第12話【サイオンジ家当主】
ふわふわと足元が覚束ない。
周囲は黒一色で塗り潰され、上下左右さえ分からない。どこに頭を置けば、どこに足を伸ばせばいいのかさえ不明だ。
方向感覚が狂う深淵に一人で放り込まれたショウは、不安に駆られていた。
「――どこだ、ここは」
基本的に暗いところは好きではない。
昔の、悪き記憶を思い出してしまうからだ。
心細くなってショウは思わず駆け出すが、いくら走ったところで深淵を振り切れる訳がない。手足に重く纏わりついてくる闇は、まるで手枷のようにショウをこの場に繋ぎ止める。
「どうなっている……なんで、こんなところに!!」
すると、背後から声がした。
誰かの話し声のようだった。
「アンタは一人ぼっちになっちゃったの。だから、あたしがお世話してあげるのよ。感謝してよねぇ」
鼻につく甘ったるい声で接してくる花魁と、彼女と対峙することを余儀なくされた幼き日の自分。
唯一の肉親である父が姿を消し、残りの
出会った頃の光景を目の当たりにし、ショウの背筋に寒気が走る。
本能が「この場にいてはいけない」と囁いていた。
「――――ッ!?」
現実逃避の為に目を背けると、ショウの行く手にはいつのまにか狭い座敷の壁が広がっていた。
薄暗く、冷たく、声すら聞こえない。久しぶりに話しかけられたと思ったら聞くに耐えない罵詈雑言ばかり。幼き日の自分は、そうやって心を壊していった。
「――やめろ、見せるな」
カタン、と音がした。
座敷牢に嵌め込まれた格子窓の向こうから、綺麗に着飾った花魁が覗いている。目元は黒い布によって覆い隠されているが、確かに座敷牢に閉じ込められたショウを見て嘲笑っている。
口元に添えられた黒子が妖艶な雰囲気を醸し、青の紅が引かれた唇がゆっくりと音を奏でる。
「ほら、次の子よ」
彼女が引っ張ってきたのは、見知らぬ男だった。
随分と暴れたのか、疲れ果ててしまっている様子だ。乱れた黒髪にやつれた顔、白装束を着た死者の誰か。
その誰かを足元に落とした花魁は、実に楽しそうな口振りで命じてくる。
「命令よ、殺しなさい」
嫌だ。
しかし、ショウの意思に反するかのように、自分の腕は動く。
やめろ、嫌だ。
声すらも出ない。
手のひらに灯った紅蓮の炎が形を成し、赤い
(――嫌だ、やめろ)
やめてくれ。
赤い回転式拳銃を握りしめる手が震える。
懸命にショウは抗おうとするが、体の自由が利かない。とうとう指先が引き金に到達し、引き金を引こうとしてしまう。
(――誰か、助けて)
指先に力が込められた、その瞬間。
ショウの背後から、そっと華奢な腕が伸びてきた。
「――ああ、任せろ」
聞き慣れた声。
背後から伸びてきた白い腕が、ショウが握りしめる赤い回転式拳銃に指を這わせる。それだけで、今まで自由が利かなかった体が動くようになった。
その腕の主人を知っている。
その声の主人を知っている。
背後で感じる温かさに安堵し、ショウは振り返った。
「こんなところでなーに閉じこもってんだ、ショウ坊」
そう言って笑ったのは、銀髪碧眼の美しき相棒だった。
深淵の中にあってもその輝きを失わない銀髪に、強い意志さえ感じる色鮮やかな青い瞳。人形めいた美貌には大胆不敵な笑みが浮かぶ。
見た目こそ華奢に見えるが、その身に宿した剛腕と飛び抜けた戦闘力で、幾度となく死線を潜り抜けてきた最強の天魔憑き。自分の意思を持つことなく人形のようだったショウを叱責し、それでも相棒と呼んでくれた最愛の彼女。
「ユフィーリア……」
「ッたく、お前が離れんなって言ったんだろうがよ」
ピン、と白魚のような指先でユフィーリアはショウの額を弾いてくる。
「わざわざこうして迎えにきてやったんだぜ、感謝しろよな」
「……ああ、感謝している」
大胆不敵に笑むユフィーリアに応えるように、ショウも微笑んだ。
「ありがとう、ユフィーリア」
「分かりゃいいんだよ、分かりゃな」
ふふん、と笑ったユフィーリアは「帰ろうぜ」と言い、ショウの手を取った。その手は柔らかく華奢でありながらも、刀の振りすぎによって節々が硬くなった、最強の天魔憑きの手だった。
冷たくも頼もしい手に引っ張られれば、そこはもう深淵ではなくなっていた。
どこまでも白く、温かく、そして彼女が息づく光の世界。
☆
「ショウ坊、おいショウ坊!! しっかりしろ、大丈夫か!?」
布団の上に寝かされたショウの肩を揺すれば、閉ざされたままだった彼の瞼が震える。
寝起きで掠れた様子の声が「……ん、ぅ」と漏れる。ゆっくりと瞼が持ち上がれば、その向こうに隠されていた赤い瞳が露わになった。
「……ゆふぃー、りあ……?」
まだ寝ぼけ眼でこちらを見つめてくるショウに、ユフィーリアは心の底から安堵した。このままずっと目が覚めなかったらと考えただけで、恐ろしく感じてしまう。
極度の安心から泣きそうになるのを堪えて、ユフィーリアはショウの頬を抓ってやった。
「痛いのだが」
「うるせえ、痛くしてんだよ」
「俺がなにかしたのか」
「なんかムカつくから」
見当違いな発言もいつも通りだ。
