第9話【道化師が言うことにゃ】

 そんな訳で。

 王都アルカディアからノワーリアまで馬車移動をしたユフィーリアたち四人は、奪還軍の野営地にてしばしの休息を取ることにした。

 わざわざ『空間歪曲ムーブメント』を使ってやってきたグローリアは、スカイの使い魔とエリス・エリナ・デ・フォーゼとの作戦会議に忙しそうだ。地図と山肌にしがみつくノワーリアの街並みをつぶさに観察しながら、グローリアはエリスとなにかを話し合っている様子である。


「ショウ坊は平気なのか? ノワーリアの近くにまできたけどよ」

「寒気と頭痛が止まらないが、我慢できない程度ではない」


 野営地に用意されていた兵糧ひょうろうに手をつけながら、ショウはユフィーリアの質問に淡々とした口調で答えた。食事の内容は食べやすいようにサンドイッチとスープで、両手にサンドイッチを装備したショウはどこか幸せそうな雰囲気さえ漂っていた。

 つい数分前まではご機嫌斜めな状態だったが、今やすっかり機嫌はよくなったようである。口布を装着しながら器用にはもはもとサンドイッチを消費していくショウを眺めながら、ユフィーリアは少しだけ納得した。


「ユーリじゃねーカ♪ よーやくのお着きデ♪」

「おう、アイゼか。お前が最前線までやってくるなんて珍しいな」


 ユフィーリアが鉄製の器にスープをよそっているところに、見覚えのあるカボチャ頭が視界に映り込んでくる。

 収穫祭ハロウィンでよく見かけるカボチャの被り物が特徴のディーラー、アイゼルネである。彼はケラケラといつものように壊れた調子で笑いながら、


「オレ様は本職の方をやっておりましたのヨ♪」

「あー、敵陣に飛び込んで偵察か。……どうだった?」

「どーもなにモ♪ 人間様が普通に生活してるだけでしたヨ♪ 見た目だけなら【閉ざされた理想郷クローディア】より規模は小さいけド♪ ごく普通のありふれた集落みたいな感じだナ♪」


 おどけた口調ではあるものの、アイゼルネの言葉は実に正確だった。ふざけた性格をしているが、仕事はきっちりと真面目にこなす彼らしい。

 アイゼルネの言葉を受けて、クイーンは「よかった……」と胸を撫で下ろしていた。彼女の中では臣民が乱暴な扱いを受けていないか、怪我をしていないか、それが心配だったようだ。

 一方のキングは、ほんの少しだけ表情を険しくしてアイゼルネに詰め寄った。


「おい、そこな道化師」

「あらやダ♪ 契約した天魔の名前で呼ばないでちょーだいヨ♪ 王様ったらお顔が怖いんだかラ♪」


 相手が王族だろうと、アイゼルネは基本的に態度を変えることはない。やはり頭の中身を疑われるようなおどけた口調でキングを茶化し、それから彼が望む情報を開示する。


「妹君は無事だゾ♪ ノワーリアの最重要施設――聖女がおわす教会の警護を任されてル♪ お相手様も死にたくないんだろーヨ♪ 万全の布陣を敷いてやがるナ♪」


 険しかったキングの表情が、僅かに和らいだ気がした。あの夜――臣民よりも妹たちを優先したいと言っていた彼の言葉を、ユフィーリアはふと思い出した。

 臣民の無事よりも、彼が重要視しているのは妹たちだ。彼女たちが酷い扱いを受けていれば単身でも突撃しただろうし、無事と聞けば安堵もする。

 しかし、アイゼルネの言葉はまだ続いた。


「どっこイ♪ 妹君の洗脳は比較的強い傾向にあル♪ 自我がないよーな状態ダ♪ 無理やり自我を抑え込まれて基本的に言葉には反応しなイ♪ 反応があるといえば、ノワーリアの支配者がお使いを言い渡した時ぐらいだろーナ♪」

「…………なんだと?」


 キングの声が、明らかに低くなる。

 妹たちの無事を優先する彼にとって、アイゼルネの今の情報は聞き捨てならないものだったのだろう。飄々ひょうひょうとした様子のカボチャ頭の胸倉を掴むと、キングは切羽詰まったような荒々しい言葉遣いで叫ぶ。


