部屋にはなにもなく、申し訳程度に設けられた窓から陽の光が差し込むだけの薄暗い空間だ。その空間の中央には、夢現の世界に飛んだ際に使用した、あの台座が設置されている。


「この台座に乗れば、次に飛べるって訳だね」

「そうだな。次に出てくるのがどんな奴か知らねえが、タダでは済まねえことを覚悟しておけよ」


 ユフィーリアは手のひらでショウとグローリアを制し、自分が先陣を切ることを視線だけで伝える。ショウは頷いて、グローリアと共に台座から少しだけ離れた。

 台座に乗ると、足場が煌々と輝き始める。網膜を焼かんばかりの光が薄暗い部屋を満たし、少しの浮遊感のあと、どこかの大地に落とされる。


「――――ん?」


 肌で感じる冷たさ。足元から伝わる不思議な土の感触。

 いや、これは土ではない。雪だ。

 ふわふわと目の前に落ちる雪、水平線の向こうまで白銀に覆われた大地。山や木々などの自然は見当たらず、ただ雪が降り積もる静寂に満たされた世界。

 一面の雪景色の中に放り出されたユフィーリアは、


「ほああッ!? 頭の痛くなる世界から、まさかの雪ィ!? どういう仕組みだよこの塔はよォ!!」

「どうした、ユフィーリア。なにを叫んでいる?」


 ユフィーリアに続いて、この極寒の世界に転移してきたショウは、一面の雪景色を目の当たりにして「うわ……」と遠い目をした。


「この塔の内部は四次元かなにかか?」

「考えられるよなァ。術式にしても、こんな膨大な質量を持つ物体を作る術式なんて存在すんのか?」

「はて、そんな術式が存在するのはついぞ聞いたことがないが……」


 どこからこの雪が降っているのか不明だが、空を見上げてみれば分厚い灰色の雲で覆われている。塔の内部なのに空の概念があるとは、これ如何に。

 呆然と立ち尽くすユフィーリアとショウに、最後に飛んできたグローリアが「お待たせ」と声をかける。


「うわぁ、今回は雪の世界だねぇ」

「グローリア、寒くねえのか?」

「寒いよ?」


 ユフィーリアは防寒対策として黒い外套を羽織っているし、ショウは火葬術行使者だから基本的に体温が高い。この中で唯一、気温に関する対策を取っていないのはグローリアぐらいのものだ。

 寒さに震えるグローリアは、凍てつく空気に耐えられずに「はくしょん!!」とくしゃみをする。鼻水を啜るグローリアの姿が見るに耐えられず、ユフィーリアは「ああ、もう!!」と銀髪を掻き毟った。


「お前はどうして極寒の世界でも変わらねえ格好でいるんだよ、少しは外出る用の外套でも見繕っとけ!!」

「う、うん、ごめ、ごめん、もごもご」


 ユフィーリアが外套の内側から取り出した茶色の外套を顔面に叩きつけられ、グローリアはもごもごと呻く。

 茶色の外套を着せてやり、さらに防寒具として外套の内側から空瓶を取り出してショウに押し付ける。それだけで理解したショウは手のひらを空瓶に押し当て、術式で生み出した火球を空瓶の中に閉じ込める。

 簡単なカイロとなった空瓶をグローリアに持たせて、防寒対策は完了だ。ユフィーリアとショウは互いの拳を打ち付けて、迅速な行動を称賛する。


「ユフィーリアは寒くないのか?」

「俺は平気だ、ゼルム雪原と違ってまだ耐えられる寒さだからな。お前は?」

「知っての通り、体温が高い故に問題ない。このまま作戦を続行できる」


 真剣な表情で頷いた相棒の頭を撫でてやり、ユフィーリアは二人へ振り返る。


「じゃあ、行くぞ。安全地帯まで三人一緒だ、離れるなよ」


 ☆


 さく、さく、と雪が降り積もる白い世界を、三人はひたすら歩く。

 先頭はユフィーリア、殿をショウに任せて大将であるグローリアを真ん中に設置する体勢で、雪の大地を当てもなく彷徨い歩く。方向感覚が果たして正しいものなのか、ユフィーリアにも分からない。


「ユフィーリア、この方向は正しいものなのか?」

「さあな」

「もう一〇分ほど歩いているのだが」

「そうだな」

「……このままいたずらに体力を減らすのは悪手だと思うが」

「仕方ねえだろ。雪のせいで足跡が消えるんだからよ」


 そもそも道が判断できないのだ、どこに行けばいいのか分かったものではない。一〇分程度であれば、まだ許容範囲だ。

 殿を歩くショウは「いや、だが」と続け、


「俺は問題ないが、イーストエンド司令官の体力が心配だ。頭脳の労働を主とする最高総司令官故に、このような行軍はあまり慣れていないだろう」

「あー、まあ……そうだよなァ」


 ショウの言葉に、ユフィーリアは納得する。

 最高総司令官であるグローリアは、基本的に頭脳を使うことを仕事とする。一〇分ならまだ大丈夫だろうが、この極寒の世界をただひたすら歩き続けるのは苦行だろう。

 ユフィーリアは頭に積もった雪を払い落として、


「これ以上、歩かせるのもあれだしな。グローリア、疲れたら言えよ。担ぐから」

「僕はまだ疲れてないよ、大丈夫」


 グローリアはいつもの朗らかな笑顔を浮かべて、火球が揺らめく空瓶を掲げる。


「ほら、この簡易カイロもあるしね。僕ならまだ平気だよ、そこまでヤワじゃないから」

「お前の『大丈夫』は信用しねえことにしてんだよ」


 自分がまだ動けることを主張するグローリアの台詞を、ユフィーリアは一蹴する。

 彼は平気で徹夜を何日も続けるような男である。五徹は当たり前、七徹も平気で決行するような奴の『大丈夫』が果たして信用できるだろうか。

 グローリアは信じてもらえず「ええ!?」と叫び、


「酷いよ!! 僕はそこまで貧弱じゃないよ!?」

「平気平気って言っておきながら普通に七日間も寝ねえような奴の発言を、誰が信じろって言うんだ?」

「僕だってスカイを引きずったりして体力があるんだよ!!」

「でも現場で命張ってはいねえだろ。ショウ坊、こいつが無理してるように見えたらすぐに言えよ。気絶させてでも抱えるから」

「了解した」


 ショウがしっかりと頷いたところを確認して、ユフィーリアは前方に視線を投げる。


「お」

「あ」

「わあ」


 ユフィーリアとショウはその存在に気づき、グローリアは紫色の瞳を輝かせる。

 しんしんと雪が降る世界に、ポツンと取り残された大きな屋敷。

 見た目こそ【閉ざされた理想郷クローディア】の第三層でよく見る貴族の屋敷に似ているが、こんな白銀の世界に取り残された真新しい屋敷など怪しい以外に言葉は見つからない。

 つまり、今回の戦場はあの屋敷だ。


「……室内戦か。苦手なんだがな」

「ああ、大太刀を振り回せないからな」

「走り回れないからね。君も色々と苦労を抱えてるんだなぁ」


 遠い目をするユフィーリアだが、仕方なしに屋敷に近づくことにした。

 苦手でも乗り越えなければ、この戦争は終わらないのだ。

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