第5話【魔王は炎の中に君臨する】
敵対勢力を殲滅するのに使える戦力と言えば、やはり彼らしかいないだろう。
「ユフィーリア、ショウ君」
スカイが姿を現したのは、地上に移設された奪還軍の本部だった。憩いの場ともなっている大衆食堂には少数であるが
その中の一角――ちょうどカードゲームに興じていた五人のうちの二人に目をつけた。銀髪碧眼の女と黒髪赤眼の少年。天魔憑きの中でも最強を謳われる二人組は、キョトンとした表情でスカイを見上げる。
「どうした、スカイ。会合ってのはもう終わったのか?」
「あー、そのことなんスけどね」
銀髪碧眼の女――ユフィーリアは不思議そうに首を傾げている。
言い淀むスカイになにかを感じ取ったのか、屑と常日頃から言われてはいるけれど仲間想いな彼女は「座るか?」と空いている椅子を指で示す。スカイはその申し出を辞退して、
「ごめん」
「お?」
ユフィーリアに抱きついた。
ガタン、とショウが椅子から転がり落ちて、同じテーブルでカードゲームに興じていた天魔憑きたちは下手くそな口笛を吹く。いきなり抱きついてきたことに驚いたらしいユフィーリアは、スカイの鳥の巣のような赤い髪をポンポンと撫でながら「どうしたよ」と問いかけてきた。
彼女も優しい。そして気高さがある。天魔がいなくなって衝撃を受けたスカイを支えてくれたし、平和の中でなにをすればいいのか分からないスカイを賭博場へ誘ってくれた。彼女の面倒見の良さに、スカイはこの泡沫の世界で救われた。
だから。
「《
呟く。
仲間内には基本的に甘いユフィーリアの精神面も、グローリアと同じく穴だらけで潜り込みやすかった。精神の防壁をあっさり突破して、スカイはユフィーリアの内部に自分の術式を叩き込む。
腕の中の彼女が「――ぁッ!?」と小さく喘ぐ。どういう感覚なのかよく分からないが、体の内側を探られるような気持ち悪さがあるのだろう。
「《
ガクン、とユフィーリアがスカイの腕の中から崩れ落ちる。膝をついたユフィーリアは頭を押さえて呻くが、すぐに大人しくなった。
彼女はゆらりと顔を上げて、それから青い瞳を瞬かせて首を傾げる。まるで夢から覚めたかのような反応をする彼女に、スカイは言う。
「おはよーッス、ユフィーリア。ご気分の程は如何ッスか?」
「気分って言っても、最高も最低もねえな。いつも通りだ」
軽やかな足取りで立ち上がったユフィーリアは、豊かな胸部を強調するように背筋を反らす。ゴキゴキと盛大に背骨を鳴らした彼女は、ぽかんとした様子で己を見上げる相棒を見やった。
させることは一つだけ――彼女に潜り込ませた《精神汚染》を他の天魔憑きにも感染させること。
分厚い前髪の向こうで目を
(――ショウ君に接触。《精神汚染》を感染させるッス)
ユフィーリアは頷きも「了解」とも応じなかった。そうするようにスカイが仕込んだ。
それがまるで彼女自身の意思であるかのように動き、ユフィーリアはショウへ手を差し伸べる。
「――――ッ」
ビクリと
スカイに警戒心を抱いたところで、スカイの配下に置かれてしまったユフィーリアに対して警戒心を抱いていなかったら意味がない。ユフィーリア・エイクトベルという最強の天魔憑きは仲間内から絶大な信頼を得ている為に、他の天魔憑きへ《精神汚染》を感染させやすい。
相棒であるショウを配下に加えたスカイは、さらにユフィーリア・エイクトベルを中心にして《精神汚染》を展開させた。
(――ユフィーリアを中心に《精神汚染》を展開。天魔憑きに限定して洗脳を開始)
洗脳の感染源が最強の天魔憑きにあるだなんて、一体誰が思うだろうか。
平和を瓦解させる異常事態に反応できず、大衆食堂にいた天魔憑きは次々とスカイの《精神汚染》を受けてしまう。《精神汚染》を払いのけようとする素振りは見せるが、あっという間に彼らは悪魔の囁きに負けてしまった。
呻きはなくなり、代わりにあるのは疑問。――この平和ボケした世界は一体なんだ、とでも言いたげな。
「さあ、勝鬨を上げるッスよ。この平和ボケした世界を蹂躙しよーッス」
洗脳の範囲を徐々に広めて王都全体を覆い、かつて地上を奪還した英雄たちを軒並み洗脳して配下に加え、悪魔は
☆
それから。
世界が阿鼻叫喚の地獄絵図と化すまで、時間はかからなかった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ」
「この、化け物!! 反旗を翻してきたぞ!!」
「応戦しろ!! なにがあっても通すな!!」
「ざ、斬撃!? 一体どこから――ぎゃああああああああ!!」
平和だった王都アルカディアは、まさに地獄と化した。
建物は倒壊し、逃げ惑う市民は次々と殺され、戦火が広がる王都に断末魔と悲鳴と絶叫の三重奏が響き渡る。つい数分前までは平和を享受していた人類は、化け物たちに蹂躙されて抵抗虚しく殺されていった。
王都を蹂躙している怪物の正体は――天魔憑き。
人類を守り、そして地上の奪還に一役買った英雄たちだ。
「――それなのに、何故このような悲劇が起きるというのか」
荘厳な王宮は、戦火によって赤く染められていた。
臣下が流した鮮血によって大理石は汚れて、無造作に放置された屍が痛々しい有様を晒している。王宮の外から聞こえる騎士団たちの決死の奮闘も意味をなさず、ただ一方的に嬲られるだけだ。
仕立てのいいドレスを血で染めて、豪奢に飾り付けられた赤い髪を乱し、それでも毅然と反逆者を睨む女王陛下――シヴァは静かに言う。
「お前たちは平和を作った立役者だ。戦争から解放されたというのに、何故再び戦おうとする?」
「本当なら、戦いたくなんてなかったッスよ」
相対するのは、煌びやかな礼服を脱ぎ捨てて着古したジャージを羽織った猫背の悪魔だった。分厚い前髪の上から眼鏡をかけるという眼鏡の存在意義を問い質したくなるような使い方をする彼は、面倒くさそうに応じる。
「平和だったッス。暖かくて、優しくて、ずっとこうしていたくて。でもダメなんスよ。ボクが耐えられない」
「……お前たちを再び戦場に戻した理由はなんだ?」
鋭い眼光でもって睨みつけてくる女王陛下に対して恐怖などおくびにも出さず、スカイは「ふひッ」と笑みを漏らす。
「ボクはいつだって、
今でも昨日のように思い出せる。
世界に絶望して、なにもかも面白くなくて、生きていることすら面倒くさくなって。
だったらいっそ死んでしまおうかと思った矢先に、彼は現れて手を差し伸べた。
――僕に利用されてくれないかな?
