第1話【現実を突きつける白亜の塔】
「……夢だと思ってたんだけどなァ」
王都アルカディアの城壁から、空を目指して伸びる白亜の巨塔を見上げて銀髪碧眼の美女が呟く。
透き通るような銀髪を風に揺らし、白亜の巨塔を見つめる瞳の色は宝石にも勝る鮮やかな青。人形めいた顔立ちは息を飲むほど美しく、白磁の肌は瑞々しい。
誰もが振り返るような美人ではあるものの、彼女は自分自身を着飾る気は全くないようだ。着古したシャツに厚手の軍用ズボン、頑丈な軍靴という無骨な格好の上から黒い外套を羽織っている。細い腰を強調するように帯刀ベルトを巻き、子供の身長ほどはある大太刀を
彼女の名は、ユフィーリア・エイクトベル。怪物の支配から地上を奪還すべく戦うアルカディア奪還軍に所属する天魔憑きである。
「現実だったか、これ」
「必要であれば頬を引っ叩くが」
目を見張るほどの美貌を持つにもかかわらず、男のような口調で呟くユフィーリアに、隣に立つ少年が淡々と応じる。
艶のある黒い髪を高く結い上げ、鈴が括り付けられた赤い髪紐で飾っている。瞳の色は夕焼けを溶かし込んだかのような、鮮烈な赤い色。少女めいた顔立ちを隠すように、口元を黒い布によって覆い隠している。
そんな彼は、黒いシャツに細身の黒いズボン、それから革靴という全身黒だけで統一された服装の上から、華奢な体躯を強調するようにベルトで
彼の名はショウ・アズマ。ユフィーリアと同じくアルカディア奪還軍に所属する天魔憑きであり、ユフィーリアの相棒だった。
「お前、容赦なくやってくるだろ。やめろよ、まだルナサリアで戦った時の傷が癒えてねえんだよ」
「見た目は治ったのにか」
「うるせえ。痛みは抜けねえんだよ」
ショウの淡々とした言葉に、ユフィーリアは吐き捨てるように言う。
吸血鬼の隠れ里『ルナサリア』近辺に落下した天魔の卵の処理を終えて一夜が明け、帰還の途中でこの白亜の巨塔が出来上がる様を間近で目撃することになったのだ。あの時はあまりの眠さに脳が幻覚でも見せたのかと思ったのだが、白い巨塔は現実のものとなった。
遠い目をしながらぼんやりと空へ伸びる塔を見上げ、ユフィーリアはため息を吐く。
「まさか、あれに登れとか言うんじゃねえだろうな」
「イーストエンド司令官であれば言いそうだが」
「やめろやめろ、現実になるだろ」
上官である青年に、笑顔で「あの塔に登って様子を見てきてほしいんだ」などと言われないことを切に願うユフィーリア。実際、本気でありそうで怖いのだ。
ややボサボサに乱れた銀髪を掻くと、ユフィーリアは言う。
「とりあえず、先遣隊で第一索敵強襲部隊があの塔付近に派遣されてる。行ってみようぜ」
「了解した」
城壁に沿って歩きながら、ユフィーリアは穴が開くほど観察した白亜の巨塔を一瞥した。
陽光を受けて輝く白亜の巨塔は、異様な気配を漂わせている。簡単に踏み込んではいけないような――しかし踏み込まなければいけないような、言葉では表すことのできない気配が。
「……まさかなァ」
「なにかあったのか?」
「いや、なんとなくだ。俺の勘だけどな」
ユフィーリアはポツリと、
「あの塔に登れば、天魔の謎に辿り着けるんじゃねえかなって」
あの白い塔の出現と共に、天魔は地上から姿を消した。
であれば、あの白い塔が天魔と関係があるということだ。
ユフィーリアの勘だが、悪い方向には当たると自負している。あとで第六感に優れた戦友に聞いてみるのもいいだろう。
今はとにかく、あの塔を調べてみる他はない。無闇に塔に登ったって、勝てなければ死ぬのだから。
☆
「うおーい、エド。調子はどうだァ?」
「あらぁ、ユーリとショウちゃんじゃないのぉ。主力部隊の派遣はまだ先だと思うけどぉ?」
白い塔の近くで塔の周りをぐるぐると回っていた集団のうち、他の同志に指示を出す屈強な大男が振り返った。
灰色の髪に
彫像の如き肉体美を迷彩柄の野戦服に押し込んだ男は、エドワード・ヴォルスラムと言った。同じくアルカディア奪還軍に所属する天魔憑きだ。
「なにか見つかったか?」
「特にそんな気配はないんだよねぇ。でも天魔の臭いだけはするんだよぉ。警戒するに越したことはないけれどさぁ」
エドワードは鼻を鳴らして、
「天魔の影は一つも見えないのにねぇ。やっぱり塔が関係しているんだろうけど、情報もなにもなしに登れば命取りだしねぇ」
「賢明な判断だな」
ユフィーリアは目の前に聳え立つ白い塔を観察する。
