第7話【骸骨の海賊】

「待てコラァ!!」

「逃げんじゃねえ!!」

「腰抜けがァ!!」


 様々な罵詈雑言が、静かな海の底をこだまする。

 岩山を蹴飛ばし、海底の砂を巻き上げ、五〇人前後の人間が地上と同じように水の中を駆け抜けていく。アグラは「『空気飴エア・キャンディ』を舐めていれば地上と同じように過ごすことができる」と言っていたが、戦闘も地上と同じようにできるとは素晴らしい代物だ。

 足の速さに自信のある天魔憑きが先陣を切って海賊船を追いかけ、視力に自信がある天魔憑きは海賊船を少しでも足止めできないかと石飛礫いしつぶてなどをぶん投げている。ショウも後方支援組に参加し、火球を浴びせていた。――この海底でも火葬術が普通に使えるとは、さすがのユフィーリアでも想定外だった。


「おいこれどこに向かってるか分かるか!?」

「ニライカナイ帰れる!?」

「知るか、あの海賊船を捕まえてニライカナイまで向かわせろよ!!」

「言葉が通じなかったらどうするんだ!?」

「この世には肉体言語というものがあってだな」

「要は殴って黙らせろということか!!」

「わーい、野蛮だーい」


 そろそろ海賊船を追いかける同胞たちも、すでに見えなくなってしまったニライカナイへ帰れるかどうか心配になっている様子だった。だが、ここまできてしまった以上、引き返すこともできないらしい。

 ユフィーリアもまた海賊船を追いかけながら、ニライカナイに戻れるかどうかほんの少しだけ心配だった。彼女の本心は戻りたくないというところだが、同胞たちを巻き込んでいるので、せめて彼らだけでも五体満足で安全地帯へ送り届けたいところである。


(――グローリアの奴は、いつもこんな重圧を抱えていたんだな)


 部下を抱えるということが、如何に重たいものなのかユフィーリアは思い知った。そして、彼らから戦死者を出さないということがどれほど偉大なことなのか。

 それを、あんな笑顔でやってのけるものだから、グローリア・イーストエンドという天魔憑きは天才と呼ばれるだけある。


「ユフィーリア、この先に海溝があるぞ」


 後方から投げられたショウの報告で我に返ったユフィーリアは、


「おーい、お前ら。いったん止まれ。この先に海溝があるってよ」

「うーい」

「へいへい」

「おーい、先に行った奴らにも言ってやれ。この先に海溝だってよ」

「海溝ってなに? 海藻の進化系?」

「そうじゃねえよ、いいから言ってこい」


 同胞たちの伝言ゲームによって、海賊船との追いかけっこは一時中断した。

 青い世界を突き進んでいく海賊船を視線で追いかけると、確かに海の底に巨大な亀裂が刻まれていた。谷とも呼べる巨大な海溝は、底が見えないぐらいに深い。こんなところに落ちれば、帰還は難しいだろう。

 一度ニライカナイへ戻るという手段もあったが、ユフィーリアはおかしなものを見た。


「……あの海賊船、止まった?」


 今までユフィーリアたちが追いかけていた海の底を突き進む海賊船が、何故か止まったのだ。休憩しているようにも見えるが、ユフィーリアたちが立ち止まったと同時に海賊船も止まるとは――。