絶望したスカイが見たものは、希望に満ち溢れた紫色の瞳。絶望に打ち負けそうになるこの世界に、一矢報いてやろうという反抗精神に溢れている。
息苦しいだけの世界のどこに、そんな希望を見出すことができたのだろう。不思議でならなかったスカイだが、今はその手を取ってよかったと心の底から思っていた。
「ボクを絶望から救ってくれた――だからボクは、グローリアに最大限の協力を惜しまないッス。この世界はグローリアの理想の世界じゃねーッス。天魔と手を取り合うなんて、敵に対して容赦をしない卑劣なアイツが、考える訳ねーじゃねッスか」
言い終わると同時に、王宮の窓ガラスが割れる。
飛び込んできたのは銀髪碧眼の女と、黒髪赤眼の少年だった。銀髪碧眼の女は掴んでいた金髪の美女の首を無造作に放り捨てると、立ち尽くす女王陛下を真っ直ぐに見据える。
「あらあら、おこんばんはァ。クソッタレな女王陛下様」
引き裂くように微笑んだ最強の天魔憑きを前に、国家元首はなにを思っただろうか。
スカイの意思をあたかも自分の意思であるかのように振る舞う彼女は、黒鞘に納められた大太刀の
それは斬首刑の合図の音と言ってもいいだろう。
「命乞いをしても無駄だろうな」
「よく分かってんじゃねえか。平和を取り戻した? 天魔の脅威は消え去った? 臭いものに蓋をしただけの原理で、一体なにが解決したんだ?」
凶刃が、女王陛下の首を刎ねる。
距離を飛び越えた斬撃によって女王陛下の首は地面に転がり、残された胴体はゆっくりと膝をついた。鮮やかな切断面からは、とろとろと鮮血が漏れ出す。
悲鳴が徐々に小さくなっていっている。
絶叫が遠くなっていっている。
崩壊した泡沫の世界を胡乱げに見やるスカイに、いつのまにかやってきたグローリアが問いかけた。
「これで満足した?」
彼はいつものように、穏やかな微笑を湛えている。
「偽りの平和を壊して、それで君は満足したの?」
「ヒヒッ。ボクもアンタの敵ッスか?」
スカイは取り戻した平和を壊した悪魔だ。
だが、なんの後悔も躊躇いもない。この平和の中には、スカイが望むような結末はない。
面倒ではあるが、いつだってスカイはグローリアの理想を叶えるようにと尽力してきた。作戦の為に情報収集をして、戦況の報告もして、戦う彼らを繋ぐ中継役も担って――。
この平和は、それら全てを無に帰す行いだ。
「グローリア、ボクの知ってるアンタはもっと狡猾ッスよ。敵に対して一切の容赦はなく、自分に協力した味方を生かす為に頭を悩ませるアンタの方が、ボクは好感が持てるッス」
この青年は、自分の知るグローリア・イーストエンドではないのだ。
本物の彼はどこか別の場所で、いつものように指揮を執っているのだろう。そこに自分がいないのは少し残念だが、これから戻るのだから問題はない。
だから、この世界に別れを告げよう。
燃える王都の街並みを見やって、スカイは眼鏡を外した。無造作に放り投げると、カシャンと小さな音を立てて眼鏡が割れる。
「さよーなら、偽物のグローリア。さよーなら、偽物の奪還軍。アンタらにとってボクは悪魔のよーな侵略者かもしれねーッスけど、偽りの平和なんてボクはいらねーんで」
そっと右手を掲げたスカイは、
「《
サッと下ろした。
ぷつり、とまるで糸が切れた操り人形のように、グローリアやユフィーリア、ショウが大理石の床に倒れ込む。意識の強制終了など、配下に置けば容易いものだった。
「――――あらあら、
次の瞬間、ゾッとするような甘ったるい女の声に、スカイは弾かれたように振り返った。
首を切られたはずの女王が、笑っている。ニタニタと、気味の悪い笑みを浮かべている。
「アンタは、」
「皆まで言わないで。自己紹介ぐらいさせてちょうだいな」
女王の首が溶ける。
どろりと溶けて液体になった女王の首から、艶やかなドレス姿の女が生まれた。赤い
記憶から消していたのに、どうして。
呆然と立ち尽くすスカイの耳に、女の媚びるような自己紹介がするりと滑り込んでくる。
「覚えているでしょう、坊や? まさか母親の顔まで忘れた訳じゃないでしょうねぇ?」
――リリィ・エルクラシス。
それは、スカイの母親と呼べるものだった。
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