石灰とも、土とも呼べない材質で作られた白い塔は、間近で見るとかなりの大きさであることが分かる。ぐるりと塔の周りを走るだけで時間がかかりそうだ。
果てしなく高い塔を真下から見上げて、ユフィーリアはげんなりとした様子で言う。
「これ、本気で登るってことになりそうだな」
「多分ねぇ、おそらくそうなるだろうよぉ」
エドワードは「はい、ご苦労様ぁ」と他の天魔憑きから報告を受けながら、ユフィーリアに情報をまとめた羊皮紙を見せる。
「俺ちゃんたちの鼻を信用するなら、おそらくざっとこのぐらいはいるかもねぇ」
「…………天魔のおおよその数か」
ユフィーリアの隣からエドワードが差し出す羊皮紙を覗き込むショウが、うんざりとした様子で呟く。
塔の最下層には天魔がいないようだが、階層が上へ進むにつれて天魔の数が増え始めている。エドワードたちの嗅覚は大変頼りになるが、これがおおよその数字だとすればもっと数が増えるかもしれない。
ユフィーリアはこれ以上、途方もなく増え続ける天魔の数を記した報告書を見たくなかった。「もういいわ」と羊皮紙をグイッと退かすと、
「嫌な予感がするんだよな」
「どんなぁ?」
「この塔の先に、天魔の謎があるような予感がする」
「どんな予感よぉ、それぇ」
ユフィーリアがそう言えば、エドワードは呆れた様子で返す。
その時だ。
「おーい、エド。こっちになにか文字みたいなのがあるぞ」
「ええ? 俺ちゃん二周ぐらいしたけど、文字なんてなかったような気がするよぉ?」
「いや、俺たちも同じ意見だよ。三周ぐらいしてるってのに、なんか唐突に出てきたんだよこの文字」
エドワードは他の同志に呼ばれて、その文字とやらがある方角へ歩いていく。
その場に取り残されたユフィーリアとショウは互いに顔を見合わせると、
「行くか?」
「まあ、行ってみようぜ。暇だしな」
意見は一致した。
ユフィーリアとショウもエドワードを追いかけるようにして、件の文字がある場所を目指す。
巨大な白い塔をぐるりと半周した地点に、人集りができていた。エドワードが真剣な表情で塔の表面と向き合っていて、同胞たちとなにやら意見を交わしている様子だ。
「エド、なんて書いてあった?」
「それがさぁ、全く読めないんだよねぇ」
エドワードが「ここだよぉ」と塔の一部を指で示す。
そこには、確かに文字が刻まれていた。【
ユフィーリアが文字を指差して、ショウへ振り返る。
「ショウ坊、お前は読めるか?」
「自信はないが、読んでみよう」
ショウは白い壁に刻み込まれた文字を覗き込み、
「空へ至る塔に挑む勇敢なる者よ、覚悟せよ。
この塔は、果てなき空に至る道標である。
この塔は、お前たちにとっての地獄である。
空の地獄へ叛逆せんと剣を向ける者よ、心せよ。
この塔は、ただの地獄ではないことを。
この塔は、ただの死に場所ではないことを。
命を捨てる覚悟で挑め、地上を欲する者よ。
深き空の最果てで、私たちは待っている」
すでに滅んだ言語であっても、ショウはすらすらと読み上げた。
文章が読み終わると同時に、ユフィーリアは「なるほどな」と頷く。
「喧嘩売ってるんだな、よし言い値で買ってやる」
「誰を相手に喧嘩を売ってると思っている?」
「いやぁ、これは明らかに喧嘩を売ってるでしょぉ。俺ちゃんも半額出すよぉ」
「この喧嘩とやらに値段がつくのか?」
本気の表情で言うユフィーリアとエドワードに同調するかのように、他の同胞たちも「ここは全員で出し合うべきだろ」「いくらでも買ってやる」などと頷いていた。もちろん冗談である。
しかし、文面は明らかに地上で戦う奪還群を相手に喧嘩を売っていると受け取れるものだった。
ならばその喧嘩、買ってやるべきだろう。
ユフィーリアは白い壁を殴りつけ、
「オラ、喧嘩を売ってんだったら出てこいや!! その喧嘩買ってやるからよォ!!」
「ユフィーリア、さすがにそんなことをしても相手が応じるとは限らな――」
さながら
崩れた箇所から伸びてきたのは、毛むくじゃらの腕だった。拳を握り込み、ジタバタと暴れている。
「本当になったな」
ショウの淡々とした言葉と同時に、白い塔の壁の一部が破壊される。
ヌゥと姿を見せたのは、ギラギラと瞳を輝かせる茶色い毛皮の犬の天魔だった。左右に引き裂かれた口元から涎が垂れ、鋭い牙がずらりと並ぶ。
見つめ合うこと僅か三秒、ユフィーリアは叫んでいた。
「やってやるよおらあああああああああああッ!!」
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