第3話【差し伸べた手を握り返した力は、あまりに弱い】

「……………………?」


 上階の騒がしさを感じ取ったのは、二〇匹目の怪鳥を消し炭にしてからだった。

 ショウは赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめ、パラパラと砂塵を落とす天井を見上げる。上層で誰かが暴れ回っているようだが、それほど激しく暴れるようなことがあったのだろうか。

 もしかしたら上層に閉じ込められているだろうユフィーリアが、脱出を目論んで暴れているのかもしれない。「ここから出せクソが!!」と怒鳴りながら壁や床をぶん殴ったり蹴ったりしている光景が容易に浮かぶ。

 グローリアも同じことを考えたようで、彼はやれやれと肩を竦めるだけだった。


「囚われのお姫様は意外とやんちゃだよね」

「やんちゃというか、最強だからな。いざとなれば自力で脱出することも想像できる」

「助けに入らない方がよかったかなぁ?」

「帰るなら帰ってもいい。最初からイーストエンド司令官を戦力として数えていない」

「やっぱり君は辛辣だね!? ユフィーリアになにを吹き込まれたの!?」


 グローリアが紫眼に涙を浮かべて叫ぶが、ショウは無視した。彼が余計なことを言うから悪いのだ。

 よほど頑丈に作られた部屋にでも閉じ込められているのか、先程からパラパラと砂塵が断続的に降ってくる。一刻も早く彼女を助け出さないと、機嫌が斜めにかしぐどころか垂直になった状態で再会を果たすこととなってしまう。

 ユフィーリアがご機嫌斜めの状態など見たことないのだが、おそらく怖いことは間違いない。普段から怒らないような人物が怒ると怖いということは、常識として頭の片隅に入っている。

 飛びかかってきた首のない翼竜を火葬術で薙ぎ払い、ショウはついに上層へ向かうことができる階段を発見した。


「行くぞ、イーストエンド司令官」

「戦力としては数えていないけれど、連れて行ってくれるんだね」

「置いていってもいいならそう言ってほしいのだが」

「あーッ!! 最前線に一人で放り出されちゃうと帰ってこれなくなっちゃうから!! ごめんなさい置いていかないで!!」


 半泣きの状態になりながらついてくるグローリアを一瞥したショウは、薄暗くて埃っぽい階段を上り始める。

 一段ずつ上っていくと、なにやら会話が聞こえてきた。軽薄そうな男の声が、ショウの耳朶を打つ。


「ばーかーでーしィ」


 聞き覚えのある呼び方。

 それは、ユフィーリアの記憶の中で見たものだ。

 師匠である褐色肌の男が、弟子であるユフィーリアをそう呼んでいた。だが、今聞こえてきた「馬鹿弟子」と呼ぶ声の調子は、ショウの記憶にある呼び方ではない。

 あれは、心底失望した時のような。


「戦わねえなら、死ね」


 階段の踊り場まで到達したショウが見たものは、階段に座り込む銀髪の女の背中と、白煙を引き裂いて現れた白金色の髪を持つ褐色肌の男だった。座り込む女めがけて、男は毒々しい赤い太刀を振りかざしている。

 ようやく見つけた目的の人物を助けるべく赤い回転式拳銃を構えたショウは、細々とした声を聞いた。


「誰か……」


 その声は、

 その次の言葉は、

 最強を謳う彼女の口から聞けるとは、夢にも思わなかった。


「……………………ッ!!」


 絞り出すような声で紡がれた小さな『助けてねがい』。

 それは、心の底から助けを求めているものの、最強としての立場が邪魔をして声を上げられず、苦し紛れに手を伸ばした結果の『助けて』だった。

 いつもなら、彼女はその言葉に手を差し伸べる側だった。その言葉を糧にして戦って、手を差し伸べた相手を助けていた。

 ならば、たった一人でなにもかもを背負い込み、彼女が膝をついた時は誰が手を差し伸べてやるのか。「苦しい」と叫ぶ彼女の声に、誰が応じてやるのか。

 ――答えは、もう決まっている。


「――ああ、任せてくれ」

「――うん、任せてよ」


 ショウは迷わず褐色肌の男と銀髪の女を隔てるようにして、炎の壁を作り出す。男が振り下ろした赤い太刀は容易く炎の壁を引き裂くが、一瞬の隙は作れたようだ。

 驚きで薄氷色の瞳を見開く男の前に立ち塞がり、ショウは相棒を背後でかばう。グローリアは座り込むユフィーリアのそばに寄り添って、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべた。


「助けにきたぞ、ユフィーリア」

「あとは僕たちに任せて」


 対する褐色肌の男は、なにやら不機嫌そうな表情で吐き捨てた。


「なんでィ、野暮なことしやがって」

「すでに戦意を喪失している相手を追い詰めるなど、天魔憑てんまつきの風上にも置けん」


 ショウは赤い回転式拳銃を握り直して、褐色肌の男と対峙する。

 目の前に立っているだけなのに、どうしてか冷や汗が噴き出てくる。全身で感じる重圧に吐きそうになるが、ショウは相棒を守る為にとなんとか堪えた。

 多分、この男には逆立ちしても勝てないだろう。

 ユフィーリアの記憶で見た褐色肌の男――彼は、ユフィーリアの師匠なのだ。最強を最強たらしめた存在を、少し威力が強いだけの異能力を操るショウが勝てる訳がない。

 とりあえず、時間稼ぎになればいい。グローリアにユフィーリアのことを任せて、撤退するまでの時間を稼げればこちらの勝ちだ。


「ユフィーリア、ユフィーリア!? 大丈夫!?」

「づ、グローリア……うるせえから騒ぐな……ッ」

「だってその目……!! 君、!?」


 グローリアの切羽詰まった声で、ショウの中でなにかが音を立てた。

 視線だけをうずくまるユフィーリアへ移動させると、彼女は左目の辺りを押さえていた。その指の間からは、赤い液体がツゥと音もなく零れてくる。被害は左目だけに止まらず、彼女の右足の太腿も深い切り傷が刻み込まれていた。手巾ハンカチを強く結んで止血しているようだが、染み込んだ鮮血は誤魔化せない。

