第4話【海底支部】

「ようこそおいでくださいました。お迎えが遅くなってしまい、大変申し訳ございません」


 極彩色の帆船に乗り込んだ奪還軍の面々を出迎えたのは、美しい人魚だった。

 波打つ青い髪に真珠が散りばめられ、垂れ目がちの濃紺の瞳は深海の如き色を湛えている。微笑を浮かべる顔立ちは童話に出てくる姫君と称しても過言ではなく、桜色の唇から紡がれる声もまた鈴の音のような涼やかさを持っている。

 そしてなにより、彼女の格好だ。貝殻を題材にしたドレスに、丈の短いスカートから伸びるものは足ではなく、魚のヒレ。何故か上手い具合に二股に分かれたヒレで帆船の床を踏んだ彼女は、苦しさとか辛さとか一切感じさせないたおやかな振る舞いを見せる。


「お初にお目見えします、最高総司令官様。海底支部の支部長を務めております、アグラ・シーグラスと申します」

「こんばんは、アグラ・シーグラス支部長。わざわざ迎えにきてくれるなんてありがとう」


 最高総司令官であるグローリアは、やはり穏やかに微笑みながら人魚に挨拶をする。

 美しき人魚――アグラ・シーグラスは「いえいえ、そんな」と首を横に振ると、


「我々天魔憑てんまつきを束ねておられる最高総司令官様を、無碍に扱うなどできません。海底支部に到着次第、すぐにもてなしの準備を」

「それは終わったあとにしよう。今は海底の状況について確認がしたい」


 もてなしとかそういうの関係なしに、グローリアは現在絶賛仕事モードであった。アグラはそんな彼の雰囲気に気圧されて「はい、了解です」と頷く。


「それでは皆様、こちらの飴を舐めてください」

「飴?」


 アグラが手を叩くと、船の奥から同じような美しい人魚がすっ飛んでくる。その手には瓶が抱えられていて、瓶には七色に輝く飴玉が大量に詰め込まれていた。

 アグラはそれを一粒ずつ奪還軍の同胞たちに渡しながら、


「こちらの飴は『空気飴エア・キャンディ』と言います。これを舐めていれば、海底でも地上と同じように過ごすことができます。ただし飴とは謳っておりますが実際には飴ではなく、感覚としては石に近いものです。決して吐き出さぬようにお願いいたします」


 アグラの言葉を信じて、ユフィーリアは手のひらに転がった七色の飴玉を口の中に放り入れた。

 舌の上で飴玉を転がすが、確かに味は一切しない。モゴモゴと口の中で転がすけれど、どうしても異物感というものが残ってしまう。


「……ユフィーリア、この飴不味いな」

「吐き出すなよ、ショウ坊。土左衛門になるぞ」

「できるなら落ち武者がいい」

「……え? いいの? お前あんな風になりてえの?」


 相棒の本気なのか冗談なのか分かりにくい言葉に、ユフィーリアは割と本気で混乱した。


 ☆


「それでは出発いたします」


 アグラの号令によって、極彩色の帆船は再び海の中へ潜っていく。

 ザブンと海面を掻き分け、冷たい感覚が肌を撫でる。溺れるかと思って目を瞑るが、不思議と水の中でも呼吸ができることに気づき、おそるおそるユフィーリアは目を開く。

 そこに広がっていたのは、


「うわ……」


 思わず口から漏れていた。

 水を掻き分けて進む極彩色の帆船の下には、色とりどりの珊瑚礁とその合間を縫うようにして泳ぐ小さな魚たちの群れ。地上では絶対に見ることができない海の世界がそこにあった。

 果てしなく続く青の景色は幻想的であり、誰も彼もがその美しい光景を目の当たりにしてはしゃぎ始める。


「すげえ」

「なんだここ」

「あの魚って食えるのかな」

「毒かもしれねえだろ、やめとけ」


 あまり見られることに慣れていないシズクでさえ、帆船の欄干から身を乗り出して海の世界を眺めていた。その藍色の瞳はキラキラと輝き、隣に並ぶスバルの背中をバシバシと叩きながら喧しく騒ぎ立てる。


