終章【それは空へ導く白亜の塔】

「はあ……ようやく終わった……」


 ユフィーリアは疲れたようにため息を吐き、倦怠感が纏わり付く体を無理やり動かす。

 歩こうとしても思うように歩けないのが災難だ。大太刀を杖のように使って歩くユフィーリアは、仕立てのいい着物が汚れることなど気にも留めず地面に座り込むショウに近寄る。


「おーい、ショウ坊。大丈夫か?」

「……腹減った、眠い……」


 地面に座り込むショウは、うつらうつらと船を漕ぎながら腹を鳴らしていた。深夜に叩き起こされ、さらに吸血鬼モドキと命の削り合いをしたのだ。さすがに疲れたことだろう。

 ユフィーリアは外套の内側から携帯食料レーションを取り出して、ショウに手渡してやる。携帯食料の包装紙をのろのろと破ると、彼はゆっくりと固形物を口に運び始めた。


「ねむ……もぐ……」

「寝ながら食うなよ。俺は連れて帰れねえぞ」

「……もぐ……ぐぅ……」

「言った側からお前はよォ」


 ガックンと頭が落ちかけたショウを支えてやり、ユフィーリアはちょうど人間の姿に戻ったエドワードへと振り返る。


「おーい、エド。ショウ坊を連れて行ってくれ」

「あららぁ、食べながら寝ちゃったのぉ? ショウちゃんにしてはお行儀が悪いじゃんねぇ」


 体力がまだ有り余っているらしいエドワードは、携帯食料を口に運びながら眠りこけるショウを軽々と抱き上げる。先程までぎゃーすかと悲鳴を上げながら戦場を駆け回っていた狼が、戦闘が終了した途端に頼もしく見える。

 本来であればユフィーリアもショウを抱えられるのだが、切り札である『おり空・絶刀空閃ぜっとうくうせん』を使ってから疲れているのだ。気絶しないだけでも儲け物である。

 もぐもぐと携帯食料を咀嚼しながら眠るショウが運搬されていく様を眺めていると、後ろから「ユーリ」と誰かに呼ばれる。ふと声の方向へ振り返ると、そこにはルナが日陰に立っていた。


「おう、お疲れ」

「いいえ、私はなにもできなかったもの。最後まで、ずっと立ち尽くしたままで……情けないわ」


 ルナは苦笑する。


「お父様だったらきっと活躍できたんでしょうけど、私は結局のところお父様のようにはなり得なかったわ」

「いいや、お前はショウ坊が変質の因子で戦えなくなった時に助けてくれたじゃねえか。俺らは戦うしかできねえからな」

「強いのね。本当に羨ましいわ」


 毒々しい色合いの瞳を少しだけ伏せたルナは、小さな声で「ねえ」と呼びかけてくる。


「最後の、吸血鬼のようなアレなんだけど」


 朝日を浴びて砂になってしまった、あの怪物。

 吸血鬼にも似た怪物だが、やはり吸血鬼だったのだろうか。朝日を浴びた瞬間に砂となり、鮮血を操る能力を持つ存在は、ユフィーリアたちをこの上なく苦しめた。

 ユフィーリアはズキズキと痛みを主張する左腕を一瞥すると、


「あの吸血鬼モドキがどうした? 再発の心配か?」

「いいえ……ただ、その」


 ルナは少しだけ寂しそうに、


「あの吸血鬼は、私が朝日を浴びないか案じているようだったから」

「どうだかな。人質にするのかもしれなかったぞ?」

「もう死んでしまったのだから、あの吸血鬼のことはもう分からないわ。ただ、悪い人じゃなさそうな予感がしたから」

「下手に信じない方がいいぞ。あんなの、信用できるような要素がねえ」


 そろそろ撤退を始めている奪還軍の面々を一瞥し、ユフィーリアは「じゃあ、もう行くわ」と言う。

閉ざされた理想郷クローディア】に戻ってから仮眠を取り、それから昼寝をしつつ昼間の仕事をこなそう。どうせ、他の天魔は夜になったら活動的に動くのだから。


「ねえ、ユーリ」

「ん?」


 最後に呼び止められて、ユフィーリアは眠たげに欠伸をしながら振り返る。

 日陰に避難する吸血鬼の少女は、綺麗な微笑を浮かべて言う。


「また、血を飲ませてくれるかしら?」

「――まあ、次に会った時は不味くなってるかもしれねえが、それでいいなら」


 ユフィーリアが冗談めかして返すと、ルナは「それでも、あなたの血は気に入ったもの」と笑った。


 ☆


 という訳で、帰還である。


「ユフィーリアは治療ね。歩きながらやるから腕出して」

「やめろ、せめて【閉ざされた理想郷】に帰ってからやってくれ」

「君はどうせ病院にも行かないだろうから、今ここでやっちゃうんだよ!!」


 逃げないように腕を掴まれ、さらに疲れて早く走れないという現在の状況を上手く使って問答無用で治療をさせられるというユフィーリアは、懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を構えるグローリアを睨みつける。

 さすがに今回ばかりはきちんと治療を受けようと思っていたのに、実に心外である。

 グローリアは「もう、君は本当に無茶をするよね」とぶつくさと呟く。


「ユフィーリアが無茶をしない日なんてないんじゃないのかな」

「でも、戦死者は出てねえじゃねえか」

「そのうち、君は本当に腕でもなくしそうだよ」

「不吉なことを言うのはやめろ」


 グローリアは「適用『永久暦カレンダー』」と異能力を発動させて、ユフィーリアの左腕に穿たれた傷の時間を戻していた。

 あっという間に穴だらけになった左腕は元通りになり、調子を確かめるように左腕を振ってみる。痛みも和らいだので、これでいつものように戦えそうだ。


「それじゃあ、今日も夜に任務の方がいいなぁ」

「帰ったら絶対に寝るからな。寝てる最中に叩き起こすような真似はすんなよ。――命が惜しいならな」

「分かったよ。僕だって命は惜しいから、今回みたいなことはしないよ」


 ユフィーリアは「本当かよ」とグローリアに疑いの目を向ける。

 激しい戦闘を終えて、これからまたいつもの日常が始まろうとしていた。これから【閉ざされた理想郷】に戻って、また夜間の任務になるかと思っていた。

 ――そう思っていたのに。


 ドゴン、と音がした。

 それは、立て続けに聞こえてきた。


 ユフィーリアは顔を上げる。

 広々とした大地に、なにか白い塊のようなものが積み重なっている。白い塊は空から落ちてきているようで、ドゴンドゴンと重々しい音を立てて積まれていった。

 奪還軍の面々も、空から落ちてくる謎の白い塊に注目していた。冗談を言うようなことはせず、ただ黙ってその落ちてくる白い塊を視線で追いかける。


「えーと……」

「おいおい……」


 白い塊はどんどん積み重ねられ、それは空を貫かんばかりに高い塔を作った。

 なおも白い塊が積み重ねられていき、空を目指して伸びている白亜の塔を見上げたユフィーリアとグローリアはそれぞれ一言。


「よし、寝よう」

「おかしいなぁ、まだ五徹までしてないんだけどなぁ。僕も帰ったら仮眠を取ろう」


 不吉な予感のする白亜の塔から視線を逸らし、とりあえず眠気を晴らす為に寝ることを決めるのだった。




 そして彼らは知らない。

 この白亜の塔こそ、天魔との最終決戦の舞台となることを。

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