 少しだけ考えたユフィーリアは、


「エド」

「なぁに?」


 狼の姿にはならずに人間の姿のまま海賊船を追いかけていたエドワードに、ユフィーリアは「ちょっと一人であの海賊船に近づいてこい」と言い渡す。


「近づくだけでいい、攻撃しようとすんなよ」

「分かったよぉ」


 無理な追跡でなければ、強面な見た目に似合わず小心者なエドワードも引き受ける。二つ返事で了承したエドワードは、一人で海賊船へ向かって歩き出した。

 しかし、海賊船は動かない。海底から僅かに浮いた状態を維持したまま、微動だにしなかった。


「動かねえな」

「休憩かな?」


 同胞たちがひそひそとやり取りするところを横目に、ユフィーリアはエドワードを「もういいぞ、戻ってこい」と呼び戻す。


「次は全員だ。お前ら、走るなよ」

「なんだよユーリ、考えでもあるのか?」

「馬鹿なんだから司令官の真似ごとはやめとけよ」

「よーし今口開いた奴は正座しろ。【銀月鬼ギンゲツキ】の剛腕を使ってぶん殴ってやる」


 拳を握りしめて笑顔で言ってやったら、同胞たちは青い顔で自分の口を手で塞ぐ。「余計なことは言いません」という主張だろう。

 全員で海賊船に近づいていくと、海賊船はユフィーリアたちから逃げるように前進し始める。止まれば海賊船も止まり、進み始めると海賊船もゆっくりと動き出す。


「誘われているのだろうか」

「……その誘いに乗ってやるのも務めだな」


 ユフィーリアとショウは互いに顔を見合わせると、ほぼ同時に頷いた。幾度となく死線を共に潜り抜けた相棒は、ユフィーリアの言わんとすることを理解してくれたようだ。

 腰からいた大太刀にさりげなく手を添えながら、ユフィーリアは同胞たちへ振り返る。


「お前らはここで待機。ショウ坊だけこい」

「えー」

「第零遊撃隊だけかよ、ずるい」

「索敵とか強襲とかならエドとかにやらせればいーじゃん」

「実働部隊が動くことなくね?」


 同胞たちからの批判の声が上がるが、ユフィーリアはスッと静かに拳を握りしめると、


「文句があるなら実力でかかってこい」

「「「「「どうぞ、いってらっしゃいませ」」」」」


 批判は一瞬で翻った。

 それもそのはず、最強の天魔憑きであるユフィーリアに誰も立ち向いたくないのだ。果敢に殴りかかったところで、三秒もしないうちに海底に転がることは目に見えている。


「異常事態に遭ったらショウ坊が火柱で伝える。お前らに異常事態が遭ったら――ハーゲンが自爆して知らせてくれ」

「はれるやッ?」


 爆薬を装備した馬鹿――ハーゲンが「マジでか?」みたいな意味合いで振り返る。琥珀色の瞳はキラキラと輝いているので、自爆する気満々のようだった。

 同胞たちは「へいへーい」「分かった分かった」と適当に返事をして、さっさとユフィーリアとショウを送り出そうとしていた。懸念事項は残るが、彼らも戦場を経験してきた猛者なので理解できるだろう。


「どうやってあの海賊船の中に入るかが問題だよな」

「飛び乗れたりはできないだろうか?」

「……まあ、頑張ればいけなくもない、か?」


 微動だにしない海賊船にゆっくりと近づくユフィーリアとショウは、海賊船にどうやって乗り込むか相談する。とはいえ、梯子や縄などの類を持っていないので、二人の結論は自然と『最大限に跳躍して飛び乗る』の一つに絞られた。

 間近で見る海賊船は、ところどころがボロボロの状態だった。窓ガラスにはヒビが入り、船首に掲げられた女神像は苔むしている。中頃からぽっきりと折れた帆柱の先端には、髑髏ドクロのマークが大きく描かれた海賊旗が力なく垂れ下がっていた。

 見上げるほど巨大な海賊船を前に、ユフィーリアとショウはもう一度海賊船に潜入する方法を相談する。


「この大きさで跳躍して侵入は無理じゃねえか?」

「…………確かに無理があるな」


 縄すらも垂れ下がっていない巨大な海賊船である。人の枠から飛び越えた身体能力を有する天魔憑きであっても、さすがに跳躍一つで王都アルカディアの城壁ほどはありそうは海賊船に飛び乗ることはできない。

 とりあえず船の側面に穴を開けて侵入しようとしたその時、


「おいおい、船に穴を開けようだなんて大胆なことを考える嬢ちゃんたちだな」


 声が降ってくる。

 弾かれたように海賊船を見上げると、高みからユフィーリアとショウを観察する人影が一つ。


「お? よく見れば別嬪さんじゃねえか。ヒュー、コイツァついてるな!! まさか海の底でこんなとびきり美人な人魚を二人も見つけるとは!!」


 ――声の正体は骸骨がいこつだった。

 紛うことなく骸骨だった。

 ボロボロのシャツに海賊帽子を頭に乗せ、腰に舶刀カットラスを差した海賊風の骸骨が、カタカタと顎関節を鳴らしながら高らかに笑っていた。動きも滑らかで、声帯もないのに紡がれる声も若々しく軟派なものだ。まさしく海賊といってもいいだろう。

 二人、という人数にショウも入れられたのだと思ったのだろう、彼は赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめて軟派な骸骨に突撃しようとして、ユフィーリアに首根っこを掴まれていた。


「驚いたな。ひとりでに動いて喋る骸骨なんて、俺は初めて見たぜ」

「おっと、こっちも驚きだ。まさかそんな美人が、男勝りな口調を使うなんてな。――イイね、グッとくる!!」

「そりゃどうも」


 カタカタカタ、と顎関節を鳴らしながら骸骨は笑う。明らかにあり得ない事象を前にしているというのに、不思議と驚くことも怖がることもなかった。

 ユフィーリアの腕の中でもがきながら「おい、そこの骨。俺を人魚と間違えるとは何事だ、俺は男だ」などと抗議しているショウを割と本気で黙らせようか悩んでいると、


「乗りな、お嬢ちゃんたち。――後ろにいるオトモダチも連れてな」


 ギィー、バタン。

 そんな音と共に、海賊船の側面が内側から開いた。まるでユフィーリアたちをその奥へ誘うように。

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