「ねえねえスバル、すごいよ!! 海ってこんなに綺麗なんだね!!」

「すごいな。海ってこんなに綺麗だったんだな」


 そしてハーゲンは興奮のあまり爆薬を片手に自爆しにいきそうになり、エドワードが襟首を掴んで引き留めていた。


「爆発!! 爆発!!」

「はいはいちょっと落ち着こうねぇ。全くこの自爆馬鹿は、なんでもかんでも爆発しなきゃ気が済まないんだからぁ」


 海で遊んでいた時よりもはしゃぐ野郎どもとは裏腹に、ユフィーリアはその絶景を前に立ち尽くしていた。

 海にはいい思い出などない。初めて見た海ではしゃぎすぎて足を攣り溺れかけたことがきっかけで、若干の心的外傷トラウマを作ることとなってしまった。海水はしょっぱくて飲めたものではなく、ただ広いだけが取り柄の水溜りにどうやってはしゃげと言うのか。

 その認識は間違いだった、と改めて気づく。海の世界には地上にない光景ばかりが広がっていて、そこはまさしく別世界とも言えようか。


「……すげえなァ」

「そうだな」

「お前は見に行かなくてもいいのか、ショウ坊」

「ユフィーリアが行くなら見に行く」


 いつのまにか隣に並んでいたショウは、頭上に広がる海面を見上げながら言う。海面から差し込んでくる月明かりを受けて、青白い光が海の中を一直線に落ちていく。

 ユフィーリアは「そうかよ」と言うと、欄干の近くまで移動する。ショウもそれに合わせて移動してきて、一緒に帆船の下に広がる珊瑚礁を眺めた。

 ちょうど青っぽい魚が目の前を通り過ぎていき、ユフィーリアとショウの視線に気づいたようで急いでどこかへと逃げ出した。別に食べるつもりは毛頭なかったのだが。


「あの魚の色は、ユフィーリアの瞳によく似ていた」

「そうかァ? あそこまで綺麗な青じゃねえだろ」

「ユフィーリアの瞳は綺麗だ。とても綺麗な、青色だ」


 海底で燃える炎の如き双眸に射竦いすくめられ、ユフィーリアの思考回路が一瞬だけ停止する。「こいつなに言ってんだ」と割と本気で思った。


「……お前、なんか変なモンでも食った?」

「いいや。腹痛等の体調不良はないが」

「頭の方に影響が出てるぞ、ショウ坊。帰ったら病院に行こう、な? そうしよう?」

「病院に行くほど体調には問題ないが、おいユフィーリア、背中をさすっても別に気持ち悪くもなんともないのだが」

「吐く? 吐く?」

「吐かん吐かん」


 第零遊撃隊も第零遊撃隊で、わちゃわちゃとなにやら騒ぎ立てていたその時だ。

 帆船に突如として影が降りる。「ん?」「なんだ?」と誰もが海面を見上げると、巨大なサメが帆船の上を通り過ぎようとしていた。

 その巨大な鮫は、首が二股に分かれたこの世には存在しない鮫だった。ぎょろりとしたガラス玉のような瞳で、帆船の甲板にてはしゃぐユフィーリアたちを睥睨へいげいする。まるで「お前らは泳ぐことすらできないのか?」と見下しているようだ。


「…………なあ、ショウ坊」

「…………どうした、ユフィーリア」

「あの鮫、俺らのこと馬鹿にしてねえかな」

「しているだろうな、大いに」

「腹立ってきたな、あのクソ鮫。こちとら天魔最強の【銀月鬼ギンゲツキ】の天魔憑きだぞ。捌かれてえのか、魚類のくせに」

「同感だ。こちらは葬儀屋一族アンダーテイカーに名を連ねる【火神ヒジン】の天魔憑きだぞ、図体がでかいだけのただの魚類が敵うわけがないだろう」


 二人のやることは決まっていた。

 幸いにも、アグラから渡された『空気飴エア・キャンディ』を舐めているおかげで、地上と同じように呼吸ができている。試しにその場で飛んでみるが、なんと地上と同じような重力がかかっているではないか。

 これはもしかしたら――海底でも泳ぐ必要はなく、普通に戦闘ができるのでは?