「妹は!! 我輩の妹たちは、無事なのだろうな!? そのような状態で、元の妹たちには戻るのだろうな!?」

「それはオレ様に言われてもしょーがなイ♪ でもね王様♪ 妹君はテメェ様を忘れた様子はただの一度だってなイ♪」


 胸倉を掴んでくるキングの手を払い、アイゼルネは言う。


「何故なら、妹君はテメェ様からの命令だって勘違いしていル♪ テメェ様が言うから仕方がない、テメェ様が言うならそうしようって感じでお使いをこなしていル♪ 忘れていないのは事実♪ でもお人形のような状態から戻るのかは運次第♪」


 キングは愕然がくぜんとした様子で立ち尽くしていた。クイーンがそんな兄に寄り添い、優しくその背中を撫でている。

 さすがのショウも、今の状態のキングを罵倒しようとは思わなかったようだ。彼はもそもそとサンドイッチを頬張りながら、呆然とした様子のキングを観察している。

 軽い言葉で彼の心など癒せない。ユフィーリアもなんとなく理解しているので、キングをそっとしておくことにした。


「おい、アイゼ。言葉はもうちょっと選べよ」

「仲間に忖度そんたくなんて必要ないでショ♪ 嘘を述べて絶望するよりも、最初から絶望してくれた方が傷は浅くて済むシ♪」


 キングにつらい現実を突きつけた張本人であるアイゼルネを注意すれば、カボチャ頭のディーラーは至極真っ当なことを言ってのけた。


「ユーリも気をつけナ♪ ノワーリアの支配者は、他人の信仰心を操る天魔ダ♪」

「ショウ坊から聞いた。【大聖女ダイセイジョ】って奴なんだろ」

「そーそー♪ 信仰心は別に神様だけに留まった話じゃなイ♪ 他人を信じる心――そこを操られてしまウ♪ よほどのことがなければあっさりと操られて、敵さん側に寝返っちゃうって訳ヨ♪」


 ケラケラと楽しそうに笑うアイゼルネだが、話の内容が難しくてユフィーリアにはよく理解ができなかった。

 他人の信仰心を操る厄介な天魔であることは、ユフィーリアも察しがつく。だが、どうしてそうなってしまう基準が分からない。操られてしまう基準が分からなければ対策もまともに取れず、このままでは全滅の危機すらある。

 視線だけで「説明しろ」と促すと、カボチャ頭のディーラーはやれやれとばかりに肩を竦めた。


「王様の妹君を例えに出そうカ♪ アチラ様は神様を信じているだろーが、それ以上に信じているものがあル♪ キング・チェイズという男に、全幅の信頼を寄せている訳ヨ♪」

「……つまり、その【大聖女ダイセイジョ】ってのは自分が信じている相手だと思い込ませる術式を使うのか?」

「妹君は【大聖女ダイセイジョ】を兄である王様だと思い込んでいル♪ そこが【大聖女ダイセイジョ】の術式――信仰操作の恐ろしーところだナ♪」


 ユフィーリアは、ふと周囲を見渡した。

 視界で確認できる限りでは、奪還軍の同胞が作戦開始までの自由時間を各々過ごしている。さらにすぐ側には、サンドイッチを貪っているショウがいた。ユフィーリアの視線を受けた相棒は、サンドイッチを頬張る手を止めて不思議そうに首を傾げている。

 ――この時、ユフィーリアの脳内に一つの可能性が提示された。


「なあ、アイゼ」

「なんだいユーリ♪」

「ショウ坊、やばくね?」

「食ってる量はいつもと変わらないでしょーガ♪」

「そうじゃねえ。むしろあれはいつもより量が少ないだろうが」

「把握してるテメェ様が怖く感じル♪」


 どこか引いた様子のアイゼルネを無視して、ユフィーリアは言葉を続けた。


「ショウ坊が信仰操作されて、俺に命令されたからって敵に寝返ることはねえよな?」

「可能性は十分にあり得るナ♪ ショウちゃんはテメェ様を馬鹿みたいに信じてるからナ♪」


 ユフィーリアは頭を抱えた。

 ショウの場合、与えられた命令は遵守する傾向にある。それが行き過ぎた影響で、過去には『空っぽ野郎エンプティ』と呼ばれたほどだ。最近では命令の優先順位を決めて、グローリアやスカイの命令は受け入れ、他の人がおふざけで与えてくる命令は無視している。