ユフィーリアは「まあいいや」とショウの頬を抓ることをやめると、今度は彼の頭をワシワシとやや乱暴に撫でた。
「お前が無事でよかったよ」
「……すまない、心配をかけた」
申し訳なさそうに眉を下げるショウに、ユフィーリアは「気にすんな」と笑う。
「この借りは戦場で返せ」
「……了解した」
しっかりと頷いたショウを確認し、ユフィーリアは「さて」と立ち上がる。
部屋を満たしていた噎せ返るほどの甘い空気は、八雲神の結界によって遮断されている。銀髪の狐巫女の後ろでは、懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を握りしめるグローリアと、逃亡防止の為に首根っこを引っ掴まれているスカイが控えている。
そしてもう一人、ユフィーリアの師匠であるアルベルドは、
「ゥオイ、馬鹿弟子ィ!! この嬢ちゃん、完璧に伸びてやがんぞ!?」
「伸ばしとけよ、平たく」
「オメェ、相手が四神家だって知っての狼藉かァ!?」
「師匠こそ、いつからアバズレの肩を持つようになったんだ?」
ユフィーリアによって蹴り飛ばされた妖艶な花魁は、壁に突き刺さったまま動く気配がない。その彼女の介抱と救出をアルベルドは試みているようだが、指先一つ動かない彼女に恐怖心を覚えたようだ。
泣き言を叫ぶ師匠に対して、ユフィーリアは底冷えのするような声で一言。
「殺せよ、それ」
「さすがにそりゃねェだろィ!!」
アルベルドはなんとかして花魁を壁から引っこ抜きたいようだが、割と本気で蹴飛ばしてしまったので抜ける気配が全くない。
仕方なしにユフィーリアはため息を吐くと、八雲神が展開する結界の範囲から足を踏み出す。「ユフィーリア、危ないよ」とグローリアが制してくるが、片手をひらひらと振っただけで答えた。
一体どれほどの値打ちがあるのかと考えたくなるほど煌びやかな着物と、裾から伸びる艶かしい脚。頭は逆に
「師匠、退いてろ」
「なにするつもりでィ」
「決まってんだろ?」
ユフィーリアは平然と応じると、大太刀の鯉口を切る。
彼女の目線の先には、襖から伸びた女の細い首がある。――やることなど一つだけだ。
弟子のやろうとしていることに気づいたらしいアルベルドが「おい待て馬鹿弟子!!」と叫ぶが、もう遅い。ユフィーリアは問答無用で抜刀し、切断術を発動させた。
しかし、
「――――あ?」
ユフィーリアは思わず声を上げる。
確かにこの花魁の首は切断した。なのに、不思議と切った感覚がないのだ。
重力に従って畳の上に頽れる花魁の胴体が、次の瞬間、ドロリと溶ける。じわじわと、ドロドロと、氷が溶けていくように。
「なんだ――?」
ドロリと溶けた花魁だったものは、ザザザザと音を立てて畳の上を這いずる。行き着いた先は、広々とした部屋の奥に鎮座している座敷。移動する液体は座敷まで到達すると、再び人の姿を形成する。
豪奢な着物を大胆に着崩し、艶やかな黒髪を華麗に纏めて、青い口紅を引き、目元を黒い布によって覆い隠した奇抜な花魁。彼女は肘掛にもたれかかると、布越しにユフィーリアを睨みつけてきた。
「ちょっと、なにするのよ!! 首を切るなんてあり得ないわよ!?」
「…………」
「聞いてるの、このブス!!」
花魁は口汚くユフィーリアを罵ってくるが、絶対零度の視線を花魁へ突き刺すユフィーリアは静かに一言。
「悪いな、豚が話す言葉は分からねえんだ。さっきからブヒブヒうるせえ」
「――――なぁんですってぇ!? アンタ、あたしがサイオンジ家の当主と知っての発言なのぉ!?」
なかなかに腹の立つ喋り方である。エドワードと似たような喋り方であるが、何故かこの花魁の方が苛立ちを覚える。
ユフィーリアは「知らねえけど」と言うと、花魁は金切り声を上げながら立ち上がった。
「このあたしを――イノリ・サイオンジを怒らせておいて、タダで済むと思ってる訳ぇ!?」
花魁は――イノリ・サイオンジと自ら名乗った彼女は、豪奢な着物に包まれた右腕を振るう。
すると、虚空にぶわっと水の塊が出現し、波のようになってユフィーリアへ襲いかかる。
だが、
「お
大太刀を黒鞘に納めたユフィーリアは、強く畳を踏みつけて本日二度目の切り札を発動させる。こんなところで出し惜しみをして負けるような真似はしたくないし、純粋に目の前の花魁にムカついているのだ。
ぐわり、と牙を剥く水の塊を回避して、風のような速度でもって花魁に肉薄する。寸前で急停止をかけたことで、ぶわっと風が室内を駆け巡る。
「あ――ぁ」
一瞬で目の前にユフィーリアが現れたことで、あれだけの勢いを見せていた花魁の女――イノリ・サイオンジは顔を青ざめさせた。
その理由は単純明快、彼女の首元にユフィーリアの指先が触れていたのだ。下手に発言をすれば、その首をへし折ってやるという意思が肌からひしひしと伝わってくるのだろう。
「……み、見逃して、くれないかしら?」
口元を引き攣らせたイノリは、無様に命乞いをしてきたのだった。
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