 傷一つなく相手を蹂躙するユフィーリアが、これほど傷だらけになってしまった。機動力を奪われ、そして術式を発動する際に重要視される視界まで狭められた。

 足先から徐々に体温が抜け落ちていくと同時に、思考回路が急激に冷えていく。反対に、握りしめた赤い回転式拳銃は燃えるような熱さをショウに伝えてきた。


「おうおう、一丁前に怒ってんのか? なにオメェ、馬鹿弟子のコレか?」


 褐色肌の男が、馬鹿にするように小指を立ててきた。仕草がおっさんらしい。

 ショウは無言で男に回転式拳銃の銃口を突きつけると、迷わず引き金を引いた。銃口から火球が放たれ、男めがけて飛んでいく。

 しかし、男はフンとつまらなさそうに鼻を鳴らすと、赤い太刀で飛んでいく火球を切断した。熱気を残して、火球は虚空に消え去る。


「ンだよ、冗談が通じねえ奴だなァ」

「黙れッ!!」


 ショウは激昂し、回転式拳銃の引き金を立て続けに三度ほど引いた。三発の火球が男めがけて飛んでいくが、その全てを切断されてしまう。

 体力依存から生命依存に術式の形態を切り替えている為、威力は増しているはず。それなのに彼は怖がる素振りなど全く見せないどころか、ショウのことを格下に見ている節さえある。実力はついてきていると思っていたのだが、この男にはショウの実力など通用しない。

 ならば、とショウは回転式拳銃に祈りを捧げるように瞳を閉じた。逸る心臓を落ち着かせるように深呼吸して、言葉を紡いでいく。


「――此方こなたよりかしこかしこみももうす。冥府の主人の一角として、罪をそそ緋炎ひえんを呼ぶ」

「お? なんでィ、急に唱え出しちまって。なんか出すんか?」


 褐色肌の男が馬鹿にしたような口振りで言ってくるが、ショウは自分の切り札の準備を進める。

 なにをするのか分からないのであれば好都合、このままあの男を消し炭にしてくれる。ユフィーリアが受けたその倍以上の痛みと苦しみを与えなければ、ショウの気が済まなかった。

 灼熱の炎が埃っぽい廊下を吹き荒れて、褐色肌の男が訝しむように「あん?」と首を傾げる。回避できないように炎で男を囲い、炎の腕で消し炭にしよう。

 気づいた時にはすでに遅く、褐色肌の男は口元を引きらせて「マジかよおい!?」などと驚愕しているが、すでに相手を敵だと判断したショウには届かない。


紅蓮葬送グレンソウソウ――」

「やめろ、ショウ坊!!」


 ショウの言葉を遮るように、ユフィーリアが叫んだ。

 グローリアに支えられた彼女は、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。


「やめてくれ……頼む……」


 ユフィーリアは懇願する。

 彼女にとって、この男が大切であることは分かっている。だけど、相棒を傷つけられて黙っていられるほど、ショウも優しくはない。

 行き場をなくした劫火ごうかが、熱気を残して虚空に消え失せる。その隙を男は見逃さず、素早くショウの懐に潜り込むと拳を鳩尾に叩き込んできた。


「ぐ、ゥッ!?」

「ひょろっこいもやしだな、ちゃんと食ってんのかよィ」


 鳩尾に叩き込まれた強い衝撃に耐えられず、ショウは膝をついてしまった。なんとか吐くことだけは堪えたが、喉の奥に胃液がせり上がってくる。

 蹲るショウを一瞥し、褐色肌の男はペタリと雪駄せったを鳴らしてユフィーリアに歩み寄った。グローリアが男の歩みを阻止するべく立ち塞がるが、胸倉を掴まれて放り投げられてしまった。

 座り込むユフィーリアの銀髪を乱暴に掴んだ男は、底冷えのするような声で言う。


「興醒めでィ、馬鹿弟子。弱いオメェには興味ねえよィ」


 弟子だろうがなんだろうが、男には関係ないようだった。

 冷酷な言葉を吐き捨てた男は、ペッタペッタと廊下の奥へ歩き去っていく。その背中を、ショウは黙って見送るしかできなかった。


「…………ごめんなさい」


 ポツリ、と。

 ユフィーリアの謝罪の言葉が、静かに落ちる。


「ユフィーリア、謝る必要はない」

「…………ごめんなさい、ごめん、ごめんなさい……ごめん、なさい」


 譫言のように、ユフィーリアは謝罪の言葉を重ねた。顔を俯け、先程の男に謝るようにユフィーリアは何度も「ごめんなさい」と呟く。

 それはさながら、親に見限られた子供が懸命に謝罪するかのようで。

 ショウはユフィーリアに手を伸ばす。おそるおそる彼女に手を差し伸べると、ユフィーリアは謝りながらショウの手を取った。

 重ねられた手はとても冷たく、あまりに頼りなく、弱々しく今にも崩れてしまいそうなほどに繊細で壊れそうなものだった。

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