第10話【堕ちた妹】

「むー……」

「ショウ君、むくれてないで。しっかりノワーリアの様子を見ててよ」

「むー!!」


 グローリアに命令されても、今のショウは絶賛反抗期真っ最中だった。

 ユフィーリアがいけ好かない新参者を連れて、敵の本拠地であるノワーリアへ向かってしまった。新参者はノワーリアに囚われている自分の妹を助け出すことが目的だが、そんな事情などショウは知ったことではないのだ。

 彼にとって重要視すべき部分は、ユフィーリア・エイクトベルに同行するという一点のみ。

 その場所は、ショウだけの特等席だったはずなのに。


「陛下は別にユフィーリアに対してやましい思いを抱いていないよ」

「そんな保証がどこにある。念書でも交わしたのか?」

「わあ、ショウ君が見るからに不機嫌になってる。最近は僕の扱いも雑になったけど、輪をかけて扱いが雑になってる」


 不機嫌全開なショウに対して、グローリアは肩を竦めた。

 グローリアからすればユフィーリアもショウも平等に扱うべき大切な部下で、利用すべき駒だ。その部分はショウとて理解しているし、戦死者を出さない完璧な作戦を理想とする天才指揮官の彼には一定の信頼を置いている。

 しかし、ユフィーリアの相棒ともなれば別問題だ。

 師匠でも、友人でも、家族でもない。隣に並ぶことを許された、唯一の存在。

 最初は不本意だったこの関係も、いつしか本当に信頼できる間柄になったのだ。それなのに、


「昔の元彼が出てきて寝取られた気分だ」

「例えが微妙すぎるよ、ショウ君」

「ちなみに寝取られは俺の地雷だ」

「そうかな。僕は寝取られたら卑怯な手を使ってでも奪い返してやるけどね」


 しれっとそんなことを言うグローリアから「いいから仕事!!」と言われてしまい、ショウは仕方なしにノワーリアの見張りに戻る。

 グローリアから命じられた任務は、ノワーリアの状況の観察だ。この任務にはアイゼルネや他の天魔憑てんまつきも参加している。ノワーリアに居座る天魔――【大聖女ダイセイジョ】が兵隊を送り込んできた時に素早く対応できる為とグローリアは言っていた。

 この野営地も、実のところ囮の役割も持っている。こんな目の前に堂々と敵が居座っていたら、それこそ敵将は「何事だ」と警戒してくるだろう。警戒し、れて兵隊を出してきた時にショウたちが迎え撃ち、その隙を見計らってユフィーリアとキングがノワーリア内に潜入するという作戦だ。


「ショウ殿、ご機嫌は直ったのか?」

「……クイーン・チェイズか」


 ノワーリアの見張りに戻ろうとすると、木箱を椅子の代わりにして腰かけている金髪の修道女シスターから呼び止められる。

 豊かな金色の髪は絹糸にも匹敵する美しさを持ち、穏やかに微笑む彼女は木箱に座っているというのにまるで豪奢な玉座にでも腰かけているかのような錯覚に陥る。そこにいるだけで不思議と王族たる威厳と優雅さを兼ね備えているような気がした。

 彼女――クイーン・チェイズは微笑を絶やすことなく、カクリと首を傾げる。


「足音にまだ苛立ちが残っているな。お姉様にお兄様がついて行ったことが、そんなに嫌なのか?」

「……そんなところだ」

「生真面目で冷静沈着、いつ如何なる時も冷静さを欠くことはない――それが貴殿だと聞いていたのだがな」

「…………」


 ショウは言葉に詰まった。

 周囲の、ショウに対する印象は徐々に変わりつつある。それは確かに事実であるが、根強く残っているのは「命令に対してひどく忠実な、自我を抑制された空っぽ野郎」である。決して今のような、綺麗な言葉で飾られただけの印象ではない。