「よし、ショウ坊。この空気飴とやらで本当に海底でも地上のように行動できるのか実証してみようじゃねえか」

「体を張って実験する俺たちはなんと素晴らしい部下だろうな、ユフィーリア。昇給も夢ではないぞ」

「だよな、帰ったらグローリアに賞与ぐらいは強請ってみるか。――どうせ賭博や酒にしか使わねえけどよ」


 腰からいた大太刀の鯉口こいぐちを切ったユフィーリアは、極彩色の帆船の欄干に足をかける。同じようにショウも赤い回転式拳銃リボルバーを両手に呼び出して、戦闘の準備を完了させた。

 何事だ、と同胞たちがざわめくのを感じながら、ユフィーリアとショウは欄干を踏み台にして海底の珊瑚礁めがけて飛び出していく。


「えええ!? ユフィーリア、ショウ君!?」


 グローリアが慌てて欄干から身を乗り出すが、時すでに遅し。

 ユフィーリアとショウは難なく岩場に着地を果たすと、極彩色の帆船を視線で追いかける。その上には巨大な鮫の天魔が未だに優雅に泳いで緊張感を与えているが、ユフィーリアとショウが船を飛び出したことには気づいていないらしい。


「首を落として火葬だろうな」

「……ユフィーリア、待ってくれ」

「お? どうした、ショウ坊。鮫の肉はさすがに食べたくねえか?」


 ショウがなにやら神妙な顔で、鮫に突撃しようとするユフィーリアを引き止める。


「……あの鮫は、もしかしたら味方なのかもしれん。エルクラシス補佐官と同様、海の生物を操ることができる術式を有していれば可能だろう」

「あー、まあ確かにそう考えられるな」


 ショウの言葉に、ユフィーリアは納得したように頷いた。

 鮫を侍らせた船など、誰が好き好んで近づくものか。ユフィーリアが魚だとしても、そんな船になど死んでも近づきたくない。

 ――と、ここでユフィーリアはある真実に辿り着く。


「ショウ坊、つまりはそういうことか?」

「……ああ、そういうことだ」


 ユフィーリアの言いたいことが分かったのか、ショウはしっかりと頷く。

 あの鮫は、別にユフィーリアたちを襲いかかろうとした訳ではなかったのだ。襲いかかるつもりがあるのならば、無防備な彼らに食らいついていてもおかしくない。その選択肢を取らずに、未だ並走を続けているということは、護衛かなにかの役割を果たしているのではないか。

 ユフィーリアとショウは、ゆっくりと背後を振り返った。水の流れを感じ取ったからだ。


「…………うん、やっぱりな」

「…………そうだな」


 ユフィーリアとショウの後ろには、別の鮫がいた。

 大きく口が裂けたその鮫は、極彩色の帆船と共に泳いでいた二股の首を持つ鮫よりも遥かに巨大だ。ぎょろりとしたガラス玉のような目でユフィーリアとショウを睨みつけ、ぞろりと生え揃った鋭い牙が並ぶ口元を見せつける。

 あ、これ死んだ。

 直感で悟ったユフィーリアは、鯉口を切った大太刀を抜き放つ。


「らァッ!! 走るぞショウ坊!!」

「了解した!!」


 視界に入った如何なるものでも切断するという異能力――切断術を前に、鮫も天魔も関係なしに命を落とす。あっさりとその巨躯を半分にされて死に絶えた鮫の死骸を捨て置き、ユフィーリアとショウは極彩色の帆船を追いかけて走り出す。


「いやもう面白半分で行動して命を落としかけるって何度目!?」

「ユフィーリア、もう少し落ち着いて行動しよう」

「お前もな!!」


 やけくそ気味に叫ぶユフィーリアとショウは、極彩色の帆船が下降し始めたところを目撃する。

 帆船が目指す先には、


「なんだあれ」

「珊瑚礁……いや、国か?」


 青い世界にポツリと存在する巨大な珊瑚礁――のような建物の群れ。その間を縫うようにして泳ぐ人魚たちの姿が、何人か確認できた。

 あの巨大な珊瑚礁こそ、今回の戦場の要であるアルカディア奪還軍海底支部である。

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