 そして、相棒のユフィーリアの命令は優先順位が高い。極めて高い。なんでか分からないけど高い。上官であるはずのグローリアが「こうしてほしい」と言っても、ユフィーリアが真逆のことを言えばグローリアの命令をあっさり捨ててしまうほどに高い。


「…………連れて行かない方がいいかな」

「そーかモ♪ なんならオレ様がついていこーカ♪」

「ついてくんな」


 ユフィーリアはアイゼルネの申し出を一蹴し、それからサンドイッチをもそもそとむさぼるショウに近づく。


「あー、ショウ坊。今回は」

「別行動だろう。了解した」

「…………いいんか、お前。【閉ざされた理想郷クローディア】に置いてくって言った時は縋ってきたのに」


 ショウの様子をうかがうようにユフィーリアが言うと、彼は「不満はある」と少しだけしょんぼりしたような答えを返す。


「誤って貴様を攻撃するようになるぐらいなら、いっそ最初から行動しないことを選択する。心苦しいが、それが最善策だろう」

「理解が早くて助かるぜ、ショウ坊」


 ユフィーリアはショウの頭を乱暴に撫でてやり、快活な笑みを見せる。

 ショウはついていきたい様子だったが、今のノワーリアは聖なる雰囲気で満ちている。進んで踏み込んで発狂するぐらいなら、いっそ野営地で待機していた方が得策と自分でも考えたのだろう。

 すると、ようやく作戦会議が終わったらしいグローリアが「ユフィーリア、ショウ君」と二人の名前を呼んだ。


「今回、君たちは別行動を」

「その話は一分前に済ませた」

「あ、そう? 話が早くて助かるなぁ」


 ユフィーリアの言葉に、グローリアは変わらず朗らかに笑む。彼は持っていた地図を広げると、


「ノワーリアの内部はだいぶ変わっているみたい。おそらく、陛下の妹君がノワーリアの構造を変えたんだろうね」

「あー、そういう術式を使う奴が確かいたな……」


 ユフィーリアが遠い目をする。

 かつて、タスマンを助けた際に彼の妹で建物を自在に作り出すことができる天魔憑てんまつきがいたはずだ。おそらく彼女の異能力によって、ノワーリアの街が作り替えられているのだろう。

 グローリアは「そういう訳だから」と言葉を続けて、


「ショウ君は聖なる気によってまともな判断ができないと困るから、ユフィーリアは単独行動になっちゃうんだけど……いいかな?」

「いいもなにも、それしか方法はねえだろ」


 ユフィーリアはやれやれと肩を竦め、グローリアの命令に「分かったよ」と応じる。


「姉上、我輩も同行して構わないですか」

「キング……」


 すると、呆然と立ち尽くしていたキングがユフィーリアに同行を申し出た。ショウが「んなッ!?」と納得いかないような声を上げたが、彼は構わずにユフィーリアへと頭を下げてくる。


「お願いします。妹たちの無事を、この目で確かめたいのです」


 それは、兄としての切なる願いだった。

 アイゼルネからつらい現実を突きつけられ、逸る気持ちも分かる。妹たちの人格が元に戻らなかったら、と考えるといても立ってもいられないのだろう。


「貴様、まさかユフィーリアの相棒の座を狙っている訳では」

「分かった、一緒に行こうかキング」

「ユフィーリア!?」


 キングに突っかかろうとしたショウを無視して、ユフィーリアはキングに同行の許可を与えた。まさかの展開にショウが赤い瞳を見開くが、ユフィーリアは「落ち着けよ」と相棒の少年を宥める。


「俺の相棒はお前だけだ。安心しろ」

「……むう……不安が残るが、了解した……」


 やや不満げではあるものの、ユフィーリアに諭されてショウは渋々引き下がった。

 一連の流れを眺めていたグローリアは、


「それじゃあ、ユフィーリアは陛下と、ショウ君はクイーンちゃんのエスコートをしてあげてね。よろしく!!」


 いつもとは違う組み合わせで作戦行動開始まで、あと一〇分。

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