 全盲の修道女シスターは美しく微笑みながら、


「お兄様は、ショウ殿を高く評価しておられる。お姉様の隣に相応ふさわしい御仁ごじんであるとな」

「……そのような評価を受けた記憶はないが」

「当然だ、言っておられないのだから。お兄様はそのような褒め言葉を口にすることを恥ずかしがる性格でな、ほら、あのように王様のような口調を取り繕っているだろう?」


 要するに、素直ではないらしい。

 ショウは「そうか」とだけ応じて任務に向かおうとしたのだが、


「お兄様はな、妹たちである私たちの方が何よりも大切なんだ」

「…………」

「私は民も妹たちも平等に愛している。民がいなければ国は成り立たないし、妹たちは私の大切な家族だ。姿形は違えど、お兄様と妹たちは確かに家族の絆がある」


 足を止め、彼女のなんてことはない戯言ざれごとを最後まで聞いてしまう辺り、ショウ・アズマという少年は真面目なのかもしれない。

 はた目から見ていても、キングがクイーンを特別視しているのは分かる。ユフィーリアには敬意を払うが愛はなく、クイーンにはユフィーリアにはない親愛がある。キングがユフィーリアをそういう目で見ていない、というのは嫌でも分かるのに。


「お姉様も、貴殿に対して抱く思いは特別なものではないだろうか?」

「何故、そう言い切れる?」


 いぶかしげにクイーンを見やるショウに対して、金髪の修道女シスターは決定的な一言を告げた。


「お姉様は言っていただろう、貴殿だけが自分の相棒であると。タスマンを助けてくださったお姉様は、決してそんなことを言わなかった」

「そうなのか」

「そうだとも。――誰も隣に置くことなく、全てをその身に背負ってしまうお姉様が、初めて隣に置くと決めたのが貴殿だ。お姉様の意思を、疑ってはダメだぞ」


 まるで、母親から説教されているような気分だった。

 ショウは「肝に命じておく」と告げて、任務に戻る。何故か心の奥底にあったおりが、消えたような気がした。


 ☆


 どれだけ歩いただろうか。

 ユフィーリアとキングの二人はノワーリアを目指して、山を登っている最中だった。陰鬱いんうつとした森がどこまでも広がり、視界は最悪である。

 足元に落ちた枝を踏み折って、ユフィーリアは鬱蒼と葉が生い茂った木々を避けて歩く。山の斜面という足場の悪い山道を歩きながら、なんとか後ろをついてくるキングへ振り返った。


「おーい、キング。大丈夫か?」

「な、なんとか……問題、ありません」


 そういうキングは、汗で湿った赤い髪を掻き上げた。

 第三者を意のままに操る群衆操作の異能力のおかげで、彼はほとんど動くことはない。タスマンの防衛も、ほとんどがキングの妹たちに丸投げされている状態だ。国家元首であるキングは、玉座に腰かけて政を執り行うのが主な仕事だ。

 これは休憩を挟んだ方がいいか、とユフィーリアは考えるのだが、


「今は……今は、休んでいる訳にはいきませんので」


 キングの赤と黒のオッドアイは、決意に満ちていた。

大聖女ダイセイジョ】に囚われた妹を救い出す――それだけの為に、彼は命を張ろうと言うのだ。素晴らしい兄妹愛である。

 彼の意思を汲み取ったユフィーリアは、やれやれと肩を竦めると「無理はするなよ」とだけ伝える。無理して倒れられても困るというものだ。


「しっかし、本当にノワーリアに近づいてんのか? この道で合ってんのかよ……」

「補佐官との通信が見込めない以上、このように歩く他はありません……げほ、げっほ」

せてるじゃねえか。ちょっと待ってろ、ノワーリアの位置を確認してきてやるから」

「申し訳ございません……姉上の、お手を煩わせるような真似を……」


 とうとう咳をし始めたキングを少しの間だけ休憩させて、ユフィーリアは手近にあった木を登る。こういうことは身軽なショウに任せているのだが、生憎、彼は野営地で留守番中である。

 枝を経由してガサガサと木を登っていくと、ある程度のところまでいくと空がうっすらと見えてくる。生い茂る葉を掻き分ければ、山肌にしがみつく小さな都市が少し離れたところに見えた。


「このまま真っ直ぐ進めば問題なさそうだな」


 よし、とユフィーリアは頷く。

 最悪の場合は、ユフィーリアがキングを担いで移動すれば問題ないだろう。【銀月鬼ギンゲツキ】と契約したことで身体能力や腕力等は飛躍的に上昇しているので、身長が頭一個二個高かろうが大した重さにはならない。

 ノワーリアの位置を確認したところで、ユフィーリアはガサガサと木を降りる。それから休んでいるだろうキングに位置を報告しようとして、


「――――キング?」


 王たる青年は、地面に倒れ伏していた。

 山の斜面に降り立ったユフィーリアが見たものは、桃色の髪の幼い少女の姿である。こんな陰鬱とした山の中には似つかわしくない、とても愛らしい少女だ。

 ツインテールに結ばれた色鮮やかな桃色の髪に、虚ろな薄紅色の瞳。愛らしい顔立ちに笑顔はなく、能面のような無表情をのっぺりと貼り付けている。身長から察するに一〇歳未満か、ようやくそのぐらいの年齢に届いたばかりかと思うぐらいに小さい。

 戦場には相応しくないフリルやレースがふんだんにあしらわれた可愛らしい意匠デザインのワンピースと、山の斜面を踏みしめる足は純白の靴で守られている。貴族のお嬢様が着ていそうな洋服を纏った彼女は、ぼんやりとした様子で倒れ伏したキングのすぐ側に立っていた。


「ポーン……?」


 ユフィーリアは、少女の名前を呟いていた。

 ポーン・チェイズ――それが桃色の髪の少女の名前だ。正真正銘、キングの義理の妹である。それも末妹だ。


「やべえ、なんでよりにもよってお前がッ!?」


 ユフィーリアが身構えると同時に、桃色の髪の少女が飛びかかってくる。

 ふわふわとしたスカートの裾を翻し、まだ未発達な子供の足で回し蹴りを放ってくるポーン。ユフィーリアは反射的に右腕を掲げてポーンの回し蹴りを受け止めようとするのだが、


「ぐッ、う」


 ズドン、という音がした。

 ポーンの回し蹴りは、確かにユフィーリアの腕で受け止めることはできた。

 しかし、その威力が桁違いなのだ。

 どう足掻いても子供が出せるほどの威力ではない回し蹴りが炸裂し、ユフィーリアは危うくよろけてしまう。膝をつくことだけは回避したが、彼女の前で果たしていつまで両足で立っていられるか。

 ――ポーン・チェイズは、タスマン防衛の要を担う天魔憑てんまつきの少女だ。その身体能力は人間を遥かに凌駕していて、身体能力だけで言えばユフィーリアをも凌ぐ実力を有する!


「このッ、ポーン!! 兄ちゃんになにしてんだ!!」


 ぴょんぴょんと足場が悪い中を跳ね回りながら飛びかかってくるポーンを呼びかけて、ユフィーリアは飛んできた拳を手のひらで受け止める。

 ユフィーリアは受け止めたポーンの拳を手のひらで包み、そのまま森奥へとぶん投げる。スカートの裾を翻して、桃色の髪の少女は鬱蒼とした森の奥地へ消えた。

 鈍い痛みを訴える右腕をそのままに、ユフィーリアは急いで倒れ伏したキングのもとへ向かう。倒れた彼へ駆け寄ろうとしたその時、


「だめ」


 甘い甘い、少女の声。

 同時に、ズッという僅かな衝撃が。


「だめだよ。それは、連れてかなきゃいけないんだから」


 先程、投げ飛ばしたはずのポーンが目の前にいた。

 彼女の小さな手には、ナイフが握りしめられている。その鈍色の刃は、ユフィーリアの腹に突き入れられていた。


「だめよ」

「だって」

「ねえ」

「それは」

「にーさま」

「連れてかなきゃいけなんだから」

「「「「「「邪魔しちゃ、だめよ?」」」」」」


 死の間際に立たされた幻覚かと思った。

 膝をつき、地面に倒れ伏すユフィーリアが最後に見たものは、六つに増えたポーンの顔だった。


(――すっかり忘れてた)


 薄れゆく意識の中で、ユフィーリアは舌打ちをする。


(――ポーンは、自分の分身を作れるんだった!!)


 後悔しても、もう遅い。

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